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「暦・カレンダー生活に関するエトセトラ」(第5回)「10月下旬~12月上旬についての小話」)


「霜降」(そうこう)

 2022年10月23日は、二十四節季のひとつ「霜降」(そうこう)でした。「霜降」は「寒露」と「立冬」の間に位置しています。

 霜降の時期になると朝晩の冷え込みがさらに増し、北国や山里では霜が降りはじめるようになります。露が霜に変わり、だんだんと冬が近づいてくる時期でもあります。


「十三夜」(じゅうさんや)

Ⅰ「秋の十三夜とは?」

2023年10月27は旧暦9月13日にあたり、「十三夜」でした。「十三夜」は、日本の伝統的な祭りや風習に関連する日付です。これは、旧暦(太陰暦)を基準とした日付であり、新暦(太陽暦)では毎年の日付が異なります。新暦の日付に換算するためには、旧暦からの日数を計算する必要があります。

「十三夜」は、旧暦9月の13日目を指し、主に秋の季節に関連しています。この日は、日本の農村地域で農業と収穫に関連する祭りや儀式が行われることがあります。以下に、十三夜の特徴や関連する風習について説明します:

  1. お供え物と祭り: 十三夜には、収穫の豊作を願い、農作物や新鮮な食べ物が神仏に捧げられます。神社や寺院にお参りし、感謝の気持ちを表すことが一般的です。

  2. 月見: 十三夜は、満月が出ることが多い日であり、この日には「月見」と呼ばれる行事が行われます。家族や友人が集まり、月を楽しみながら団欒を楽しむことが一般的です。特に団子や秋の味覚を楽しむことが多いです。

  3. 節句: 十三夜は、「中秋の名月」とも呼ばれ、日本の伝統的な節句(季節の行事)の一つです。この日には、子供たちにお月見団子を食べさせ、お月見の歌を歌ったり、月にまつわる童話や伝説を語ることがあります。

  4. 田植え祭り: 一部の地域では、十三夜を田植え祭りとして祝うこともあります。新しい田んぼに種をまく儀式が行われ、農作業の始まりを祝います。

十三夜は、日本の季節の変化や自然の恩恵に感謝し、収穫の成功を願う機会として、家族や地域社会が一堂に集まる大切な日です。それぞれの地域や家庭で異なる風習があるかもしれませんが、共通して秋の訪れと豊かな収穫に感謝する日として祝われています。秋の十三夜と十五夜の違いを説明してください。

Ⅱ 「十三夜」と「十五夜」の違いについて

秋の十三夜と十五夜は、日本の季節の行事や祭りにおける重要な日付ですが、それぞれ異なる意義と風習が関連しています。以下に、秋の十三夜と十五夜の主な違いを説明します:

  1. 日付:

    • 十三夜(じゅうさんや、じゅうそうや): 十三夜は、旧暦9月13日を指します。この日は旧暦を基準とした日付で、毎年の新暦の日付が異なります。

    • 十五夜(じゅうごや、じゅうごせんせつ): 十五夜は、旧暦8月15日を指します。十三夜よりも2日早い日にあたり、こちらも新暦の日付が毎年変わります。

  2. 意義:

    • 十三夜: 十三夜は、秋の収穫に感謝し、満月を楽しむ行事として知られています。主に収穫祭と月見を結びつける日として祝われ、お供え物や団子を食べる習慣があります。

    • 十五夜: 十五夜は、中秋の名月(旧暦8月の満月)を祝う日で、お盆の期間とも重なります。この日は、満月が美しいとされ、お月見団子やお団子を食べながら月を楽しむことが一般的です。また、中秋の名月には、家族が一堂に集まり、感謝の気持ちを表す儀式が行われます。

  3. お供え物:

    • 十三夜: 十三夜には、新米や秋の収穫物、季節の野菜などが神仏に捧げられます。これは収穫の成功と食物への感謝を示すものです。

    • 十五夜: 十五夜には、お月見団子と呼ばれる特別な団子が供えられます。この日には、満月を拝みながらこの団子を食べることが一般的で、団子の形状は満月を象徴しています。

これらの日付は、日本の季節の移り変わりや自然の恩恵に感謝し、家族や友人との団らんを楽しむ機会として重要です。秋の十三夜と十五夜は、日本の文化と風習における美しい伝統です。

Ⅲ「秋の十三夜」が、月が少し欠けているのに、祝われる理由について

秋の十三夜が月が欠けているにもかかわらず祝われる理由は、日本の伝統的な太陰暦に基づく祭りや風習に関係しています。旧暦を基準とした日付において、特定の日に特別な意味が付けられ、祝いの機会とされることが一般的です。以下は、月が欠けている十三夜が祝われる理由のいくつかです:

  1. 収穫の準備と感謝: 十三夜は、秋の収穫が本格的に始まる時期であり、収穫前の祝い事として捉えられています。月が欠けている段階でも、農作業において準備が進行中であり、農民や農家は収穫の成功を祈り、感謝の気持ちを表す日として十三夜を祝います。

  2. 月の周期と季節の変化: 旧暦における月の周期は、新月から満月への変化を反映しています。そのため、満月以外の時期でも月に感謝し、その変化を祭りに結びつける伝統が生まれました。月が少し欠けている十三夜も、月の周期の一部として祭りに取り入れられたのです。

  3. 神秘的な要素: 月は古代から神秘的な要素を持ち、多くの文化で重要視されてきました。月が欠けている時期も、その神秘性を讃え、祭りの対象となります。月の満ち欠けによる季節の変化や潮汐の影響などが、古代の人々にとって重要な要素であったためです。

総じて、秋の十三夜は、日本の農業と収穫に感謝し、家族や地域社会が一堂に集まる機会として祝われる日であり、月の満ち欠けに関連した風習として受け継がれています。この祭りは、農作業や季節の変化に根差した日本の文化と信仰の一部として存在しています。


「ハロウィン」(10月31日)

Ⅰ「ハロウィン」の成立過程と歴史について

ハロウィンの起源は、古代ケルト人の祭りであるサムヘイン(Samhain)にさかのぼります。これは、収穫の終わりと冬の到来を祝う祭りで、10月31日に行われました。古代ケルト人はこの日、亡くなった先祖の霊が現世に戻ってくると信じ、さまざまな儀式を行いました。

キリスト教がヨーロッパに広まると、サムヘインは11月1日の諸聖人の日(All Saints' Day)と11月2日の追悼の日(All Souls' Day)に結びつけられました。この日は亡くなった人々を追悼し、祈りを捧げる日とされました。
ハロウィンとしての現代の形態は、アイルランドからアメリカに移民した人々によって発展しました。アメリカでは、異なる文化や伝統が結びつき、トリック・オア・トリートの風習が生まれました。これは子供たちが家々を回り、お菓子をもらうか、いたずらを仕掛けられるかの選択を提供するもの
です。

ハロウィンは、アメリカを中心に大衆文化に広がり、仮装やホラーの要素が加わり、現在の祝祭として定着しました。ハロウィンは、さまざまな国や地域で異なる形で祝われており、子供たちから大人まで楽しまれる祭りとなっています。

Ⅱ「日本でハロウィンの風習が盛んになってきた時期について」

ハロウィンの風習が日本で盛んになり始めたのは、おおよそ2000年代からです。最初は主に外国の文化として導入され、特に若い世代や都市部で注目されました。日本の子供たちは仮装してトリック・オア・トリートを楽しむようになり、多くの商業施設やお店もハロウィン関連のイベントを行うようになりました。

日本の学校や幼稚園でも、ハロウィンをテーマにした行事が行われ、子供たちが仮装して楽しむ機会が増えました。また、ハロウィン関連の商品や飾り付け用品も販売され、家庭や職場でもハロウィンの雰囲気を楽しむことができるようになりました。

このように、日本でのハロウィンの盛んさは、2000年代以降急速に拡大し、多くの人々が楽しむ季節的なイベントとなっています。

Ⅲ 「欧米諸国と日本とでのハロウィンの際の違いについて」

日本において、ハロウィンの日に仮装した子供たちが近所の家を回りトリック・オア・トリートを行うことは、一部の地域や家庭では行われていますが、一般的な文化としては他の国ほど一般的ではありません。ハロウィンは主に仮装を楽しむ機会や、パーティー、商業的なイベントとして人気があります。

一部のコミュニティや住宅地域では、子供たちが仮装してドアベルを鳴らり、お菓子をもらうというアクティビティが行われていることもありますが、これはまだ一般的な習慣とは言えません。また、日本の文化にはお祭りや季節ごとのイベントが多く、ハロウィンは他の伝統行事と競合することもあるため、地域によって異なることがあります。
総じて言えば、ハロウィンが日本で根付いた文化としては、仮装を楽しむことやハロウィン関連のイベントに参加することが一般的ですが、トリック・オア・トリートが一般的な風習として浸透しているわけではありません。

Ⅳ「ハロウィン」と「かぼちゃ」の関係について

ハロウィンとかぼちゃの関係は、特にジャック・オー・ランタン(Jack-o'-Lantern)という伝統的な装飾に関連しています。ジャック・オー・ランタンはくり抜かれたかぼちゃに顔を彫って、ろうそくを中に置くことで作られる、ハロウィンの象徴的なアイテムです。

この伝統はアイルランドから始まり、伝説に登場するジャックという男の物語に由来しています。ジャックは魔王と交渉し、その結果、魔王によって地獄に入ることが許されず、天国にも入れないという境遇に追い込まれました。ジャックは、かぼちゃをくり抜いてろうそくを入れ、永遠にさまようことを決意しました。これがジャック・オー・ランタンの原型となりました。
アメリカでは、この伝統的なアイディアがハロウィンの一部として採り入れられ、かぼちゃが使われることが一般的になりました。人々はハロウィンにかぼちゃを選んでくり抜き、恐ろしい顔を彫って、ろうそくを灯すことで、ジャック・オー・ランタンを作成します。これはハロウィンの夜に家の前に並べられ、お化けや悪霊を遠ざけるための防御的な装飾とされています。

したがって、ハロウィンとかぼちゃの関係は、ジャック・オー・ランタンという伝統的なアイテムを通じて深く結びついており、かぼちゃはハロウィンの象徴的な要素となっています。

Ⅴ「渋谷などの繁華街などに多数の若者たちが集まることは、ハロウィン本来の趣旨とはまったく異なる」

日本の都市部、特に渋谷では、ハロウィン当日の夜に多くの若者が仮装をして集まり、街中で祭りを楽しむことが一般的になってしまっていました。これはハロウィン本来の歴史や伝統とは直接の関係はありません。むしろ、外国のカルチャーとして導入され、祭りや仮装パーティーといった要素を楽しむための機会として捉えられてしまっていたのです。

これらのイベントは、日本の若者やカルチャーシーンにおいて楽しい時間を提供し、仮装や写真撮影、パレード、クラブイベント、ストリートフード、音楽、ダンスなど、エンターテイメント要素が強調されています。従って、日本の都市部でのハロウィンの祝賀は、伝統的なハロウィンとは異なるアプローチとなってしまっていました。

しかし、一方で、かぼちゃやジャック・オー・ランタンを使った装飾や、ハロウィンにちなんだ商品や飾りつけが、一般の家庭や商業施設で見られることもあります。ハロウィンが日本において、文化的な要素として広まったことは事実ですが、「渋谷などの繁華街での若者たちの集まり」と「伝統的なハロウィン」とは別物として捉えることが一般的です。


「霜月」(しもつき)

 「霜月」とは旧暦における11月のことで、読み方は”霜月(しもつき)”となります。

 霜月の意味・由来は諸説ありますが、霜が降り始める月という意味の”霜降り月”からきている説が有力だそうです。

 だんだんと寒くなり、霜が降り始める月という意味の”霜降り月・霜降月(しもふりつき)”が略されて、旧暦の11月である”霜月”になったと言われています。

 ちなみに、旧暦の11月は、新暦では11月下旬~1月上旬の時期にあたります。

「文化の日」(ぶんかのひ)

 11月3日は明治天皇の誕生日で、「天長節」と呼ばれ、もともと祝日でした。

 明治天皇が亡くなり大正時代に入ると、11月3日は「明治節」と呼ばれるようになりました。

 その後、1946年11月3日に新しい憲法が公布されると、1948年に「明治節」は廃止されましたが、11月3日は「文化の日」として生まれ変わりました。

 日本国憲法は平和と文化を重視していることから、その精神に基づく形で「文化の日」は誕生したと言われています。


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