古屋堂

「禅の詩集」 四句・偈、漢讃・和讃または詩集。和歌。

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「禅の詩集」 四句・偈、漢讃・和讃または詩集。和歌。

最近の記事

禅とは何か③ 鈴木大拙

第三講「仏教の基本的諸概念」 三学「戒、定、慧」実践修行 「戒」厳粛主義 一歩も容赦はしない 放漫なる生活、自堕落な生活に対して、いかにも整然たる形式を示している。 「慧」論理主義 情は足、知は目 慧の方を見ると、これは論理主義である。これはまた厳粛主義に対して知至上主義、知というものがいちばん上にいるという風にも考えられる。 サンスクリット仏教とは大乗仏教 知と悲と相扶けて働くようになっている仏教 情というものを考えないとしたらばいかにも人間の生活というも

    • 禅とは何か② 鈴木大拙

      第二講「何を仏教生活というか」自らの体験で作り上げる仏教 薬を煎じる者は仏の教えでなく自分 原始仏教に自分の体験を注ぎ込んだ人々 仏教の矛盾を中華が調和する 中国において仏教史というものは、煎じつめると釈迦一代の蔵経というものに対して、そのうちに種々雑多の矛盾がある、衝突がある、それをどうにかして調和したいというようなことのみ腐心していたものである。日本の仏教というものも、今日に至るまでは同じくそういうものだということになっている。 釈尊、悟りを開いて四十九年生きる

      • 禅とは何か 鈴木大拙

        第一講「宗教経験とは何か」 すべては矛盾の苦 知的宗教と情的宗教 回心=窮して通ずる 大いに窮してその窮地から忽然と脱出する、これがその回心の意味の内容である。 禅宗の悟り、他力宗の安心

        • 花神(下)司馬遼太郎

          日本列島が震えあがった「アヘン戦争」 「清朝(中国)は悲惨である。日本はこの害からまぬがれねばならない」 「アヘン戦争」に反応のない「李氏朝鮮」被害国の「中国」 アヘン戦争についての情報源は、長崎であった。長崎へ到来する文献によって、日本人は知った。その情報源は針の穴のように小さくはあっても、その普及力はすさまじく、たちまち全国にひろがったあたり、情報が歴史を変えるという意味では、世界的な偉観といっていい。 「正義」という虚構を受け入れる事のなかった日本人 長州人は

        禅とは何か③ 鈴木大拙

          花神(中)司馬遼太郎

          日本一丸 いま、上は公家大名から下は百姓にいたるまで、「攘夷」という一点で、おなじ憤りとエネルギーを出すに至っており、この民族が一つの主題のもとにふるい立ったことは有史以来かつてない。 島国の民族意識 極東の島国であるという地理条件が、日本人の意識を特殊なものにしている。 日本人の持つ情念「けがれ」 ⋯⋯蘭学者は異人の提灯持ち。 といわれ、京や江戸では蘭学書生には家を貸さないというのが、一般の風であった。 自国の歴史を知らなかった天皇 「攘夷」 というものの歴史

          花神(中)司馬遼太郎

          花神(上)司馬遼太郎

          日本人を駆りたてたペリーの蒸気船 この時期前後に蒸気軍艦を目撃した 民族はいくらでも存在したはずだが どの民族も日本人のようには反応しなかった。 ものづくりの原点 島津斉彬、鍋島直正、伊達宗城 驚嘆する西洋人「日本滞在記」 事実、三年後にかれらのひきいるこの三藩が、 相前後してそれをつくることに成功したことは 大げさにいえば世界的奇跡といっていい。 提灯のはりかえを生業とする男が軍艦をつくる 「嘉蔵」といった。 「御ちょうちん はりかえします かぞう」 と書かれ

          花神(上)司馬遼太郎

          禅と日本文化

          禅のモットーは「言葉に頼るな」(不立文字) と言うのである。 言葉は哲学には要るが、禅の場合には 妨げとなる。なぜであるか。 言葉は代表するものであって、 実態そのものではない。 実体こそ、禅において最も高く評価されるものなのである。 一、禅は精神に焦点をおく結果、  形式を無視する。 二、すなわち、禅はいかなる種類の   形式のなかにも精神の厳存をさぐりあてる。 三、形式の不十分、不完全なる事によって   精神がいっそう現れるとされる。   形式の完全は人の注意を形

          禅と日本文化

          無門関

          第1側 趙州狗子 僧「犬に仏性はあるか」 趙州「無い」 第2則 百丈野狐 老僧「不落因果」 百丈「不昧因果」 第3則 俱胝堅指 天竜・俱胝・小僧、指をさす。 第4則 胡子無髭 或庵「西の毛唐に髭がない」 第5則 香嚴上樹 香厳「枝を咥えて禅の意味を説け」 第6則 世尊拈花 釈迦花を持つ。 迦葉がにこりと笑った。 第7則 趙州洗鉢 趙州「お粥を食うたら、鉢を洗って来い」 第8則 奚仲造車 月庵が問う。 「奚仲が車の両輪・軸を外した」なぜ? 第9則 大通智勝佛 譲

          碧巌録

          1 廓然無聖わだかまりのない晴れた大空の様。 2 至道無難 唯嫌揀択至道の道はたやすい。選り好みを嫌うだけ。 ※信心銘三祖 鑑智僧璨 泰然自若日面仏、月面仏 1800年生きた仏と一日一夜の寿命の仏 生きるもよし死ぬもよし。 勘破了也見破る。 事の是非をよく考えて明らかにすること。 大擬現前いままでこれで安心と言っていたものが 自分の根底が下から崩れてしまう。 自分を含めた世界全体が、大きな疑いに 化してしまう。その大きな疑いを通過し てはじめて真理の知に気づく。

          証道歌

          証道歌       永嘉玄覚【665‐713】 君不見。 君は見たことはないか。 絕學無為閑道人。 もはや学ぶことの絶えた 無為の境地の閑な道人を。 不除妄想不求真。 妄想を除かず真を求めず。 無明實性即佛性。 執着し妄想が起こる この現象世界が そのまま仏の本性である。 幻化空身即法身。 幻のように変化する実体のない身体が そのまま真理そのものである。 法身覺了無一物。 真如の利体を悟れば 執着するものは何一つない 自由自在の心境に至るだろう。 本源自性天真佛

          信心銘

          信心銘    三祖 鑒智僧璨【505‐606】 至道無難 唯嫌揀擇 至上の道は難しいものではない。 分別を嫌う。    但莫憎愛 洞然明白 憎愛の想い無ければ はっきりと明白。  毫釐有差 天地懸隔 ほんのわずかな差別の心あれば  天地のようにはるかに隔たる世界となる。  欲得現前 莫存順逆 ありのまの世界を捉えようとするなら  順逆の分別もあってはならない。 違順相爭  是為心病 あれは違うそれは正しいとかの争いが心にあれば、 それこそが心の病です。 不識玄