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ものかきのおかしみと哀しみ

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すれ違った人たち
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#note

クリエイターとは何なのか問題

クリエイターとは何なのか問題

ことばにした途端に「何か違う」と感じてしまうことがある。

いや、間違ってはいないんだけど微妙にしっくりこないというか。まるで合ってなければ気にならないんだろうけど、合ってなくもないから逆に気になってしまう。

重箱の隅をつつきたいわけじゃない。ただ、自分の中で何か気になるというだけ。

note界隈でもいまだにたまに勃発する「クリエイターって何?」な葛藤とか議論も。「クリエイター」ってことばにし

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それは身体から出た言葉

それは身体から出た言葉

どうしようもなく掴まれる言葉がある。言葉は整ってるのに自分をすり抜けていく言葉もある。引っかかりもなく。

何が違うんだろう。

もちろんいろんな要素が絡んでくるのだけど、相手との関係性、有名無名バイアスなどは抜きにして「言葉」そのものにフォーカスして考えてみる。

これ、ほんと簡単なようで難しい。いやもう、とっくに現代人は情報多すぎて言葉の摂取まともにできなくなってるから。

国語力とかリテラシ

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書くことが浮かばないときにやるといいこと

書くことが浮かばないときにやるといいこと

自分の中でぼんやり漂ってるものがある。なんていうか、どこからかいつの間にか流れついた何か。

かたちがあるようでなくて、掬い取ろうとしても手からこぼれてしまう曖昧なものたち。言語化できないけれど、ずっと自分の中にある何か。

もちろんそのまま放置してもいいのだけど、たまに何となく「これは何なんだろうか?」と確かめたくなる。

そんなときは、とりあえず掬い取ってみる。ほんの小さな欠片、断片、澱、まあ

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noteという大都会の歩き方

noteという大都会の歩き方

あらためてnoteって「何か」感じるものが多い場所だなと思う。

いまどき、運営側もユーザー側もいい意味で「割り切ってる」ところがほとんどな中で、こうやって「割り切れない」ことを対話的に(ここ大事)考えられるメディア、プラットフォームって少ない気がする。そこそこ開かれた世界ではね。

きっかけはヤマシタ マサトシさんのツイートからの記事。僕も読んで前から思うところと重なるのがあって。

決して運営

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盛り上がってると遠慮したくなるメンタルについて

盛り上がってると遠慮したくなるメンタルについて

言えないんだよなぁ。

あ、なにかちょっとだけ挨拶しとこうかな、話そうかなと思っても、もうそこに何人も人がいて、そこそこ盛り上がってたら割って入ってまで何か言うとかできない。したくない。

遠慮なんだろうか。小心者? 似てるけどちょっと違う。ひねくれてるわけでもない。あ、もう満ちてるなと思うのだ。

僕がわざわざそこに入らなくても、もう十分満ちてる。それ以上、何か加えたらあふれそうな気がする。場の

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自分のイメージはつくれるけどつくらない

自分のイメージはつくれるけどつくらない

あえて、つくらなくていいや。と思ってしまう。

ライティングを通してブランディング(なんか手垢でべとべとするけど)とかグロースハック周辺に関わってたりもするのに、いいのか。

ダメだろう。イメージ大事。わかってます。だけどなぁ(心の声)。

なにを言うかよりも、だれが言うか。なにを書くかよりも、だれが書くかで世の中動いてるのは本当のことだし、だからなおさら「イメージ」をちゃんとつくれてないと、だれ

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役に立つことばかりだと苦しくなるから

役に立つことばかりだと苦しくなるから

無駄なことはしたくない。役に立たないと意味がない。呪いですね、これはもう。業種職種問わず、無駄なことするな役に立ての無言の圧が浸透していて。

noteだってそうかもしれない。役に立つnoteはキラキラしてる(気がする)。

そんなのを見てると、ほとんど誰の役にも立たないnote書いてても何の意味があるんだろうと謎の虚無感に襲われそうになりますわ(語尾)。

「役に立つ」は怖い。役に立つは正義だか

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自分でロケットを飛ばそうよ

自分でロケットを飛ばそうよ

世の中には自分が知らない悩みっていっぱいあるんだなと思う。あたりまえのこと言ってしまってる気もするけど。

今日もうさこさんのnoteを読んで、同じものを見てるはずなのに、それぞれ見えてるものは違う現象があるのをあらためて考えさせられた。

どっちの感覚もそうだよなと思う。登録時におすすめユーザー推しされてたからフォローする→フォローされた側は記事ゼロのユーザーにフォローされてもフォロー返す動機が

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すべての道はnoteに通じていない

すべての道はnoteに通じていない

つい自分が居心地いい世界にいると、その世界がすべての世界につながってるような気がする。けれどそんなのは錯覚だ。

noteなんかのメディアもそうかもしれない。ときどき、すべての道はローマとnoteに通じているような気がして、それはそれでなんだかおもしろいし、いいなと思うのだけど同時に「そうじゃない世界」のことも思う。

もちろん、同じ空気感の中で快い感覚を共有できたり、プロアクティブな意見を重ねた

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才能があれば性格は関係あるのかないのか問題

才能があれば性格は関係あるのかないのか問題

朝からちょっと考え込んでしまった。Bar Bossaの林さんが質問に答える日のnoteで「才能と性格」問題の本質にさらっと言及されてたのを読んだからだ。

昔からよく対比される「才能すごくあるけど性格に問題あるタイプ」と「才能はそこそこで性格的に好かれる人」。どっちが仕事の上で評価されるか、身も蓋もなく言えば「どっちが食べて行けるか」問題。

これ、やっぱり現実的には後者なんですよね。あ、一応、す

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