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第2章:甲殻類の幼生転移

<カイカムリのゾエア幼生>

カイカムリの属するカイカムリ上科Dromioideaでは、ゾエア幼生として孵化するものと、さらに発生の進んだメガロパ幼生として孵化するものの二つが知られているが、カイカムリは前者に属する。ゾエア幼生そしてメガロパ幼生を経て、変態を遂げて成体になる。

ゾエア幼生の形質の比較を行った結果、カイカムリのゾエア幼生には、他の近縁種のゾエア幼生にはない幾つかの特徴が見られた。

・ ゾエア幼生の段階で、前肢の外肢が発生すること。これは、異尾下目Anomuraの祖先の特徴である。

・ 胸部のeyepodの数が、異尾下目Anomuraのものよりも多い。これは、他のカイカムリ上科Dromioideaには見られない特徴である。

この二つの特徴は、異尾下目Anomuraのゾエア幼生を作る遺伝子が、カイカムリに幼生転移によって移動したことを示唆する証拠と考えると、カイカムリは、元々は独自のゾエア幼生を持っていたが、何らかの要因でゾエア幼生が不要になり、メガロパ幼生からスタートする生活史になった、と考えられる。つまり、異尾下目Anomuraの一種と交配し、その結果生まれた雑種は、ゾエア幼生として孵化し、異尾下目Anomuraのゾエア幼生を自分の生活史の中に挿入する形で利用できるようになったと考える。このゾエア幼生を作る遺伝子は、カイカムリのメガロパ幼生を作る遺伝子よりも優先的に発現できるため、メガロパ幼生よりも先の時期にゾエア幼生ができあがり、ゾエア幼生として孵化したものと考える。


<Dorhyncus thomsoniのゾエア幼生>

Dorhyncus thomsoniは、カイカムリとは異なり、Majideaに属する。ゾエア幼生として孵化し、メガロパ幼生を経て成体になる。成体ではMajideaに属するInachus dorsettensisに近縁になるが、幼生ではホモラ科Homolidaeに属するHomola barbataに近縁になる。

カイカムリと同じく、ゾエア幼生の形質を比較すると、近縁の種にはない特徴が見られる。

・ 胴体の甲皮にのみ棘が14本も見られる。他のMajideaでは、嘴の部分を含めて4本しか見られない。

・ 腹部のほとんどの体節に2本ずつ棘が生えている。

これらの特徴は、Homolaのゾエア幼生の後期に見られる形質である。従って、Homolaのゾエア幼生を作る遺伝子がDorhyncusに転移されたのだろう。しかし、Homola Barbataの成体にはDorhyncus thomsoniの成体ほど痛々しい棘は生えていない。つまり、Homolaのゾエア幼生を作る遺伝子が働くだけでゾエア幼生が作られるとは考えにくい。むしろ、その遺伝子の中で、甲皮と腹部の棘を担当する部分が働いているものと考える。

雑種の体内では転移されたHomolaの遺伝子は存在するが、機能してはいなかったが、棘を作る遺伝子は再び働き出したため、今のような鋭い棘を携えたゾエア幼生になったのだろう。


<その他の甲殻類でも幼生転移が考えられる>

幼生転移の可能性が考えられるのは、先に述べた2種のカニだけではない。ウィリアムソン博士は、甲殻類の大部分において、幼生転移があったと考える例を数多くあげている。彼が執筆した論文に出てくる甲殻類の幼生と、甲殻類が一般的に通過する発生段階に当てはめた表を下に示す。


     <ノープリウス>   <ゾエア>         <メガロパ>

オキアミ目   ○      カリプトピス・フルリキア    キルトピア

クルマエビ亜目  ○      ミシス           ポストラーバ

イセエビ下目   ×      フィロソーマ         プエルルス

ツルアシ類   ○       キプリス              ×


ゾエアおよびメガロパ幼生では、目・類によって形態が異なるため、名称も異なるが、ゾエア・メガロパの部類に入るものを表の中に入れた。この表の中から、幾つかを選んで、幼生転移の可能性について述べていきたい。


<ノープリウス幼生とnaupliomorph>

ノープリウス幼生の体は頭・胸・腹部に分かれており、2対の触角と1対の大顎、そして両眼・口と消化管を持つ。この幼生で孵化するのは下等な甲殻類のみとされ、大部分の甲殻類では、胚発生の段階で通過してしまう(胚ノープリウスと呼ばれる)。最初の章で、フジツボとクルマエビの幼生を紹介した。博士は、ノープリウス幼生の源を甲殻類ではなく、現存しないノープリウス様節足動物naupliomorphに求めた。そして、このnaupliomorphが様々な甲殻類ひいてはそれ以外の節足動物に幼生として広まったのでは、と考えた。


また、フジツボでは、一回から複数回にわたり幼生転移が起こったと考えた。しかし、この転移は、フジツボの成体の形が多様化した後に起こったため、幼生の甲皮の形等の形質でフジツボそのものを分類する指標にはできなかったものと考える。


Martinssonia elongataはノープリウス幼生を獲得した好例としてあげられる。元々の祖先は、分節化した体と棘のある尾を持った甲殻類だが、naupliomorphとの雑種形成でノープリウス幼生を獲得したものと考える。


<キプリス幼生とフジツボ・キンチャクムシ>

キプリス幼生は甲殻類ツルアシ類の幼生で、ゾエア幼生に相当する。名前は、貝虫類のオオカイミジンコCyprisに似ていることからついた。ノープリウス幼生からキプリス幼生への脱皮で、それまでの三角形の甲皮を捨て、二枚貝の殻のような甲殻を作る。そして成体への脱皮の際に、体を180度回転させて稚個体となる。この時期に胸肢は成体のツルアシになる。

博士は、ツルアシ類(例えば、フジツボ下綱フクロムシ目のrhizocephales)のキプリス幼生は、cirripede(フジツボ目)あるいはascothoracian(キンチャクムシ目)が源であり、

そこから幼生を獲得したのでは、と考えている。ただし、本類は節足動物の特徴が多いため、甲殻類ではないと考える。


<ゾエア幼生とmysidacean>

ゾエア幼生は、ノープリウスの次に続く幼生世代である。胸部にも何対か付属肢ができる。ゾエアの形質を数多く持つmysidaceanが源で、この遺伝子が、クルマエビ亜目やコエビ下目等の甲殻類に転移されたのでは、と博士は考える。さらに、クルマエビ亜目が獲得したゾエア幼生はエビ亜目に、コエビ下目で獲得されたゾエア幼生は、博士の提唱したアンフィオディニウム目に転移されたものと、博士は考える。

ゾエア幼生の前段階としてプロトゾエア幼生というのがある。これに関しても、博士は考察している。化石でのみ存在が確認されているplenocarid(バージェス頁岩より発掘された節足動物である)がプロトゾエア幼生の源で、これと甲殻類の一種との間に生まれた雑種から、エビ亜目に幼生の体を作る遺伝子が転移されたものと考える。


<フィロソーマ・ミシス幼生の起源>

フィロソーマ幼生・ミシス幼生は、両者ともゾエア幼生に相当する。前者は、体は大形、扁平でガラスのように透明であり、後者は、腹部が伸長し、発達した胸肢で泳ぐ。博士は、フィロソーマ幼生は、絶滅種の節足動物が源で、ミシス幼生も甲殻類以外の節足動物が源になっているのでは、と考えている。


<メガロパ幼生について>

メガロパ幼生・ポストラーバ幼生・プエルルス幼生は、いずれもゾエア幼生に続く幼生世代である。胸肢のみならず腹肢も遊泳に適した形に発達する。博士は、メガロパ幼生、ポストラーバ幼生(クルマエビ亜目:メガロパ幼生に相当)、プエルルス幼生(イセエビ亜目:メガロパ幼生に相当)は、いずれも幼生転移によるものではなく、元々あった幼生世代では、と考えている。


<多相生活史を担う幼生達の起源>

多相の生活史をもつ甲殻類として、オキアミ目があげられる。博士は、キルトピア幼生(メガロパ幼生に相当)は独自のものであるが、それ以外のノープリウス幼生およびカリプトピス・フルリキア幼生(それぞれゾエア幼生の前期および後期に相当)は全て余所の動物からの幼生転移で得たものでは、と考えている。

 また、一生遊泳生活を送るサクラエビ科Sergestidaeは、成体になるまでに4回変態を行い、ノープリウス・プロトゾエア・ゾエア・ポストラーバは、それぞれnaupliomorph、plenocarid、mysidacean、そして未知のポストラーバ様の甲殻類との雑種形成によって獲得されたのでは、と考えている。


使用文献

Larvae and Evolution Donald I Williamson著 CHAPMAN&HALL 1992年

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