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✿叩くのは「人」、救うのも「人」✿

「人」という存在

人の命に関わる失敗を経験したことがある人がどれくらいいるでしょうか。

桜がまだ舞う、季節外れの猛暑になった春のあの日。僕にとってそれは忘れもしない、人生で一番大きな失敗を経験した日でした。

仕事中に起きたヒューマンエラー。その責任者であった僕は想像を絶するバッシングを受けました。その時の「人」の恐ろしさといったら今思い出しても身の毛がよだちます。しかし、そこから救ってくれたのも「人」だったのです。

失敗をして悩んでいる人。
努力が報われなくて喪失感に陥っている人。

大丈夫です。あなたの頑張りは、誰かが必ず見ています。そして、何より自分が一番「頑張っている自分」を知っています。

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食物アレルギーの誤食事故

当時も現在も、僕は学童クラブで働いています。施設の責任者です。

春の日差しが気持ちいい晴れた日。
子どもたちの笑い声が絶えない学童クラブ。3時になり、おやつの時間になりました。いつもと同じように、楽しげな声が隣の部屋にまで聞こえてくる、そんな日常のワンシーン。

それが一変します。

ある低学年の子が僕のところにやってきて、言いました。


「ピーナッツ食べちゃった。。。」

その子はピーナッツアレルギーがありました。
聞いた瞬間サーっと血の気が引いていくのがわかりました。

ナッツ類のアレルギーは、最悪の場合のどが腫れて呼吸困難に陥り、命の危険性があるのです。

とにかく保護者に連絡をし、容体をチェック。すぐに保護者が迎えに来てくれ、病院に行くことに。

原因は、原材料のチェック体制の不備でした。なぜ、しっかりと見ておかなかったのだろう。どうして、こんな当たり前のことが、、、今までやってきたことは、なんだったのだろう。

混乱状態のまま、自責感と絶望感が増していく。


数分後、保護者から「容体が急変して救急搬送した」という電話連絡が入りました。目の前が真っ白になりました。


「最悪の場合、死。。」

本来ならば立ち尽くしている場合ではありません。しかし、この現実から逃れることはできません。

あの時の1秒1秒そして心臓の鼓動の1つ1つが、自分の周りの酸素だけを徐々に減らし、いつかゼロになる時を知らせるカウントダウンのように感じました。


とにかく、いてもたってもいられず病院に急行しました。そこで再度保護者と対面。当然ながら、言葉に表せないほどの叱責を受けました。

その日は報告と再発防止案をまとめるため、家には帰らずホテルに宿泊。疲れきっていたにも関わらず、一睡もできませんでした。

待っていたのはバッシングと孤立の日々

翌日、お宅へ謝罪に行きました。結果から言うと、重篤な症状にはならず、その子は翌日には元気な様子で家にいました。

その子の顔を見た瞬間全身の力が抜けるほど安心すると同時に、とてつもないほどの自己無能感。泣きたいけれど、表情が変えられない。涙すら出てこない。

謝罪に行ったのは土曜日。
日曜日には、文字通り「何もしなかった」。いや、できなかった。

夜になり、またすぐにやってくる月曜日に、対抗する術がない。
朝起きると、足に数十キロのおもりが付いたような体の重さ。

そして、そこから地獄のような日々が待っていました。

ひっきりなしにかかってくる電話。すべてが自治体の行政担当者から。
バッシングの嵐。大声での怒鳴りつけ、人間性の否定、脅し。

・やめてしまえ
・お宅の会社どうなってんの
・あなたみたいなのが施設長だなんて
・子どもの前に立つ資格がない
・人間の恥
・あなたは今まで見たことのない悪人

こんな言葉を毎日のようにかけ続けられました。


毎日会うのが楽しみだった子どもたちのことが、まったく目に入らなくなるくらい、耐えて悩んで、遅くまで始末書をいくつも書く日々。精神的に追い詰められ、時には吐き気を催して外に逃げ出すこともありました。

毎日、「逃げ出してしまいたい」という気持ちと「責任者なんだから逃げてはいけない」という気持ちが自分の中で戦い、消耗していく。

気がつけば、僕は職場内で孤立していました。

自分に降りかかっていることをなんとかすることにしか頭を使えなくなっていた僕は、同じようにこの事故で心を痛め再発防止に勤めようとする仲間たちのことを全く見ていなかったのです。

気が付けば、職場の雰囲気はいつもどんよりと曇っていて、陰口のようなひそひそ話、よそよそしい態度、心のこもった挨拶や返事がもらえない。

この年が終わりに近づくまで、このような状況は続きました。

救われるきっかけ

子どもたちと関わる者として、施設の責任者として自信を失ったまま年の暮れを迎えました。大晦日まであと数日というときでした。

誤食させてしまった子のお母さんと遭遇しました。

謝罪をしてからというもの、職場の外で会うのは初めてです。「お久しぶりです」と声をかけ、お互いに腰を下ろしました。


その時の会話が、救われるきっかけになりました。

「先生、あれ以来元気がないですよ」
「うちの子も、旦那も、もう気にしていませんから」
「娘は無事だったんだから、もうそんなに気にしないでください」

あんなに信頼を失うことをしたのに。

「たしかにあの件は起きてはいけなかったけど、それ以外はちゃんとやってくれていたし。学童クラブとしては、信頼してるんで。愛想つかしていたら、とっくに辞めて別の学童に通っていますよ」

たしかに、あの事件があってからも、通い続けてくれている。

「なんかうちの子最近太ってきちゃって。一緒に鬼ごっこでもしてやってください。(笑)」

あれ以来、自分が子どもは指導員として失格だと思っていた。
辞めようとまで考えた。
もう信頼は地に堕ちたと思っていた。
責められて当然だと思っていた。


二度と口を聞いてくれなくても、一生許されなくてもおかしくないことをやってしまったのに、被害者であるその子の保護者が背中を押してくれたのです。

なんだか、目が覚めた気がしました。そして、帰って泣きました。

1日1日、心を込めて行動する

今、失敗をして落ち込んでいる人。
失敗が怖い人。
自分を責めている人。

今、自分が失ってしまったものの大きさばかり考えていませんか。
少し冷静になって、考えてみましょう。

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そんなに落ち込んでいるということは、あなたは「それ」に全力で向かってきたはずです。適当にやっていたら、落ち込むはずもありませんから。

1日1日、どんなことにその情熱を傾けてきたか、紙に書いてみてください。お客さんから言われた感謝の言葉や、自身の成長、成功。

まだまだだ、と自分を鼓舞して喜びたい気持ちを収めて、精進してきたことでしょう。

それらを思い起こし、解放しましょう。
そして、自分に浴びせましょう。

あなたが積み上げた、心のこもった1日1日は、消えることはないのです。今は、見えにくくなっているだけ。忘れてしまっているだけ。

自暴自棄にならなければ、必ず味方してくれる人がいます。

その後、現在は

あれ以来、事故の再発防止はもちろんのこと、職員の関係性に悩んだことも踏まえて勉強を重ねました。

結果、責任者として、指導員としての自信を取り戻し、毎日雰囲気の良い職場で毎日子どもたちと楽しく過ごしています。

あの頃と変わったことは2つあります。

・「痛み」がわかったことで、優しい人間になった
・「痛み」に悩んでいる人の助けになりたいと思っている

職場の雰囲気について研究を重ね、持論を展開できるまでに至りました。

また、メンタルトレーナーの資格を取りました。
人の気持ちを楽にし、毎日明日が来るのが楽しみになるような日々を送ることに貢献したい。自分が経験したような痛みを持つ人を癒したい。

自己肯定感を高く保ち、前向きに過ごしています。

LINE以外のSNSをまったくやっていなかった自分がnoteを始めたことも、画期的な変化です。

失敗は、成長のもと。(成功ではなく、成長)

これからも前向きに、自分らしくやっていきます!!











#あの失敗があったから

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