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私が思い込んでいた博士での研究とその現実

こんにちは。朝山絵美です。

社会人博士としての日々を過ごし感じたことをご紹介しています。前回は、社会人学生としての博士後期課程の正しい捉え方をお伝えしました。

今回は博士における主要な活動である、研究活動についても私見をご紹介します。
研究という活動にも、私が間違って思い込んでしまっていたことが、これまたたくさんありました。この思い込みを早く払拭できていれば、そこまで遠回りしなくても良かったのかも、と思うことばかりです。それらをご紹介します。

できるだけ多くの博士課程の方が、短い時間で効率的に学術界に貢献でき、研究が楽しいと思える時間を増やせることを期待しています。

研究するにあたって、すべての行動の礎となる考え方として、研究の定義を押さえておく必要がありました。しかし、私の場合はそこの認識から甘かったのです。


反省点③研究とは何たるかを理解していなかった

研究をするということは一体どういうことか。

研究とは、新しい知を提案することで貢献することです。新しい知、つまり新奇性のあるアイデアを提案することです。それによって、学問を発展させる貢献をもたらすことになります。
私の場合は、新しい知を提案する必要があるということは押さえていたのですが、貢献するということが何たるかを押さえられていませんでした。

私の思い込み:研究とは、新しい知を提案すること
直面した現実:研究とは、新しい知を提案することで、既存の研究分野に貢献すること

既存の研究分野に貢献するということ、この点においての考え方が甘かったのです。新しい知であることを判断するにあたっては、既存の研究において、これまで誰も論じていないことが重要となります。
ナイを証明することは本来難しいことでありながらも、丁寧に既存の研究を概観し、自分よがりの解釈ではなく、その既存の研究分野で捉えられている解釈に沿って、ナイことを明示しなければなりません。

つまり、既存の研究分野に貢献するということは、そこで研究を蓄積されてこられた方々にとっての解釈のうえでの新しい知になっていなければならない、ということです。

反省点④研究活動は黙々と独りで進めるのでなくopen mindedでやるべきだった

そんなことも正しく捉えられていなかったこともあり、研究活動そのものにも影響を与えていました。

私は元々、ビジネスにアートが活かせるはず、それを解き明かすためにも、美しい椅子を作ることに挑戦したいという想いだけで博士に進学しました。
詳しくはこちら。


そのため、研究活動自体も、自分の世界に没入し、黙々と行ってきました。椅子の制作はもちろんのこと、根ざしている経営学ディシプリンの既存研究の検討も、黙々と集めて整理していくという振る舞いでした。
しかし、D2の終わり頃に、より相応しい振る舞いがあることを知りました。

私の思い込み:研究活動とは、自分の力で黙々と作業すること、自分のやりたいことを探索する、せいぜい主査の先生と討議しながら進める、そんな狭い活動のイメージ
直面した現実:研究活動とは、もっと社会的な営みであり、博士は学外に出て、その研究分野の方々と自ら関わっていく活動

研究活動は1人で黙々と、というより、その分野の色々な方とコミュニケーションをとりながら自分の研究を昇華させていく、社会的な活動であるべきだったのです。
私の場合、コロナ禍だったこと、経営学ディシプリンに根差しながらも美術大学を選択したこと、学術界に知り合いがいなかったこと、色んな要因が複合的に絡み合っていましたが、そもそもの真因は、研究活動が何たるかを理解していなかったことにあると考えています。

それに気付かされる出来事がありました。D2年度末の学内の研究発表会のことです。自身の研究内容を発表したところ、「経営」×「美」というキーワードで話が重なるのでぜひお話ししてみるとよいですよと先生から、社会人Ph.D.を取得された井登さんをご紹介頂いたのです。井登さんの研究内容だけでなく研究活動の振る舞いについても色々とお伺いし、近畿大学の山縣先生にご連絡を取った、ということをきっかけに、大きな歯車が動いたような感覚に出会いました。
山縣先生を僭越ながら拝見していると、何人か分身が存在するのかと思われるほど、ありとあらゆる学会やコミュニティに顔を出されておられます。自大学で教鞭をとりながらも学外の活動に積極的でおられ、これが研究者としての振る舞いなのかと学ばせて頂いた次第です。(ありがとうございます)

さて、次は、その研究活動の成果についての考え方に、少し話を広げます。

反省点⑤学会は論文投稿先ではなくコミュニティであると捉えるべきだった

研究活動の成果として、いろいろな考え方があるかと思いますが、一般的には学会における査読誌への掲載です。
つまり、「私の研究は学問を発展させる貢献ができていますよ」と示す先は、学会です。

その成果を出すために、「学会に論文を投稿する」と文字通り理解していた私は浅はかでした。誰ともコミュニケーションをとらずに過ごしていたからでしょう。学会という存在が眼に見えないもので、無機質な存在であり、論文を提出する、というだけの考えでいました。

しかし、学会は無機質な存在ではなく、その研究分野の人々、つまり感情を持った生身の人間で形成されたコミュニティである。そして、論文の投稿は、単純にレポートとして提出するというよりは、自身のアイデアに関するプレゼンを行うような振る舞いでなければなりませんでした。

私の思い込み:学会(無機質な存在)に論文を投稿する
直面した現実:学会というコミュニティに所属している方々に、「自分の研究がその場を発展させることのできる良い話題提供になっているか」を問う

至極当たり前のことだと今ではわかりますが、学会は、一種のコミュニティだったということです。
井戸端会議などで話題提供をする際に、その話題が魅力的なものかどうかは、その井戸端会議のメンバーによって判断されますよね。
自身の研究において「新しい知」とみなしたものは、そのコミュニティで構成されるメンバーによって魅力的かどうかを判断されるということです。

その学会はどのようなメンバーで構成されたコミュニティなのか、そのコミュニティが大切にしている方向性や指針はどのようなものなのか、丁寧に押さえておくことが必要なのです。

おわりに

社会人院生の皆さまにとってよりよい博士課程生活になることを願って、大事だと思う観点を綴ってきました。
まとめると、
・研究とは、既存の研究分野にとっての「新しい知」となっていること
・その研究活動は、学内に閉じない学会などのコミュニティとの社会的な活動であること
・研究成果を出すためには、学会というコミュニティに所属している方々に、「私の話題は場を発展させるのに役立ちますか?」と問うてみることと同義であること
といったところでしょうか。

この世界においては当たり前なことを書いただけになりましたが、少しでも参考にしていただけると嬉しく思います。

では、そのような博士の研究活動をするにあたって、学び場をどのようにして選ぶのか?について次回はご紹介したいと思います。

社会人学生のための備忘録
01 |学び直しに大学院を選ぶということ
02|MFA(美大修士)を修了した私が博士に進学したワケ
03|私が思い込んでいた博士後期課程とその現実
04|私が思い込んでいた博士での研究とその現実
05|博士進学を1ミリでも考えている社会人院生の学び場の選び方(次回)

最後まで読んで頂いた方に、少し宣伝させてください。修士・博士での学びを通じた新しい発見「ビジネス×アートの交差点」について書いています。ぜひご注目ください。


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