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その関係を「意味あるもの」にするために。

先日、ようやく新刊が校了しました。

校了とは、校正が終了すること。印刷会社さんに対して「すべて確認が終わりました。これ以上の修正はありませんのでこのまま印刷してください」を告げるものです。編集作業の終了でもあり、ポイント・オブ・ノー・リターンの分岐点とも言えます。

ほかの著者さんや編集者さんはどうなのか知りませんが、ぼくは校了から本が刷り上がってくるまでの期間、つまりいまの期間がいちばんもどかしいんですよね。「あれだけ確認したんだから、大丈夫なはずだ」との思いがある一方、なにか盛大なミス(たとえば致命的な誤字脱字など)をやらかしているような不安も拭えない。最終の校了データを読み返す気にもなれず、なるべく本のことを頭から退け、それ以外のことを考えて過ごそうとする。けれども意識から完全に消し去ることなどできるはずもなく、いかにもじりじりとした日々を過ごす。

そうした若干ダウナーな気持ちを一気に晴らしてくれるのが刷り見本の到着です。これは本をつくっていていちばんうれしい瞬間かもしれず、とくに今回の『さみしい夜にはペンを持て』は、装丁が好き好きスーなので早く見本を手にしたいと思っています。

こちらは校了前の色校正を巻いてみたもの

さきほど編集の谷さんから連絡をいただき、ぼくが見本を目にできるのは、7月10日になるのだそうです。たのしみだなあ。刷り上がっちゃえばもう、誤字脱字の不安なんて吹き飛んじゃうんですよねー。


と、そこからぜんぜん話は変わりますがついさっき、こんな記事を見つけました。8年ぶりにオリジナルアルバムを発表するブラーのニュースです。

このなかでベーシストのアレックスが、大発見レベルのいいことを言っていたんですよ。曰く、

「長期的な関係を意味あるものにするためには、お互いを驚かせることができるようにならなければならないが、どういうわけか僕たち全員はそれを続けている」

アレックス・ジェームズ amass.jpより引用

そうなんだよ! と膝を打ちました。仲よくなることは簡単にできる。その関係を長続きさせることも、そうむずかしくないのかもしれない。けれど、その長期的な関係を「意味あるもの」にするためには、お互いを驚かせ続けることが大切なんだ。いい驚きがなければ、つまりいい刺激がなければ、その関係は意味あるものとして続いていかないんだ。——これはもう、全面的に大賛成というか、ぼくが友だちや仕事仲間に求めるものがぜんぶ詰まっているように感じられました。バンドだってきっと「お互いを驚かせること」ができなくなったら、続ける意味が失われていくんでしょうね。

ミュージシャン、とくにバンドマンの発言に教えられること、ぼくはとても多いんです。バンドってやっぱり人間関係の縮図だと思うから。