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本の虫 「本当に虫!」 本に虫|ふあんクリエイターの推理日誌

紙層に埋まりし虫と単語

 ある観点において、本はページ数の多いものが好み。

 読みごたえがあるから。いや、紙が何層にもなって、ズシっと詰まっているフォルムが好きだから。「本」を「もの」として見た場合のお話。

 紙の層は、大地の層のよう。まっさらな新品ではなく、白茶けて、黄味がかったものにロマンあり。古びた分厚い辞書は最高!と、小学生あたりからテンションが上がっていた記憶。

 放課後、学校の図書室で、文字を読むでもなく、めくり続けた時期があった。傍目からは、本を読み漁っているように見えたかもしれないけれど、実は全く読んでいない人。紙の手ざわりと、繰り返し紙をめくる行為そのものから生まれる穏やかな時間。紙大好き。

 そして、目的は主に二つ。

 一つ。本に挟まれた虫を見つけること。古ぼけた本から、紙と同化した茶色の虫が出てくると「三葉虫、発見!(違う)」とか。本を地層に見立てて発掘ごっこができるのです。あの虫は、紙の魚と書いて「紙魚(シミ)」などと言うらしい。だから、文章を読んでいなくても、読み「漁」っていたのは、ある意味本当のこと。知識の海、という言い回しを聞いたことがあるけれど、あの言葉はこのためにあるのではなかろうか?なんて。

 二つ。こちらは辞書に限る。一生使いそうにない単語をさがすのだ。用例も思いつかないし、たとえ用例があったとて、口にもしないし書きもしないだろうというもの(わたしは辞書に載っている単語のうち、何割を使えているのだろう)。その中から、使わないof使わないを厳選。しかし、それらの単語はめくるたびに忘れていき、閉じて忘れる。まれに覚えたとしても、帰り道で抜け落ち、家で埋もれゆき、一晩寝たらもう、さよならである。


 ここで、一生を終えたんだね。

 この単語、一生使わないな。


 本を閉じた瞬間に、わたしと虫、わたしと単語の、今生の別れ。いずれも一期一会の、別れかたの練習。

[つづく]

うさぎのおやつ代になります。(いまの季節は🍎かな)