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2023年6月の記事一覧
その応酬から、ぼくは離れる。
「わたしはそう思わない」
マスメディア、またソーシャルメディアにあふれる情報に触れたとき、頻繁に湧き上がる感情だ。違うよ、そうじゃないよ、それはおかしいよ、間違ってるよ、わたしはそう思わないよ。どこかが報じたニュースについて、誰かが発した意見について、そう思う。
これはある種、当たり前の反応である。世のなかは自分と同じ意見の持ち主ばかりであるはずもなく、誤った情報を発信しているメディアや人も多
その関係を「意味あるもの」にするために。
先日、ようやく新刊が校了しました。
校了とは、校正が終了すること。印刷会社さんに対して「すべて確認が終わりました。これ以上の修正はありませんのでこのまま印刷してください」を告げるものです。編集作業の終了でもあり、ポイント・オブ・ノー・リターンの分岐点とも言えます。
ほかの著者さんや編集者さんはどうなのか知りませんが、ぼくは校了から本が刷り上がってくるまでの期間、つまりいまの期間がいちばんもどか
いまさら考えるツイッターのいいところ。
有料版のツイッター、Twitter Blue を申し込んだ。
ツイッターなんかに課金するのか。無料であることこそがツイッターの価値ではないのか。そもそもお前、ツイッターそんなに使ってないじゃん。……といった逡巡は当然あった。けれども認証アカウントとなることによって、今後の告知活動にプラスが生まれるのなら、つまり来月発売の新刊『さみしい夜にはペンを持て』に触れてくれる人がひとりでも増えてくれるのな
伝達じゃない言葉を。
ほめ言葉について考える。
たとえば犬の散歩をしていると、「かわいいですね」なんてほめてもらえることがある。返す言葉は「ありがとうございますー」だ。「弱虫なんですぐに吠えちゃうんですけど」なんて付け足しつつも、デレデレになってよろこぶ。相手の方と別れたあとも「かわいいって言われたねー」とかなんとか、犬としゃべりながら歩く。
一方、自分自身がほめられたとき。まあ、さすがにルックスを「かわいい」なん
謙虚であることの意味を勘違いしない。
会社のコーヒーメーカーが壊れた。
先々月には、プリンターも壊れている。プリンターもコーヒーメーカーも、円滑な業務に欠かせない備品であり、すぐさま買い換えなければならない。ふつうに考えて、いやなことである。
しかしながら、ものは考えよう。いったいなぜそれらの備品が故障したのかといえば、決してバッタもんを掴まされたとか使い方が荒かったとかではなく、それだけ長いこと使ってきたから、と言える。そして長
ドストエフスキーは、こう言った。
治安の悪い漫画が増えているなあ、と思う。
あきらかな転機となったのは『闇金ウシジマくん』で、あの漫画から一気に治安の悪い作品が増えてきた。もちろんそれまでにも極道やヤンキーの暴力的な漫画はたくさんあったのだけど、これらの作品は一般人を巻き込むことは基本的にせず、極道同士、またヤンキー同士の抗争をデフォルメして描くのが常だった。だからこそ読者は、遠いどこかのフィクションとして、その漫画をたのしんで
ふりかけをめぐる物思い。
ふりかけを禁じられた人生だった。
ごはんにふりかけをかける。茶碗一杯くらいのごはんなら、それでやすやすと平らげる。そういう子どもだった自分は、ふりかけの使用を禁じられていた。きっと「おかずも食べなさい」だったのだろう。「栄養が足りません」だったのだろう。おかげでふりかけは遠足のお弁当などでたまに遭遇する、ひときわ贅沢なレアキャラとなっていた。きっと多くの人が、そんなふうに育ったのではないかと想像
もうすこしだけ、余白のあるコンテンツを。
うちの会社の近くに、ちいさなホテルがある。
カテゴリーとしてはビジネスホテルになるのだろうか。○○会館、みたいな名前のホテルである。泊まったことはないものの、友人のライターさんがそこでカンヅメをした(させられた)という話は聞いたことがある。ホテルの食堂は、近隣オフィスに勤める人びとにとって、隠れたランチスポットとなっている。ごはん、味噌汁、サラダ、漬物などがすべてビュッフェ方式で、ごはんは雑穀米
「しらんがな」の声に屈しないために。
いつぞや宣言したとおり、ジムに通いはじめた。
まだまだ2週間、計5回通ったに過ぎない。それでも一応、三日坊主は避けられた。ここは一発、積極的に自分をほめていきたいと思っている。えらいぞ、おれ。よくやってるじゃないか、おれ。
と自賛の道を選ぶのも、人は他人の「何キロ痩せた」や「ジムで運動している」の話について、やたらと冷淡になるからだ。お前がいまさら2キロ痩せようと3キロ痩せようと知ったこっちゃ
心のバランスを保つために。
やっと話せる。
いつの間にか遅筆家になってしまったぼくは、ひとつの本を書き上げるのに半年や1年、ときには数年かかるのが当たり前になっている。年間15冊とか書いていたころの自分からすると「大層なご身分ですなあ」である。「そんだけ時間をかけていいんなら、そりゃあいい本だってできるでしょう」と。なんといっても当時のぼくは、2週間で1冊書いていたのだ。
けれども遅筆には遅筆の悩みというのも当然これはあ
『さみしい夜にはペンを持て』刊行のおしらせ。
7月18日(火)、あたらしい本が世に出ます。
タイトルは『さみしい夜にはペンを持て』。ぼくにとってはじめての、中学生に向けた本です。どんな本なのか、どういう意味のタイトルなのか、なぜ中学生に向けてつくったのか。お話ししたいことはたくさんあります。少し長くなるかもしれませんが、お付き合いください。
どんな本なのか本が好きな人ならだれでも、本によって救われた経験があると思います。
ひどく落ち込ん
ギャグではなくて、ユーモアを。
きのう、コーマック・マッカーシーの訃報が届いた。
とても好きな作家だった。残念である。……といったツイートをしようとして、はたと気がついた。べつに過去形で語る必要はないのだ。
たとえば「好きな作家は?」と聞かれて「夏目漱石です」と答える。これはなんら不自然なことではない。むしろ「夏目漱石でした」と過去形で語ったほうが、「どういうこと?」と相手を混乱させるだろう。
つまり、マッカーシーについて
あたらしい杵柄を求めて。
むかし取った杵柄、ということわざがある。
過去の経験。むかしに仕入れた知識。あるいはその技能。これらが役に立ったり、それを自慢したりするさまを指して、「むかし取った杵柄」という。もちろん杵とは、もちをつく際につかう巨大な木製ハンマーみたいなあれのことであり、杵柄とはその持ち手、棒状の部分を指す。
と文章にしてまとめてみると、おかしな点に気がつくだろう。
杵柄が、あの棒が、いったいなんの役に立
最近温めている予感。
昨夜、風呂から上がった直後のことだった。
やばい、と思った。いまはやめてくれ、と思った。けれども来てしまった。服も着てないのに、来てしまった。瞬間的にふっと、なにか「いいこと」を思いついたのである。割と大きめの、「いいこと」を。
まったく健忘とは恐ろしいもので、瞬間的な思いつき、とくに予感にも似たアイデアの欠片は、よほど大切に扱わないと10秒もたたないうちに忘れてしまう。「うん、これだけ考えた