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人は皆、自分の解釈する世界の神(ヤハウェ)

「オタクはなぜ自分の意見を頑なに言わないのか」

おれにはオタク友達が数人いる。

考えごとがあるとき、
意見が聞きたくて
彼らに相談したりする。

そしたらこれが、全員ことごとく
自分の考えを言おうとしない。

自分の好きなことや詳しいジャンルには
そりゃ饒舌だ。

でもそこから外れた話題になると、
不思議なほど全く関与しようとしない。

ただの感想を求めたとしても
「わからない」「なにも感じない」

いや、んなわけねーだろ。
無か?おまえは。

そんなことも素直に言えないほど
心理的安全性が低いのかと
傷ついたりしたもんだ。

岡田斗司夫は言う。

 「クリエイター同士の相談は激論しかありえない」

アニメの現場では、
上位者が下位者に一方的に命令する。

納得いかない指示でも下位者は我慢するか、
それともここだけは譲れんと反発するか。

激論から相談がはじまり、そこから妥協点を探す。
その二択しかない。

そうか、オタク的には
自分の意見を言う=闘争なのか。

彼らは無駄な争いを避けるため
意見を言わないのかもしれない。

こう考えてみるとどうだろう。

人は皆、心の中に自分の解釈する世界を持っている。

他者とのコミュニケーションは
お互いの文化的侵略行為。

負けたほうが、相手の思想から影響を受ける。
それは文化的敗北を意味する。

世界の統治者として、自信のない領域で
闘争のリスクを冒すわけにはいかないのだ。

 「自閉症は津軽弁を話さない」

同タイトルの書籍がある。
タイトル通りの検証と研究が内容だ。

自閉症児は
対話コミュニケーションから
知識を蓄積しない。

知識は全て文献(アニメや映像含む)から
仕入れるので、方言は話さず標準語になる。

自閉傾向が改善した児童が
方言を話すようになった事例まであるそうだ。

  急にオタクやクリエイターを
  自閉症と同列に語るのか?と
  困惑されるかもしれない。

  でもおれは思う。

  すべての障害診断は
  グラデーション構造になっており
  健常と障害の境目なんて曖昧なものだ。

  誰だって、話の通じない奴と対峙したときは
  心を閉ざし、当たり障りのない返事で
  その場をやり過ごす。

  その症状が極端で、
  ON/OFFの切り替えが下手な人を
  医者が勝手に障害認定するだけだ。

  医者によって判断の変わる
  ぜんぜん当てにならないもの。

しかし、対話=侵略合戦って
めちゃめちゃ男性的な脳みそだな。
バイキングかよ。

そう思って「自閉症 女性」で検索してみる。

するとすぐに女性が少ないってのが分かり、
「自閉症は極度な男性型脳」仮説まで出てきた。

やっぱりそうか。
こりゃおれの考えぜったい当たってるわ。

人は皆、心の中に自分の解釈する
もう一つの世界があり、その統治者だ。

そう考えると、彼らの頑なな態度も愛しくなる。

それほど自分の世界を愛し、
大切に扱っているのだ。

なんと豊かな精神だろうか。

すべての思想は死ぬほど尊く、
何者にも侵されるべきではない。

そう思う。

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