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大量に本を読むことになった話

大量の本を読んだことについて、以前の投稿でちらっと触れた。休職して、まずは日中は起きていることのみが求められて。その後、可能な時に「作業」をしてみましょうとなったので30分のゲームから始めた。30分のゲームが3時間できるようになったところで、作業内容に指定が入り、読書をしてくださいと言われた。絶望であった。


わたしは元来、本を読まない人間だ。義務教育時代には学校が設けた強制的な読書時間にしか本を読まなかった。高校時代は本を読んだ記憶がほんとうにない。大学生になって、周りに読書が好きな友達が何人かいて、合いそうな本をおすすめしてもらって何冊か読んだ。それがバッチリ合っていたわけでもなかったので、本は続かなかった。映画とかドラマとかアニメのほうが面白かった。


本を読むことは楽しいと思えず、また知識教養として読むべきという義務感もなく、むしろ、何事も電子化された時代に紙の本を電車で読むのはオシャレかもしれない、という不純な動機で、社会人になると通勤時間にエッセイを読んでみようと思った。ぽつぽつと読んできたが、一番読んだのは平松洋子だと思う。表紙がいちいちおいしそうなんである。食べることと料理が好きなので、本の中で紹介されているおいしい店に行くのが良くて、文字だけのグルメ情報誌のように捉えていた。


それが、読書をしてください。である。なんならこの先は一日中図書館に行って読書をしなければならないらしい。そういえば、休職して復職した同期から、通勤しては本を読むだけの日々を過ごしていてつらいんだよ~という話を聞いたことがある。一度会社に行けなくなった人間は、一日中読書ができることを証明しなければ、元の生活には戻れないのが世のルールであるようだ。


一日中読書するよりだったら、仕事のほうがよくない??普段読書を進んでしない人間なのでそう思ったし、この話を会社に行けている人にすると、同じことを言う。仕事のほうがいいと思わせるのが、医者の作戦なのでは?とまで言われる。メールを書いたり、人と話したり、Excelと睨めっこするほうがバリエーションがあっていい。しかし、そこには責任とプレッシャーがついてくるので、一日中だろうと読書していた方がやっぱり気楽なのかもしれないが、いやでも、それはそれで苦しみがあるだろう。


苦しみとは段階的に向き合った。まずは1日3時間家で読む。その後、午前中3時間家で読んで、午後1時間半図書館に行って読む。午前中3時間家で読んで、午後3時間図書館に行って読む。午前中3時間家で読んで、午後4時間図書館に行って読む。朝から図書館に行き、9時から5時まで読む。電車でいくような場所にある図書館に行き、9時から5時まで読む。


午後の読書時間はわりと刻んでいったが、正直あまり強度に変化は感じなかった。しかし、徐々に読書時間が延びるにつれて、恐ろしいほどの冊数を1週間でこなしていることに気づく。


1週間で8冊とか読んでしまうのだ…。


普段本を読まない人にはお分かりいただけるだろうが、8冊というのは、普段本を読まない人で言えば2~3年で読む冊数ではないだろうか??仕事で必要だからやむを得ず読む本とかでやっとこの程度ではないだろうか??そんな人はわたしだけじゃあるまい。


家だけで本を読んでいた時は、気になった本をブックオフで買って読んでは売るを繰り返していたが、図書館に通うようになって読んでしまう冊数が飛躍的に増えたので、ありがたいことに無料で、図書館で何冊も本を借りて読みまくっている。


普段本を読まないなら、何を読めばいいかわからず途方に暮れるのではないかと思ったが、次に何を読むかというアイディアは意外と浮かんでくる。まずは評判が良さそうな本を読み、その中から気に入った筆者の本を数冊読み、読んだ本の中で紹介されている本を読み、読んだ本の内容で気になったトピックを扱う本を探して読み、人に紹介してもらって読み…という感じに。


こうして読んでいくうちに、今年に入ってから60冊は読んでいる。


あんなに本を読まなかったわたしが…感動して?涙もんである。現在に至っては、読めば読むほどあれも気になる、これも気になるという状態になってきている。


でもやっぱり読書が好きかと言うと、残念ながらそれは違うということがわかる。「作業」をする必要がない休日は、全く本に手が出ないからだ。テレビとかYouTubeとか、受動的に見れるものを見てダラダラしている。本が好きになっていたら、気になる本を休日でも読みたいと思うんじゃないかと思う。


仕事に復帰したらどうなるだろうか。「作業」として本を読む必要がなくなった時、わたしは本を読む気になるのだろうか。小説なんかは大量に本を読む以前の印象から一番変化があって、以前よりはかなり魅力的に感じるので、通勤時間にちまちまと読んでみる気になるだろうか。せっかくできるようになったことなんだから、継続してみたいとは思うが、それができなかった事例が過去にあるので自信はない。車を運転しなくていい環境になったら、全く車を運転しなかったわたしですので。今はもう、運転できるか自信がない。


でも本を読むことでしか知ることができない世界も、あるような気がしている。他の誘惑は多かれど、その世界のためにスマホを置き、テレビを消し、本を読む価値は今現在も十分あるような気がしている。その気配に気づけただけでも、本を大量に読んでよかったと思う。

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