見出し画像

29歳でこの世を去った天才棋士の生き様

生きるとは、どういうことなのか。

それを説くような本は世の中に溢れ返っている。すこし前にも『君たちはどう生きるか』なんて本がリバイバルヒットした。

誰もが一度は考えるテーマとはいえ、説教じみた指南書などはいまいち読む気になれない。帯に「あなたは必ず涙する」と書かれたありがちな感動ストーリーの訴えも苦手だし、哲学的な観点だけの読み物も身近に捉えられない。

それなら、実在した人物の生涯を通して「生きる意味」が見えてくるようなノンフィクションが最適だ。

そんな本に出合った。最高の読書体験だった。
本の名前は『聖の青春』。

まだ29歳という若さでこの世を去った薄命の棋士、村山聖(むらやま さとし)の生涯を描いたノンフィクション小説である。

僕はこの本を読みながら何度も涙腺に痛みが走った。腹の底から込み上げる熱いものも覚えたし、自らの人生を反芻したり我が身の健康に心から感謝したりもした。

感動を押し付けがましく誘う物語ではない。
ただ、この村山聖という男が確かに存在し、命を燃やすように人生と向き合ったその軌跡が、心を何度も何度も鷲掴みにして、強烈なまでに奮わせてきたのだ。

不治の病と「翼」

『聖の青春』が初めて刊行されたのは2000年で、著者は将棋雑誌の元編集者で作家の大崎善生。

画像にあるポッチャリした青年が村山聖、その人である。将棋に詳しくない人でも知ってるあの羽生善治のライバルでもあった男だ。彼は西の村山、東の羽生、または怪童・村山と天才・羽生と称された。

画像1

将棋の世界に疎い僕はそんなことも知らなかった。

本書は将棋に詳しくなくても十分に楽しめる。羽生さん、ひふみん、藤井聡太ぐらいの知識で十分だ。もちろん、詳しい方が楽しめる部分は増えるが、本筋はあくまで村山聖という男の生き様についてだ。

村山さんはなぜ若くしてこの世を去らなければならなかったのか。

彼は幼くしてネフローゼという難病にかかった。

ネフローゼ
腎臓の機能障害らしい。これにより血液中に必要な蛋白質が不足し、身体を守る免疫力や抵抗力が著しく低下する。そのため、ちょっとした疲労で高熱が出て、体力が奪われる。

5歳にして身体を蝕む病魔との戦いを強いられた上、進行性の膀胱ガンにも冒されることになった。

もともとは外を飛び回るのが好きだった村山少年が将棋に出合うことになったのは、奇しくも病気による入院生活があったからだった。不幸中の幸いなんて軽々しく言えないし、運命というには浅はかな気もする。

だが、おそらく将棋に出合うべくして出合った。本の中では将棋は彼にとっての「翼」と表されている。
それほど村山さんの人生において将棋は唯一無二の自己実現の手段であり、病に負けず人生の歩みを進めるために切り離せない目的となった。

そんなことが、読めば読むほど痛いぐらいに伝わる。将棋と、将棋を通して生まれる情熱や人との出会いが、どれだけ彼を支えたことだろう。

同時に、どれだけ将棋によって苦しみ、直面した現実があっただろう。その光と影もしっかり描かれている。

素晴らしい師匠

村山さんには森信雄という師匠がいて、その師匠との絆も物語の核となっている。この絆がまた底なしに深く、あたたかい。

村山さんの体調が優れない時や何か上手くいかない時に師匠は口癖のように「冴えんなあ」という言葉をこぼす。

画像2


映画版では師匠をリリー・フランキーが演じた

誰しもすべての出会いに意味があるとして、村山さんにとって森さんとの出会いはその意味の象徴だ。

こんなに強い関係性を、血の繋がりのない人間と人間が築ける事実に感動した。それほど深い交わりなのだ。

愛されキャラ

村山さんは病気の影響もあり、頰が膨れたふくよかな体型だった。命あるものの尊さに誰よりも自覚的だった彼は、自然に伸びる髪や爪を切ることを嫌がったという。

棋士仲間からは会うとホッペをつねられたり、「肉丸くん」とあだ名を付けられたり、その独特かつ自然体な雰囲気はみんなから愛されたようだ。

画像3

実際、読み進めていくと村山さんのことが愛しくてたまらなくなってくる。素直で、時に頑固で、嘘がない。言動から何から、とにかくかわいいのだ。

もちろん、容貌や雰囲気だけで愛されたわけではない。棋士としても規格外の才能を持ち、努力と研究を惜しまない人間だった。

明日どうなるかも分からない。風に揺らぎ続ける命を燃やし、勝つことこそが生きること、そんな執念を迫力として備えていた。

師匠、家族、棋士仲間…出会ったすべての人の心の水面に、波紋を投げかける男だった。あらゆる人々がこの村山聖に心を突き動かされ、そして畏敬の念を払う描写がある。読者である自分ですらそうだった。

まるで目の前にいる村山聖が一手、また一手と指すように、言い知れない波紋をこちらに投げかけてくる体験をした。
問いかけとは違う、無言の意思がビシビシと響く。どこか生半可な気持ちで生きる自分のことを見透かしているように。

画像7

その真意はまだ分からない。彼が伝えたかったことなんて本当のところは無いと思っている。当然これも本人が書いた自伝ではないのだから。

村山聖の生き様を見て、僕が何を感じとるかだ。あなたが、何を感じとるかだ。

羽生善治との関係性

本の中では、羽生さんと村山さん2人の関係性を描いた場面も多く登場する。同時代のライバル関係であると同時に、お互いを認め合った特別な信頼関係で結ばれていたからだ。

村山さんは極度の負けず嫌いで、同世代の若手棋士や目標とする先輩棋士たちにその闘志を隠そうともしなかったが、羽生さんにだけは違ったようだ。

常に自分の先を走り、数々の偉業を成し遂げながらも全く偉ぶるところがなく、謙虚で飄々とし、弱音を吐くこともなかった羽生さんのことが村山さんは大好きだったという。

画像4


羽生さんの人間性の素晴らしさは、メディアでの印象しか知らない自分でも感じ取るところがあるから、やはり本物なのだろう。

2人の場面を読むと、泣きそうになる。羽生さんと同じように村山さんもまた、どんなに棋士として結果を残しても全くその人柄が変わることがなかったという。誰にも対しても変わらない姿勢で、飄々と生きていた。

だからそんな魂レベルの高すぎる2人が、一切の汚れもなく純粋に付き合っている描写がただただ尊くて、綺麗で、心が揺さぶられてしまうのだ。

お気に入りのパワースポット

東京都渋谷区の千駄ヶ谷に将棋会館がある。
羽生さんら現役のプロ棋士たちはもちろん、かつては村山さんも通った場所だ。

将棋会館の隣には鳩森八幡神社という将棋の神様が祀られた神社がある。偶然にも僕は本書を読む何年も前から毎年のように訪れていた。

きっかけは交差点を挟んで向かいにある紅茶店に訪れたことだった。そのお店のミルクティーがとにかく美味しいのである。
ある時ついでに神社にも立ち寄ってみようと思ったのがキッカケだった。最初はそんな歴史があり、将棋にまつわる場所とは知らなかったのだ。

画像5

境内は広くはないものの、不思議と居心地がいい。僕は過去に宅建試験の合格祈願と、大切な人の病気が治ることを祈願してお参りをした。そしてそのどちらも叶った。個人的にも大切なパワースポットである。

境内には将棋堂があり、大きな王将の駒が奉納されている。

それまでも何度か訪れてはいたけれど、将棋目線では意識したことがなかった。『聖の青春』を読んでからは、なんだか不思議な心地がした。

村山さんが広島から初めて上京したときに降り立ったのがこの千駄ヶ谷なのだ。またあるとき、将棋会館の宿泊施設に棋士であれば泊まれるのに、それを知らなかった村山さんが一夜を明かした場所も鳩森八幡神社である。

何も知らないうちに、村山さんが歩いた道を僕も歩いていた。村山さんが一夜を明かした、将棋の神様がいる場所を、パワースポットとしていた。その事実がなんだかとても嬉しくて、よりいっそう大切な場所になった。

ぜひ村山聖という男の生き様を知ってもらいたい。鳩の森神社にも行ってみてほしい。いずれにしてもあなたはきっと、これまでにないパワーを手にできるはずだから。

画像6

映画版では村山さんを松山ケンイチ、羽生さんを東出昌大が演じた。

サポートが溜まったらあたらしいテレビ買います