09:試験の先に
こんにちは、yuyaです。
今回は、高校卒業程度認定試験(高認)を受けた当時の心境について、記事にしました。
ゴールに到着
結論から言えば、合格しました。
そこまで3年かかりましたので、何もせず過ごした1年と合わせて4年間で、私は高校卒業と同程度の社会的地位を手に入れました。
とても嬉しかったのです。普通の人に近づけたことが。
皆当たり前のように卒業していく高校を、私は数日と持たずに辞めました。
自分に何の特技も才能もないことを自覚していたからこそ、他人と違うレールを歩くことを恐れていました。
飛び抜けた才能があれば、学歴など何の意味も持ちません。
むしろ学業に充てる時間を使って別のことをすべきでしょう。
しかし私は凡人にも劣る存在です。
世の中の人々は皆、自分が普通であることに悩んでいると言いますが、それは大きな間違いであると感じます。
普通であるということは、ある程度のレベルまでは社会が保証してくれるのです。一定の水準は満たす人材であるということを、社会が提示してくれるのです。
それが学歴ではないでしょうか。
基礎は固まっているのですから、その先をどう表現するか本当は自由なはずなのに、悩んでいる人が多いと聞き、私は信じられませんでした。
ないものねだりでしょうか。
ですが私自身、異質な経歴に加えて極度の人間不信を兼ね備えています。
他人を信頼できないばかりか自分自身も信頼できません。
そのような感情や人間性が、高認試験の合格によって多少は晴れるのでは。
そう考えていたのですが。現実は全く違いました。
次の目標はないの?
こんなこと、誰にも言われていません。
そもそも話し相手がいないことを鑑みると、この声の主は私自身でしょう。
高認試験を合格した私は、また別の強迫観念に駆られます。
「今の時代に大学を出ていないのはあり得ないだろう。私は凡人にも劣る存在なのだから、できて普通のことを一通りこなさなければ、一般人の枠には入れてもらえない。」
何を言っているのか分かりづらいと思います。
ですが、自分の経歴を持ってして普通に扱ってもらうには、大学を出る必要があると本気で考えていました。
そして形だけでも大学に入り卒業すれば、両親はきっと喜ぶと、愚かな私は考えたのでした。
しかもこんなことを考えながら、学費を両親に出させたのです。
形式だけ見繕って普通になろうとしていた私は、内面を疎かにしていました。これはやはり対人恐怖症からくる、他人への理解の欠如でしょう。
世間の人は他人を肩書きで見ていると、本気で考えていたのです。
そのような人間性ですから、私に肩書きがいくら増えても、私の周りには人がいませんでした。
何はともあれ、こんな理由で通信制の大学に入ってしまいました。
当然やりたいことなど、考えていません。
取れそうな単位を選ぶことが、私の大学生活の全てでした。
通えてしまった事実
不純な動機、醜い人間性。
このような私でも結果的に大学へ入学し、卒業できてしまいました。センター試験は受けていませんから、私の学歴は大卒だということに少し後ろめたさがあります。
私は肩書きを平凡にするために、大学を卒業できる道を探し、たどり着きました。
ですが振り返ると、普通の人が苦労した努力や経験を、全くしていなかったことに気がつきます。
努力して試験を受け、合格して成功体験を積む。
このことは人生において、とても重要であることを後になって理解します。
努力が実るという成功体験があるのと無いのとでは、自分への自信が大きく異なります。
そもそも、引きこもりに後ろめたさを感じること自体は、自分の肩書きを気にしているのです。
このことに気がつくと、私はなんて薄っぺらい人生を歩んでいるのかと、頭を抱えました。
引きこもりから脱却したい。この考えは、私を動かすのに十分な動機でした。世間の目という脅迫観念も手伝って、私は無事に引きこもりから脱却したと思い込んでいたのです。
ですが全く違いました。
私は家の外に出ることを脱却と定義して、外に出て活動できる私を褒めたい気分になっていましたが、あることに気がつきます。
私は誰からも必要とされていない。
そしてそのことは、自身の社会的な死を意味しました。
家の外で普通の人たちと一緒にバイトをしたり、学校で授業を受けたり、そのような経験を積んでいく中で、私の存在価値のなさに気がつきました。
「いてもいなくても一緒。」
これほど心に突き刺さる文言もありませんが、私を表す良い言葉です。
この経験から、私は一つの事実に突き当たりました。
「社会から必要とされる人間は、ずっと家の中にいようが引きこもりでは無い」
当たり前ですが、当時の私は理解できませんでした。
普通の人に近づいたはずなのに、私の存在は無いに等しいのです。
周囲の人から見ると、価値がない人間だからでしょう。
部屋から出ることができた私ですが、その後は価値観のギャップに苦しむこととなっていきます。
つづく