死にたいけど、殺されたくはない/『十二人の死にたい子どもたち』感想
私たちに死を迫るモノとは一体なんなのか。映画『十二人の死にたい子どもたち』感想です。
<あらすじ>
安楽死を望む12人の未成年が、ある廃病院の地下に集まった。目的は集団での安楽死実行。
しかし、地下にはすでに主催者も知らない13番目の人物(0番)の死体があった。その場にいた全員に動揺が走る。彼らは無事「望むように」死ねるのか。
予告映像の印象とは異なる内容だった。あらすじと予告だけを見て期待感を持った人は少しガッカリするかもしれない。
予告を見る限りでは、スプラッター色と謎解き要素が同じぐらい混濁した「次は誰が殺されるんだろう?」というドキドキを期待した。実際そんな煽り方もしていたと思う。
「自分で死にたいから殺さないで!」みたいな。その展開は裏切られ、全編通じて不気味な演出も想像していたよりは多くない。
どちらかというと「死」について若者が討論するシチュエーション群像劇のようで、舞台に向いてそうな内容だった。あるいは真剣佑少年の事件簿?
偶然に偶然が重なる展開や、ツッコミたくなる場面は正直かなりある。だけどフィクションなんてそんなものだし、現実に起こるセンセーショナルな事件も悪運や衝動性がたまたま重なって起きるケースは多い。
例えば未解決事件の代表としてある世田谷一家殺人事件。
一家を殺害後、犯人が大胆にも数時間に渡って家の中に留まり、部屋を物色したりアイスクリームを頬張っていたというのは有名な話だ。アレだってフィクションとして聞けば「そんなん絶対捕まるしリスクありすぎ。嘘うそ」とツッコミたくなる。でも実際に起きた事件なのだ。
ご都合主義にまみれたストーリーだとしても、フィクションである限りそれは当然。本作に関してもレビューなどで「話し合ってないでさっさと一人で勝手に死ねばいいじゃん」というツッコミが散見された。いや野暮すぎる。
そもそも一人で勝手に死ねるような連中はこの集いには参加しないだろう。死ぬことに対して少しでも自分なりに納得し、その納得を共感・共有してもらいたい。死にやすい環境のお膳立てが欲しい。死ぬ時ぐらいは後悔のない死に方をしたい。
そんな考えを持った連中の集まりなわけで、劇中でもそういった描写はちゃんとある。だから話の転がり方や結末に対して釈然としないわけではなかった。
結果的に辿り着いたあの答えの方に、自分たちの納得感が強かったに過ぎない。生きようが死のうが納得さえできればそれでいいのである。
簡単に死ねるのも人間なら、簡単に死なないのもまた人間だと思う。
希死念慮をどれだけ持っているかや、見る人の年齢によっても印象は変わるだろう。
期待していた内容と齟齬はあったにせよ、不思議と結末まで気になって見ることは出来る。少なくとも僕はそうだった。
最後まで見ることが出来た理由のひとつに、キャストの豪華さも挙げられる。
新田真剣佑、高杉真宙、北村匠海、橋本環奈、杉咲花、黒島結菜…今をときめく若手俳優が勢揃いしているのだ。
とりわけ北村匠海、高杉真宙は持ち味を残しつつ、しっかりと役柄の不気味さを体現。イケメンという印象だけで終わらない雰囲気を持っているのは強みだと感じた。
女優陣なら杉咲花。本作の杉咲花はめちゃくちゃ可愛かった。昔はどちらかというと苦手な女優だったのに。
別に可愛い役ではないし、彼女の本領が十分発揮されていたかというと微妙なのだが、すべてを差し置いて可愛く見えてしまった。童顔なのに常に強気で不遜なのが、まるでラノベのヒロインみたいだった。
他の出演者も有名俳優たちに負けない存在感を放っていた。大抵このての群像劇は一部の人気者だけに見せ場があり、ほとんどはモブキャラで終わることが多い。その点、この作品では12人全員に見せ場があり、キャラクターがあり、ちゃんとバランスよく印象に残すことに成功している。
一点、元も子もないことをいえば、全員の顔面偏差値がちょっと高すぎる。もう少しそこはリアリティを持たせて欲しかった。わかりやすいブスもブサイクもデブも誰一人いない。場が場なら、陽キャたちのオフ会にしか見えない。まあそれも野暮ってことで。
多感な時期を過ぎた大人たちが見て満足を得るには難しいが、2時間弱を暇つぶすには十分なエンタメだと思う。