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25:やりたいことしか、やらないと

こんにちは、timberです。

今回は、やりたいことしかやらない生活について、考えを述べていきます。

引きこもりはわがままなのか

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引きこもりに対するイメージとして、自室にこもり好きなことをしている、というものがあります。

やりたいことをやるのは何も悪いことではありません。

ですが、義務を果たしてしていないのに、好きなことだけしている。

そのような評価が、引きこもりに対してあるように感じます。

義務とはなんでしょう。

学校へ行くことでしょうか。

働くことでしょうか。

それとも友達を作ること?

人付き合いから逃げないこと?

周りが当たり前のようにこなしているのを見れば、引きこもっていたとしても罪悪感に駆られます。

なにをやっているんだと、責めているのは周りの社会だけではありません。

引きこもり自身も引きこもりを責めています。

ですが耐えられない。

心を壊してまで周りと同じようには振る舞えない。

それで弱者の烙印を押されるのならば、どうぞ押してくれ。

このように思います。

結局のところ、どうするかは引きこもり本人が決めるしかありません。

自分で今後を決めるしかないのです。

そうなれば、自ずと答えは見えてきます。

自分がやりたいことをやるのです。

それがあなたの見ている引きこもりの答えです。

そのうちやりたいことが、世間一般に習って「就職」になるかもしれません。

社会復帰であろうが、やりたくなければできません。

それをわがままと言われてしまったら、ただでさえ肩身の狭い引きこもりは、部屋の中で居場所を無くしてしまいます。


やりたいのか、やらされているのか

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「あれがしたい」

この簡素な意見でさえも、私たちは世間の声に合わせて、常識と言われる価値観に合わせて作っています。

そもそも、知らないことは目標にできません。

あなたが見聞きしたこと以外は、目標や夢として語られても良いのか悪いのか、判断がつきません。

そもそも自分で経験したもの以外は判断してはいけないのですが、社会が良いというものを何の躊躇もなく受け入れている人は大勢います。

私もそうです。

その方が楽ですし、ある種の答えが常識という箱の中にはあるように、感じてしまいます。

答えがあると思えば、その方向に走り出してしまいます。

自分で進んでいるつもりが、やらされている。

そんな感覚でしょうか。

いつも私が思っていることは、自分の知っている世界には止まっていてはいけないということ。

知らない世界、自分の常識が通用しない世界に行き、こんなところに居たくないと苦しみながらでしか、

自分の頭ではもう考えることができなくなっています。

自分で考え行動しなければいけない環境に、失敗が許されないような環境に、一度は挑戦して打ちのめされてくるのも必要かなと、感じる次第です。

そうでもしなければ、私の人生に達成感や成功体験はもう生まれません。

人生を賭けるような大勝負は、日々の生活がある以上できませんし、程度の加減が分からない私はきっと、破滅するまで自分を追い込んでしまいます。

自分でやるべきことを見つけるためには、やらされない、自分の価値観が通用しない世界へ、分野へ挑戦してみるのが良いのでは。

私にとってそれが、電子書籍の出版でした。


つづく