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カラマーゾフの兄弟/ドストエフスキー【読書ノート】

参考動画:古典教養大学様


第一章:三男アリョーシャ編

まず作品概要。カラマーゾフの兄弟は1880年にロシアの文豪ドストエフスキーが出版した長編小説。

その頃のロシアはヨーロッパの国々と比べて後進国。焦ったロシアは追いつけ追い越せとヨーロッパの資本主義を輸入し急激に資本主義化。しかし格差が広がり世の中は混沌とした状態に。ヨーロッパの思想家たちは既に資本主義に飽き飽きしており、社会主義を唱えた。社会主義とは、強い権力の下で国民全員を従わせ、富める者も貧しい者もいない平等な社会を目指す思想。

当時のロシアでは資本主義を輸入したことにより、富める者はさらに富み、貧しい者はどんどん貧しくなっていた。それに嫌気がさした社会主義の革命家たちは至る所でテロを起こしていた。ロシアは資本主義も社会主義も両方とも西洋から輸入したものだったという皮肉。

ドストエフスキーは、ロシアはヨーロッパの真似事をやめ、ロシア正教の教えに立ち返るべきだと主張した。ロシア正教は広大なロシアの土を神聖なものとみなし、毎日土に触れる農民の労働こそがロシアの本質だと考えた。

カラマーゾフの兄弟は、西洋の思想に振り回されるロシア人に向けて、ロシアとは何かを再認識させるための作品。次に登場する末っ子アリョーシャが修道僧の見習いである設定も納得できる。

なぜ最初にアリョーシャを主役に設定したかというと、アリョーシャは他のキャラクターに比べてキャラが薄いから。彼は19歳の修道僧見習いで倫理観的にも真っ当で、世俗に汚れていない優しい青年。誰からも愛される不思議な魅力を持ち、読者の代表という役割を担っている。

この作品にはキャラの濃い登場人物がたくさん出てくる。その聞き役に徹するのがアリョーシャ。登場人物とアリョーシャのやり取りを通じて、読者は彼らについてよく知ることができる。

ロシアの片田舎の町にヒョードル・カラマーゾフという好色で強欲な老人が住んでいた。彼は2回結婚していて奥さんは2人ともすでに亡くなっている。最初の奥さんと一人の子供、次の奥さんと二人の子供を設けたが、ヒョードルは子供に興味がなく、親戚に手放していた。そして約20年後、それぞれの人生を歩んだ三兄弟が父親の住む街に帰ってきたところから物語が始まる。

後に殺されるこのヒョードルこそが、ドストエフスキーが考える典型的なロシア人の特徴を詰め込んだキャラクター。

ドストエフスキーの考えるロシア人の特徴は三つ。

1つ目は強欲、特にお金と女性に対して。2つ目は思想にはまりやすい。3つ目は信心深い。ヒョードルの三人の息子たちはこの三つの特徴を一つずつ受け継いでいる。長男は強欲、次男は思想家、三男は修道僧。

カラマーゾフという名前は黒く塗るという意味があり、何かを汚すイメージがあるが、それが悪いこととは言っていない。強欲で思想にはまりやすくて信心深い、これらが一体となったロシア人の生命力を表している。野蛮な生命力を黒く塗るという言葉で表現し、ロシア的、つまりカラマーゾフ的であることを示している。

強欲な父親と長男は一人の女性、グルーシェニカを好きになってしまう。長男ドミートリーには婚約者カテリーナがいるが、次男イワンはそのカテリーナに恋をしてしまうという五角関係が生じる。父親ヒョードルは誰かに撲殺され、容疑者として逮捕されたのは長男ドミートリー。果たして犯人は長男なのか、それとも別の犯人がいるのか。推理小説としても楽しめるが、深く読めば哲学書のように読める。

アリョーシャは五角関係に直接関わらないが、相談相手となり寄り添う。アリョーシャのキャラが薄い理由は、続編の主人公だから。ドストエフスキーが亡くなったため続編は幻に終わったが、アリョーシャが革命家になってテロを起こす予定だったらしい。修道僧のおぼっちゃまが革命家になるというのは想像しにくいが、物語を通じてアリョーシャが汚れ、強くなる様子が描かれている。

父親の殺人事件の前夜、アリョーシャが修道僧を志したきっかけとなったゾシマ長老が亡くなる。ゾシマ長老は聖人君子で多くの人々が彼に会うために訪れた。ゾシマ長老の姿を見てアリョーシャは人々の苦しみに寄り添える人間になりたいと修道僧を目指した。ゾシマ長老は死の直前にアリョーシャに修道院の中にこもらず、世俗に出て人々を救うことを求めた。アリョーシャは愛欲や憎悪にまみれた親子兄弟の五角関係に突っ込んでいくことになる。

中盤、次男で無神論者のイワンとアリョーシャが食事をするシーンがある。イワンは修道僧のアリョーシャに対して遊び半分で神様はいないことを証明しようとする。彼は新聞記者なので、世界中の残虐な事件を集めており、それをアリョーシャに見せる。特にひどいのは無実の子供たちが虐待されたり殺されたりする事件。神がいるならなぜこんなひどいことが世界で起きるのか、と問いかける。

母親の目の前でその子供を犬に食いちぎらせた将校の事件の話をして、イワンはアリョーシャに「さあどうだ、こいつをどうすればいい?銃殺にすべきか?」と問いかける。アリョーシャは青白い笑みを浮かべて「銃殺にすべきだ」と答える。これがアリョーシャが汚れていく瞬間。修道院の中では殺人犯でさえ許すのが正しい教えだが、世間を知るとそれは血が通った教えとは言えない。アリョーシャは汚れていくことでより人間的になり、カラマーゾフ化していく。

結末を先に言うと、父親を殺したのは長男のドミートリーではなかったことが読者に明かされる。ドミートリーは有罪となりシベリア送りになる。エピローグでは、ドミートリーが脱走を企て、アリョーシャに許されることかと尋ねる。序盤のアリョーシャであれば「それは罪だ」と言っただろう。しかし、世俗で酸いも甘いも経験したアリョーシャは独自の論理で脱走を肯定する。「兄さん、脱走しなさい。そしてその脱走という十字架を背負って生きるんだ。適切な重さの十字架を背負った兄さんは、いずれ良い人間になれるから」と。

アリョーシャはロシアの貧しい人々に寄り添う場面も描かれている。祈りだけでは解決できない苦しみを知り、現実主義に傾いた心優しい青年アリョーシャは続編で何らかの行動を起こしたのではないかと推測できる。聖人君子に見えるゾシマ長老も若い頃は暴力にまみれた生活を送っていたことが明らかになる。その経緯が短編小説のように描かれる。ドストエフスキーの作品はロシア正教会からも正教の教えの真髄を代弁しているとお墨付きをもらっている。聖書を読むのも良いが、この作品のアリョーシャとゾシマ長老の交流を読むことで、ロシア正教だけでなくキリスト教そのものの教えに近づくことができる。

第二章:長男ドミートリー編

長男ドミートリーと父親は同じ女性、グルーシェニカを好きになり、ドミートリーには婚約者カテリーナがいた。カテリーナに次男イワンが惚れることで、家族兄弟を巻き込んだ五角関係が繰り広げられる。その最中に父親が撲殺され、長男ドミートリーが容疑者として逮捕される。ドミートリーは父親と最初の妻との間にできた一人息子で、28歳の退役軍人。彼は生まれてすぐに母親が死に、父親に手放され、親戚に引き取られた。陸軍学校に入ってからは女と金に溺れた生活を送る。

ドミートリーは父親が亡き母親の遺産を送ってくれていたが、それも尽きたと連絡が来る。しかし、父親が隠し持っていると疑い、直談判にやってくる。ドミートリーは幼少期からお金には困らなかったが、母親がいなく、父親もどうしようもない人間だったため、自分は被害者だと思い、乱暴や狼藉が許されると感じていた。しかし、彼は異常なほど真っ直ぐな人間でもあり、自分の中で越えられない一線を持っている。

ドミートリーは父親殺害の容疑者にされるものの、読者だけが彼が無実であることが明かされる。彼は金と女の問題に悩まされ、特に女を手に入れるための金が必要だった。その額は3000ルーブルで、今の価値に換算すると3000万円。元は婚約者カテリーナのもので、親戚への送金を頼まれただけだったが、ドミートリーはその金をグルーシェニカと使い果たしてしまう。

ドミートリーは毎日不安がよぎり、グルーシェニカが父親のもとに行ってしまうのではないかと疑う。父親が用意している金額が3000ルーブルで、ドミートリーが横領した金額と同じであることから、ドミートリーは本能のままに父親の屋敷に向かう。しかし、まだグルーシェニカは来ていなかった。老僕と揉み合いになり、ドミートリーは老僕を殴り逃走する。ドミートリーは自分が殺してしまったと思い込むが、実際には父親は別の誰かに撲殺されていた。

屋敷を出る際にドミートリーは3000ルーブルを持っていたが、それはどこから来たのかが読者に謎を投げかける。ドミートリーは逃走中にグルーシェニカの行き先を聞き、彼女がかつての恋人と離れた街のホテルにいることを知る。ドミートリーは馬車を呼び寄せ、全速力でそのホテルに向かう。ホテルでグルーシェニカと再会し、彼女はポーランド人の元恋人を帰らせ、ドミートリーに愛を告白する。

グルーシェニカは世間でアバズレと言われるが、実は弱者に優しく、守ろうとする強い女性。ドミートリーは彼女の愛を受け入れ、ホテルで大金をばらまき、どんちゃん騒ぎを繰り広げる。しかし、ドミートリーは父親殺害の容疑で逮捕される。取り調べでは、無一文だったはずのドミートリーがなぜ3000ルーブルを持っていたのかが焦点となる。

ドミートリーは3000ルーブルではなく1500ルーブルを使ったと主張し、それを常に首からぶら下げていたと言う。彼は見栄を張って3000ルーブルを全額使ったと言ってしまったが、実は半額しか使っていなかった。残りの1500ルーブルを返さなかったことを恥じ、泥棒にはなりたくなかったと主張する。

ドミートリーは直情的で、勢いでやってしまったことは許されるが、計画的な犯罪は許せないという倫理観を持っている。彼は取り調べで自白し、自分は泥棒ではないと主張する。しかし、取り調べが長引く中で彼は態度を改め、人間的な成長を果たす。

ドミートリーは餓鬼の夢を見る。焼け出された町で乳も出なくなった母親が呆然と立ち、赤ん坊が泣きじゃくる夢。彼は御者に「どうしてみんな貧しいのか、どうして餓鬼は哀れなのか」と問いかける。そして、自分の行動で世界を救おうとする心の叫びを感じる。グルーシェニカの愛の告白を聞き、目を覚ますと、誰かが枕をあてがってくれていたことに感謝し、

ドミートリーは、枕をあてがってくれた心遣いに感謝し、柔和な表情を浮かべる。今までの駄々っ子のような態度を改め、大きな変化が訪れた。この場面はキリスト教の教えを知っている人には理解しやすい。ドミートリーは、自分が被害者だと思い込み、乱暴狼藉を働いてきたが、グルーシェニカの愛を受け、幸福感と正義感が彼に気づきをもたらした。自分以上に苦しんでいる人々のために一緒に苦しみたいと思うようになった。

ドミートリーにとって受け入れるべき苦しみは、無実の罪にも関わらず耐えなければならない取り調べと裁判。彼は人間的な成長を果たし、裁判に臨む。現代人の考え方では、自分も一緒に苦しむ必要はないとするが、ドストエフスキーが描いたロシアの良さは、他人の苦しみに寄り添うことだった。

第三章:次男イワン編

次男イワンは父親ヒョードルの2番目の奥さんとの子供で無神論者。しかし同じ母親から生まれた弟アリョーシャは修道僧。イワンは何でも自分でできる有能な人間で、理系の大学を卒業後、新聞記者として働く。インテリという言葉はこの時代のロシアで生まれ、神に頼らず合理的な考えで解決しようとする人間を指す。イワンはインテリのロシア人の代表格。

ドストエフスキーはヨーロッパ化によってきしみが生じるロシアに対して、ロシアとは何かを伝えようとした。カラマーゾフの三兄弟にはロシア人が持つ三つの要素が割り当てられている。強欲、思想に溺れやすい、信心深い。イワンは思想に溺れやすいを体現した存在。無神論という思想に追われるロシア人がキリスト教への信仰とどう付き合うか、頭では無神論、魂では神を信じるという分裂に苦しむのがイワン。

イワンとアリョーシャが再会し、最後に腹を割って話し合う。イワンは世の中の残酷な事件をアリョーシャに語り、神が存在するならなぜ純粋無垢な子供たちが苦しむのかと問いかける。イワンは短編小説「大審問官」を弟に語る。

舞台は15世紀スペインのセビリア。イエスキリストらしき弱々しい男が現れ、大審問官と対峙する。大審問官はイエスの教えは現実離れしており、教会が手を加えて布教したことで信者たちは幸せな生活を送っていると言い、イエスを火あぶりにしようとする。

イエスの教えは奇跡や神秘を求めず、権威によらず、自由な意志によって信仰することを求めた。しかし、大審問官は人々が奇跡や神秘、権威を求めると主張する。イエスが否定したこれら三つの要素を教会は与えてきたと。

大審問官はイエスに反論を求めているが、イエスは黙って頷くだけ。イワンもアリョーシャに対して神の不在を証明しようとするが、心の底では反論を求めている。イワンはアリョーシャと別れた後、父親の屋敷に戻る。召使いのスメルジャコフが彼を待ち構えており、無神論者のイワンに馴れ馴れしく話しかける。

イワンは翌日モスクワに立つと宣言し、スメルジャコフはヒョードルが無防備になることを心配する。イワンはスメルジャコフの発言に恐ろしいものを感じ、翌朝モスクワへ立つが、その晩父親は撲殺される。イワンは取り調べのため街に戻り、謎の熱病に悩まされる。ドミートリーが犯人とは思えず、スメルジャコフを疑い、彼を問い詰める。

スメルジャコフはヒョードルを殺害し、3000ルーブルを奪ったことを白状し、イワンがモスクワに立ったことは自分に殺しを命じたことと同じだと言う。イワンはパニックになり、スメルジャコフの主張を否定し、裁判で全てを白状すると言い、自宅に戻る。しかし、自宅で悪魔を目撃し、スメルジャコフはその後首を吊ったとアリョーシャに教えられる。

翌日、ドミートリーの裁判が始まる。裁判はロシアのヨーロッパ化の象徴であり、宗教ではなく法律が善悪を決める時代が来たことを示す。法律的には善悪が決まるが、宗教的には異なることもある。イワンは頭では無神論者だが、魂は信心深く、父親殺しを見過ごしたことに苦しむ。

イワンは裁判で証言中、自白し発狂する。イワンは自分の罪を罰して欲しかったが、近代化したロシアでは罪人ではなく狂人と見なされる。ドストエフスキーは、ロシア人が宗教心から自由になることは難しく、ヨーロッパの思想に隠れた無神論者たちは頭と魂の仲違いに苦しむことを予言していた。

(了)



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