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花神(下)司馬遼太郎
日本列島が震えあがった「アヘン戦争」
「清朝(中国)は悲惨である。日本はこの害からまぬがれねばならない」
ということを津々浦々の有志は思い、じつのところ明治維新のエネルギーはこの危機意識を源泉にもつといっていい。「清朝の悲惨」というのは、ヨーロッパの帝国主義勢力に中国が蚕食されつつあるということであり、その「蚕食」のなかでも最大級の衝撃を日本人にあたえたのは、いわゆるアヘン戦争であった。
「アヘン戦争」に反応のない「李氏朝鮮」被害国の「中国」
アヘン戦争についての情報源は、長崎であった。長崎へ到来する文献によって、日本人は知った。その情報源は針の穴のように小さくはあっても、その普及力はすさまじく、たちまち全国にひろがったあたり、情報が歴史を変えるという意味では、世界的な偉観といっていい。
なぜなら、東アジアの三国のうち、李氏朝鮮はそういう事実が生起したということをあるいは一部の読書人は知っていたかもしれないが、どういう反応かは見られない。被害国である中国そのものもほんの一部の知識人が危機感をもっっただけで、全体としてはまったく反応がにぶく、これを人体にたとえるとほとんど無力体質であったとしか思えない。
「正義」という虚構を受け入れる事のなかった日本人
長州人は、同時代の他の日本人とくらべて、きわだった癖をもっている。「正義好き」ということであった。
正義というのは、人間が人間社会を維持しようと生み出したもっとも偉大な虚構といえるかもしれない。たしかに自然と現実から見れば、虚構に過ぎない。が、その虚構なしに人間はその社会を維持できないという強迫観念をもっている。
ヨーロッパはキリスト教的正義から興り、インド人にはその古代的宇宙観が今も正義として生き、ユダヤ人ははるか数千年前の教養を今も捨てない。
そういう面からみれば儒教は多分に現実的で虚構性にとぼしい。ただ孟子が出るにおよんで孔子の教義から正義をひきだし、その観念を孟子風に拡大することによって現実主義的な諸侯に説き、ついに容れられず、著述生活に入った。
日本は、儒教を書物としてうけとったが、儒教がつくりあげた生活習慣までは受け入れなかった。
儒教の基本倫理の一つは礼であるが、日本人は作法としての儒礼を知らず、このため、室町期における朝鮮との外交交渉に支障が多かった。朝鮮からいえば、「倭人(日本人)は礼を知らぬからこまる」ということから、いろいろな行き違いがあったらしい。儒礼というのは、作法化された正義であるといっていい。
明治以前までの日本人の歴史は、巨大な虚構をほとんど受け入れる事のなくして進行し、明治八十年間は絶対的天皇制という非日本的な虚構を大がかりでつくりあげたが、ついにキリスト教やインド教のようには身につかず、第二次世界大戦の敗北によってもとの現実主義的な日本人にもどった。
ドイツ風日本陸軍
外征用の軍隊として日本陸軍が作りかえられるのは、明治十年のおわりごろ、ドイツ陸軍の参謀将校ヤコブ・メッケル少佐をよんでドイツ風に軍隊をたてなおしてからである。
鎮台にかわって師団の制度ができた。さらにメッケルが、かれの作った陸軍大学校での教授内容は、すべて侵略戦であった。たとえば、「宣戦布告と同時に敵地へとびこめ」という日露戦争における旅順口への海上奇襲と太平洋戦争における真珠湾攻撃といったふうな、国際的な悪評を買った不意討方式も、メッケルが教えたものであり、それが伝統になった。要するに、フランスに対する戦争機械のようなドイツ軍の軍事思想を、日本がそのまま移植したために、軍事技術だけでなく思想までがドイツ風になった。
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