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過去を捨てた女達 5 不幸の詰め合わせ

人生辛い時は、辛いことのてんこ盛りになるのは何故だろうか。 

別居に、職場のいじめに、子供の発達障害発覚など、一個ずつとっても大変なのに、どうにかなるくら気が狂いそうになるが、今思えばよく耐えたなって思うが、なんかそんな時は、何故だか乗り切れる自分が嫌になる。だか、それさえも記憶が消してくれる。人間とは、よくできている。
幸子と書いて、幸せな子なのに、笑うしかない。

不幸を引き寄せていた?と言われればそうなのかもしれないが、この頃はそんな事を考えている暇などないのだ。
一つずつ解決しながら、生きていった。
そんな感じだ。

よく頭や心がおかしくならなかったのかなって。
でも、必死という言葉が一番似合う時代なのかもしれない。
モラハラな旦那と噛み合わない電話のやりとり、しょうもない介護デイサービスの陰険ないじめ、その頃癒されていたのは、そんな自分を暖かく見守ってきてくれていた老人達だった。
また療育の場でさえ、なぜか癒しの場になっていた。今思うと当時のママ達がなんと思うのだろうか聞いてみたいものだが、周りがどう思われるより必死に生きる術を模索してきたのだろう。

ただもう限界!、耐えらない、そう思ったら、不思議と一つずつ解決していく。いじめをしていた主犯の人達は、職場を離れていく。そしてその人達を涙でお別れを惜しんだ老人達は、涙も乾かないうちに、幸子の耳元でそっと、ささやく。
「あんたいじめられてただろう。居なくなってよかったね」
そして、思ったより、早く離婚も成立していく。
介護福祉士も受かった。

それでもやはり、悔しい思いを思い出す。デイサービスの風呂場で涙ながらに掃除して、床に涙が滲む場面を、とりとめのない電話攻撃におびえ、着信の音にビクビクしていた時を。

でも、それは継続はしない。
自分の中に、もう嫌だと、魂の叫びを、
それはちゃんと、届いているのだ。

だから、解決されていく。
ある人は、それを神様の仕業とか、
ある人は、波動が変わったとかいうが。

用は、嫌だという自分の思考が、宇宙に届いたのだ。

今あの当時の不幸の詰め合わせを感じていたならば、一瞬で即死かもしれない。
今では、ちょっとしたマイナスでさえ耐えられなくなっている。

もう、不幸の詰め合わせは懲り懲りだから。
ただ、今でも、記憶に残っているのは、老人の笑顔と、新しくなる新居の部屋に入った瞬間の喜び。

それは幸子をある意味強くされていたのかもしれない。

だか、今は強くなる必要もない。
無邪気な自分がいればそれでよいのだから。

バーテンダーが、そんな時期があったようには見えませんがといってくれ、よく冷えたシャブリの白ワインをだしてくれた。

サッパリした辛口の白ワイン。
それは、まるで、幸子の過去をバッサリと消してくれるような後味がした。

もう、過去はいらないのだから。

バーにいた黒猫は、幸子に向かって
ニャー
と鳴いてバーを立ち去った。
後ろ姿が凛としており。しっぽもピンと立っていた。まるで、僕も同じだよと言っているかのように、そんな過去は、人生の助走に過ぎないと言ってくれているような気がした。






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