フクポー

私は必ず失敗をする。隨分失敗をする。また成功があるかも知れませぬけれども、成功より失敗…

フクポー

私は必ず失敗をする。隨分失敗をする。また成功があるかも知れませぬけれども、成功より失敗が多い。失敗に落膽する。失敗に打勝てぬ。

最近の記事

金森徳次郎『講和と憲法』(1951年)

 金森徳次郎(1886-1959)は憲法學者、國立國會圖書館初代館長。第1次吉田茂内閣の國務相として日本國憲法の制定に盡力した。1959(昭和34)年6月16日沒。  下記作品は、1951(昭和26)年5月3日、制定から4年目の憲法記念日を迎へる日に『毎日新聞』に掲載された文章です。 講和と憲法軽率な改正論は不可 自衞権は放棄してない 金森徳次郎  憲法施行後丸四年を経た。年々歳々花相同じきも憲法が我々に与える印象は同一でない。同じ条文ではあるけれどもそれが我々に及ぼす

    • 恒藤恭『憲法に盛られた夢のいろいろ』(1950年)

       恒藤恭(1888-1967)は法哲學者、大阪市立大學初代學長。戰後日本の民主主義・平和主義の定着に盡力した。1967(昭和42)年11月2日沒。  下記作品は、1950(昭和25)年5月2日、制定から3年目の憲法記念日を迎へる前日に『毎日新聞』に掲載された文章です。  また、『現代随想全集 第27巻』(1955年、東京創元社)に『憲法に盛られた夢』として舊字新假名で改題再録されてゐます。 憲法に盛られた夢のいろいろ恒藤恭  敗戦後の日本人はあまりにもみじめな生活環境の中

      • 錦城生『温泉亡国論』(1888年)

         錦城中井喜太郎(1864-1924)は、周防國岩國(山口縣岩國市)出身の新聞記者。帝國大學法學部に在學中、下記『温泉亡國論』といふ論稿を讀賣新聞に投稿したことを契機に主筆・高田早苗の目に留まり、後に中退して讀賣新聞社に入社した。1924(大正13)年4月25日沒。  作中の「ルイ」は"Louis"(フランス國王)、「ギボン」は"Gibbon"(エドワード・ギボン)、「ヲストラゴス」は"Ostrogoth"(東ゴート族)のことだと思はれます。 温泉亡國論錦城生 政治の過

        • 『早稻田學報』訃報データベース③大正時代前編(大正元年~大正5年)

          明治時代分は下記記事參照。 ここでは、210號から262號まで、すなはち、1912(大正元)年から1916(大正5)年までの分について收載します。表記内容は底本に準據してゐます。但し、氏名については太字にしてゐます(底本では傍線や傍點が附されてゐます。)。 (半世紀以上昔の)『早稻田學報』を普通に讀みたい方につきましては、藏書のある圖書館に赴くか、『早稲田学報』記事データベースをご確認ください。 1912(大正元)年第210號・大正元年8月10日發行 明治天皇陛下御崩御

        金森徳次郎『講和と憲法』(1951年)

          『後奈良院御撰何曾』(1516年)

           先日、QuizKnockで『後奈良院御撰何曾』を元にした動畫が公開されてゐました。  これを觀て、以前に『後奈良院御撰何曾』の存在を知り、色々と調べてゐたのを思ひ出しました。  投稿日現在、青空文庫が新規受付停止中なので、ここに『後奈良院御撰何曾』を掲載します。後奈良天皇(1497-1557)が作ったとされてをり(否定説もありますが)、1516(永正13)年に記したといふ記述があるので、間違いなく著作權保護期間は滿了してゐると認識してをります。  正直、これだけ見ても何の

          『後奈良院御撰何曾』(1516年)

          税務・税法系の資格・檢定試驗

           先日、簿記・會計系の資格・檢定試驗を列記しました。  それに續いて税法や税務に關する資格を羅列してみます。先の記事と被ってゐるものも多いです。  例へば簿記檢定で勘定科目に租税公課があるやうな、出題範圍の極一部に「税務」が含まれてゐる檢定試驗も多かったのですが、試驗科目や出題範圍の大項目的な位置にないものは割愛しました。 國家資格税理士試験 ・実施機関   国税庁 ・受験資格   会計学に属する試験科目…なし。   税法に属する試験科目…あり。(詳細) ・試験科目  

          税務・税法系の資格・檢定試驗

          『早稻田學報』訃報データベース②明治40年代編

           説明を兼ねた前書きは、前編にあたる記事に任せます。  ここでは、143號から209號まで、すなはち、1907(明治40)年から1912(明治45)年までの分について收載します。表記内容は底本に準據してゐます。但し、氏名については太字にしてゐます(底本では傍線や傍點が附されてゐます。)。 (半世紀以上昔の)『早稻田學報』を普通に讀みたい方につきましては、藏書のある圖書館に赴くか、『早稲田学報』記事データベースをご確認ください。 1907(明治40)年第144號・明治40年

          『早稻田學報』訃報データベース②明治40年代編

          『早稻田學報』訃報データベース①明治30年代編

          『早稻田學報』といふ早稻田大學の廣報誌がありまして、「校友動靜」欄等で早稻田大學卒業生や關係者の訃報が記載されてをります。  早大關係者に關しては、人物事典や新聞の訃報欄ではなく、この雜誌の訃報欄で沒年を確認するケースもしばしばあります。(ちなみに沒年の確認が必要となるのは、著作權保護期間が滿了してゐるかどうかを確認するためです。)  自分が知ればそれで良いとも思ふのですが、意外と昔の人物や著作について調べてゐる方はそこそこ居るやうです。そこで、『早稻田學報』で確認出來る訃報

          『早稻田學報』訃報データベース①明治30年代編

          簿記・會計系の資格・檢定試驗

           簿記・會計系の資格といへば、公認会計士・税理士・日商簿記・全経簿記・全商簿記あたりが有名でせう。  しかし、實際には他にもあります。といふわけで、色々と羅列してみます。 前書き ここで取り上げた資格試驗・檢定試驗のうち、私が合格した試驗は下記のみです。他は全く知りません。合格後に出題範圍の大幅な變更があれば、それも分かりません。 2013(平成25)年…日商簿記検定試験3級 2015(平成27)年…日商簿記検定試験2級 2017(平成29)年…簿記論・財務諸表論能力認定

          簿記・會計系の資格・檢定試驗

          津田左右吉『新年の感懐』ほか(1950年)

           津田左右吉(1873-1961)が『早稲田学報 1月号 4卷1号』(昭和25年)の1頁に載せた記事(随筆)。『津田左右吉全集』では第23卷に雜録の一つとして收録されてゐる。  また、同誌6頁に掲載された和田信賢(1912-1952)の隨想も掲載する。  ついでに同誌に收録されてゐる窪田空穗(1877-1967)と飯田蛇笏(1885-1962)の句も掲載する  なほ、底本は新字・舊字や假名遣ひが混淆してゐる。また、明らかな誤字脱字は修正した。  特に何周年といふことでもなく

          津田左右吉『新年の感懐』ほか(1950年)

          生沒年データベースを作りたい。

           普段青空文庫やウィキソースに出沒する人間としては、やはり著作者の生沒年(特に沒年)の情報が重要になります。  基本的には国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス、ウィキペディアやコトバンクなどで調べ、ググって出てこなければデータベースやら事典やらを確認します。概ね国会図書館の下記URLで紹介されてゐる調査方法と同類です。  しかし、私みたいな人間が青空文庫やらウィキソースやらに掲載しようと思ふ人物の生沒年が簡單に分かるかといふと、まあ簡單には分からない譯でして、逆に著作

          生沒年データベースを作りたい。

          虚子編『新歳時記 増訂版』(1951年)より「一月」(抄)

          高濱虚子(1874-1959)の編による『新歳時記』より1月の章を轉載します。 例句の各俳人の沒年を調べるのは大變なので、解説のみです。また、ルビや傍點も省略してゐます。1月の章内に收載されてゐる冬全般の季語とされてゐるものは外して分類別に配列しました。 2月以降をどうするかは未定です。(全文テキスト化して例句の收録の可否も確認出來たら、そのうち青空文庫に收録したいとは思ってゐます。) 【1/2追記】虚子は没年と著作權保護期間が滿了してゐることが確定してゐるので、『新歳時記

          虚子編『新歳時記 増訂版』(1951年)より「一月」(抄)

          note開設

          とりあえず開設しました。 適正な使ひ方をいまいち理解してゐない氣がしますが、 表に出しても問題のない内容の備忘録になるつもりです。 恐らく舊字舊假名ベースになります。 よろしくお願ひします。