第15章:幼生転移の可能性を展望して

<雑種形成について知られているデータ・実験>

博士の訃報は、2016年のJournal of Crustacean Biology誌に掲載された。生物学者になるまでにエピソードなどが記載されていたが、とりわけ注目の情報は、「21世紀に読む種の起源」の著者ジム・シャピロ氏が、2015年に博士に面会したことがあった、というものだった。シャピロ氏自身も、自著で博士の仮説を紹介しており、未だ裏付ける証拠は揃っていないが、21世紀の進化生物学において実証すべき新しい発想と評価している。以下が博士の発言である。

「幼生および成体の時期のみに特異的に発現しているRNA配列を解析することで、各RNAの系統関係も明らかになるのではないか?」


そもそも、博士が論じ続けた動物の雑種形成は、自然界でどの程度可能性のあるものなのだろうか?ドイツ連邦共和国のゲーテ大学のクラウス・シュウェンク博士らが、2008年のPhilosophical Transaction of the Royal Society B誌に、発見されている雑種の数に関して報告している。異なる情報源から2点を紹介している。この論文の表1はZoological Recordのデータベース(1947-2007年)に記録された動物種の数および雑種の記録がある種の数を掲載しているが、私自身で、雑種形成で生まれた種の割合を単純計算してみた。

・節足動物:昆虫類0.011%、甲殻類0.0049%、鋏角類0.0041%、その他0.0029%

・脊椎動物:哺乳類0.011%、両生類0.029%、鳥類0.014%、は虫類0.0091%

・軟体動物:頭足類0.0016%、二枚貝類0.0012%、腹足類0.0083%、その他0.002%

・環形動物:0.0026%

・棘皮動物:0.0087%

・海綿動物;0.0059%

・線形動物:0.0079%

ものすごく小さな数に思えるが、元データは分母が数千から数十万の単位なので、決して一つや二つといった数値ではないことを断っておく。

筆者らは、このZoological Recordの同情報を基に、横軸を記載種の数の対数、縦軸を雑種の記録がある種の数の対数として、グラフを作成した。その結果、95%信頼区間で正の相関性があることを確認した。つまり、種の数が多いだけ、雑種形成も起こりうる、ということになる。その確率は約1%になるとのことである。上記で単純計算した結果よりも随分と高いが、自然界には異種間の雑種はわずかながら発生しうる、ということなのだろう。異系統になれば更に希少であろうが、決して可能性がないとは言い切れない。


実際、博士以外にも、異種間・異系統間の精子・卵を接合させ、受精の可否、受精後の発生を観察した報告は数多く検索できる。これらは実験環境を整備しているので自然界とはいえないが、博士の主張である「異系統間の雑種形成」に最も近い報告は、実は日本国内であったのである。棘皮動物と軟体動物の雑種形成実験である。

東北大学のオサナイ博士らが1982年のGamete Research誌に、キタサンショウウニTemnopleurus hardwickiiの卵とマガキCrassostrea gigasの精子で受精を観察している。元々は受精における先体反応の仕組みなどを研究する目的があったようだが、受精後の発生進行についても報告されていた。多くの胚が卵割期や胞胚期で停止するが、数個の胞胚は遊泳する胞胚期、原腸胚を経てプルテウス幼生になった。形態に異常は見られたものの、骨片のパターンは通常のプルテウス幼生と類似していた。なお、雑種形成が研究目的ではないためか、卵と精子の逆の組み合わせについては、一切記述がなかった。

この異系統間の雑種形成の結果は、通常のプルテウス幼生と実際の掲載写真を見ても代わり映えはない。しかし、棘皮動物を使った異種間の雑種形成実験では、予想外の結果を得られる報告が、この報告より20年近く経って世に出た。

インディアナ大学のラフ博士らが1999年のDevelopment誌に、Heliocidaris tuberculataの精子とH.erythrogrammaの卵を受精させて、その後の発生を観察した結果を報告した。同属異種のウニになり、前者はプルテウス幼生を経て成体になる間接発生、後者は幼生とは異なる球状の形態を経て成体になる直接発生、になる。卵を氷酢酸による処理で卵のゼリー層を剥がした上で受精を行い、個体発生を観察した。その結果、いずれの発生過程にも類似しない、ディプリュールラ様の幼生となった。当時の知見では、ウニとそれ以外の棘皮動物では4億5千万年前に分岐したとされ、現在保有する遺伝情報で、先祖返りともいうべき太古の遺伝情報が発現されたと考察された。卵と精子の逆の組み合わせでは、発生は原腸胚で停止したことも確認されている。

博士が実施した雑種形成実験では、本論文を基とした酸を用いたゼリー層の除去を実施している。


<幼生転移仮説を生物情報科学で掘り下げて>

雑種形成実験をすべての動物に実施することはほぼ不可能に思われる。というのも、飼育方法や生殖方法、生育環境、生活史、その他無数の条件が解明された動物でしか実施できない方法であり、魅力的ではあるが、人類の福祉に還元できる理由の見つからない純粋な自然探究の領域でもあり、実施する科学者も、潤沢な資金を提供する支援者も、この先現れることはないだろう。したがって、雑種形成実験の後に続く英雄が世に出るとは考えにくい。本当は毎年出てほしいが。

しかし、幸いなことに、次世代シーケンスや人工知能など生命科学の技術革新が急速に進んでいることも事実であり、幼生転移仮説が証明される日が来るとすれば、生物情報科学(バイオインフォマティクス)の手法による報告になると思われる。博士が2015年にシャピロ博士に伝えた「幼生世代に特異的なRNAの解析」はこの手法なくしては進まない。以下に、2件の報告を紹介する。

オーストラリアのサンシャインコースト大学のベンチュラ博士らは、2014年のScientific Report誌に、イセエビの一種Sagmariasus verreauxiのフィロソーマ幼生からプエルルス幼生に変態するまで、複数の時期に分け、それぞれの時期に特異的に発現する遺伝子のデータ解析の結果を報告した。数多くの知見が得られたが、とりわけフィロソーマ幼生の中期にのみ、spzという分泌性タンパク質が発現していることを見いだした。このspzはそれ以外の発生段階ではほとんど発現が見られない。Spzはショウジョウバエの発生研究ではspatzleと言う名前で知られ、背腹軸の形成に関与していることが知られている。このspatzleはToll-like Receptor (TLR)と結合して自然免疫に関わるシグナル伝達としても知られており、形態形成と免疫系がどのように関連し合っているのか、興味深いところである。本論文にはspzの分子系統樹が発現データの隣に掲載されているが、既知の少数の甲殻類のみの対象に留まり、幼生転移を肯定するような、甲殻類以外の動物が近縁に位置することはなかった。

もう1件は、中華人民共和国の中国海洋大学の研究チームによる、トロコフォア幼生を持つ動物を中心に転写産物の大規模なデータ解析を行った論文である。2020年のNature ecology & evolution誌に掲載された。発生段階ごとに特異的に発現している遺伝子の数を基に、TAI(transcriptome age index)という計算手法で転写産物の年齢を評価した、というものだ。計算手法は別の科学者が開発した模様だが、この手法では、一般的に歴史の新しい遺伝子は発現量が多い、歴史の古い遺伝子は発現量が少ない、ということが明らかなので、発生段階ごとに発現している遺伝子が新しいか古いか区別できるようだ。結果、トロコフォア幼生に特異的に発現する遺伝子が最も若いということになった。その上位10個のうち、caveolin、innexin、ATP1Bの3点は際立っていた、とのことである。caveolinおよびinnexinはどの動物のトロコフォア幼生の頭頂部で発現していることが知られており、ATP1Bは発現の時期が他の2点より早いことから、歴史的に成体が最初に生まれ、幼生形態は後から成立したのではないか、と考察している。

注目の3点の因子は、検索では以下のようなタンパク質と思われる。

caveolin:カベオラ(膜構造の一種)の骨格を形成、カベオラは食作用などに関与

innexin:無脊椎動物のギャップ結合を形成

ATP1B:ATP合成酵素のサブユニット

幼生の種類ごとに、TAIのスコアの高い遺伝子の組み合わせが異なるのだとしたら、幼生転移仮説の結果を推測できるかもしれない。ただし、TAIの計算手法は、各発生段階の転写産物数を転写産物数の合計で割るという数式のみであり、本当にこの手法を信じて良いのか、戸惑いを覚える。

分子系統樹を(自身で作成できないとはいえ)見慣れてきたこともあり、水平移動で移入した遺伝子の分子系統樹を描くと、陸上生活の動物なのに海底に住む細菌の遺伝子由来だった、といった結果を最も見たいと思う。イセエビのspzの分子系統樹にしても、基のデータが豊富になれば、近縁の甲殻類のみで固まった集まりができるような、ありきたりな結果にはならなくなるのではないだろうか。


使用文献

IN REMEMBRANCE OF DONALD WILLIAMSON (6 JANUARY 1922-29 JANUARY 2016), PLANKTOLOGIST, CARCINOLOGIST, AND EVOLUTIONIST: A METAMORPHOSIS Richard Hartnoll著 Crustacean Biology, 00(0), 1-6, 2016

Introduction. Extent, process and evolutionary impact of interspecific hybridization in animals Klaus Schwenkら著 Philosophical Transactions of the Royal Scoiety B (2008) 363, 2805-2811

Cross Fertilization Between Sea Urchin Eggs and Oyster Spermatozoa Kenzi Osanaiら著 Gamete Research 5:49-60 (1982)

A novel ontogenetic pathway in hybrid embryos between species with different modes of development Elizabeth C.Raffら著 Development 126, 1937-1945 (1999)

Redefining metamorphosis in spiny lobsters : molecular analysis of the phyllosoma to puerulus transition in Sagmariasus verreauxi Tomer Venturaら著 Scientific Reports 2015年 DOI:10.1038/srep13537

Evolutionary transcriptomics of metazoan biphasic life cycle supports a single intercalation origin of metazoan larvae Jing Wangら著 Nature ecology & evolution 2020年 https://doi.org/10.1038/s41559-020-1138-1

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