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非常識非人間の悪魔という皮をかぶった女との結婚(人生最大の汚点)<第5回>

他の人を全く信用できない人である

 こんばんは。これに気づくのが遅すぎました。まぁ、半世紀近く生きてくると、いろんな人に出会います。そして、何らかの共通点を見出す能力がついてきたなと感じるのも、今だからこそかもしれません。

 しかし、気づくのが遅すぎたのです。

 記憶をたどってみると、長男が4歳ごろのことだったと思います。友人たちと、近くの川で遊んでいました。会社の友人3,4人と私と長男と元嫁というメンバーだったように思います。

 長男が、友人たちと遊んでるのを確認して、せっかく川に来たから、少しゆっくりしたいなと少し離れたところで、ぼーっとしていました。

 そのとき、長男が足を滑らせて、溺れそうになりました。そこで、周りの友人や元嫁が助けたのですが、私は気づいていませんでした。これは、私のミスなのですが、これを元嫁がみて、「この男は家族を助けない・・・」と思いこんだらしく、その後、何度となく、この事件を挙げて攻められました。

 確かに私の過失なのですが、何年も何年も言われると、さすがに辟易とします。

 保育園の行事に行く約束をしていたのですが、私が急な仕事でいけなくなった時も、ひどく責められ、こいつは、子供のイベントに平気で仕事を入れるような、冷たい奴と言われ続けました。結果として、子育てにおいて私の貢献度は、彼女曰く「ゼロ」だそうです。私がすべて育てたとおっしゃっておられました。

他人を信じない自己愛は、人間的に成長しない?

 人を信じない人は、人の言うことを全くと言って聞き入れない傾向にあります。そうすると、価値判断は当然主観に頼るほかありません。したがって、次第に、物事を正しいか間違っているか、人に対して自分は勝っているか負けているか・・・このような尺度しか判断できなくなるようです。

 そこへきて、自己愛が発動するので、物事の判断は、自分が絶対に正しい。相手は間違っている。という判断しかできません。したがって、絶対に謝りませんし、自分が取っている行動に微塵も疑問を抱きません。たとえそれが、著しく非常識な状態でもです。

 大変抽象的な表現ですが、元嫁の悪魔ぶりの根源は、「他人を全く信じない非常識自己愛者」にあるのだと思います。

 しかし、身内以外には、これがムカつくくらい人当たりがいいのです。ずるがしこいので、なかなか手ごわいです。

 次回こそは、具体的に時系列でいろいろと振り返りたいと思います。同じ屋根の下、まったく会わないように暮らすのも、なかなかストレスがたまります。今日は疲れました。おやすみなさい。

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