見出し画像

日本のおいしさ_2024年2月23金/雨

料理の「おいしい」にも、いろいろあるけれど。
よく「世界のグルメ番組」で、こんなにおいしいものがあるんですよ
と、料理と一緒に作り方紹介されたりする。

アジアの屋台のおじさんが、おいしそうな味付き肉の塊を
豪快に切っては、熱々鉄板にびしゃっと貼りつけている。
世界で最も高価な鶏肉の煮込みを作るフランス人シェフが、
炒めた玉ねぎと鶏肉の鍋の中に静かに生クリームを注いでいる。
原住民だという女性が、魚をぶった斬って
米やハーブと一緒に熱帯植物の大葉で何重にも巻き、焚き火の上に乗せた。
こううのは見てるだけで腹が鳴る。鳴らなくてもそういう気分になる。

なんであんなにおいしそうなんだろう、と考えていたら
あの外国の料理人たち(主婦とかも含めてね)はみんな、
「手つき」が違うと気づいた。
材料を切ってちょっと脇に置くときとか、
鍋やフライパンに入れるときとか、皿に盛るときとか
材料をじぶんから放り出すような仕草をしている。
「おまえを料理してやるぞ」と、最後に「パンッ」と手を離すのだ。
はじめから、じぶんと材料が対立している。
だからこそおいしそうに見えるのだろうね。

では、日本の風習に親しい料理人はどうするかというと。
材料を手放す最後の最後、別れ際に一瞬ためる間があるんだなぁ。
じぶんから離すというより、置くという感じかな。
外国の飲食店で働く日本人の手元を映像で見ても、
みんなそうしてるように見える。

この無意識に最後に気を遣うような独特の手つきは、
なにかの「ありがとう」なのだろうか。
「食べものを残してはもったいない」や、
「獲ってくれた人へ感謝しましょう」ということばは、
子どもの頃からお互いに言ったり言われたりしている。
だけど、自然の恵に感謝するのは日本だけではないな。
で、「上手につくろう」という慎重さかといえば、
そうでもなさそうだし。
器用だからといったら、そんな人は世界中にいる。
わからない。

とか、考えていたら気がついてしまった。
あれは、「日本刀」の文化ではなかろうか。
かつて日本には「刀」が身近な時代があった。
動植物を切った「刀」が、人を斬るようになっていた。
命を奪う武器である「刀」は、だからこそ
生と死の間で畏怖の念とともに極限まで鍛錬され、
機能美をもつようになる。
その美のため、「刀」は人から愛されもした。
「刀」を扱うには人や命に礼を尽くさなければならず、
その技術は人々の道徳観や生活の中にも応用されていった。
包丁で刺身を切るときに最後まで指先を魚身に添える、
教えられなくても自然としてしまうあの手つきは、
日本人のDNAに「刀」が染みているからなのかもしれない。
「刀」文化の遺産が、日本の「おいしさ」を支えている。

指先まで気を遣うような仕草は、竹細工などの手仕事にもみられるね。





よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。