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恒藤恭『憲法に盛られた夢のいろいろ』(1950年)

 恒藤恭(1888-1967)法哲學者大阪市立大學初代學長。戰後日本の民主主義・平和主義の定着に盡力した。1967(昭和42)年11月2日沒。
 下記作品は、1950(昭和25)年5月2日、制定から3年目の憲法記念日を迎へる前日に『毎日新聞』に掲載された文章です。
 また、『現代随想全集 第27巻』(1955年、東京創元社)に『憲法に盛られた夢』として舊字新假名で改題再録されてゐます。


憲法に盛られた夢のいろいろ

恒藤恭

 敗戦後の日本人はあまりにもみじめな生活環境の中に生きているために、どうにかこうにかその日その日を過ごして行くのが勢一杯であつて、頭の中に『夢』を持たなくなつたといわれている。しかるに、かように夢をもつことを忘れてしまつたといわれている日本国民の総意にもとづいてつくられたはずの日本国憲法には幾つかのたのしい夢が盛られているから不思議である。
 まず憲法第二十五条には『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。』と規定してある。『健康な生活』とか『文化的な生活』とかというのは、どのような生活のありさまを意味するかは示されていないけれど、とにかく相当に充実した内容をもつ生活を指すに違いないであろう。八千万あまりの国民がすべてそのような生活をいとなんでいる状態をおもい浮かべると、はなはだ愉快である。次に第二十六条には『すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。』と規定してある。高等教育を受ける能力がありさえすればだれでも高等教育を受けることが出来るような状態は、真に文化国家のありかただと呼ばれるにふさわしいであろう。それから第二十七条には『すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。』と規定してある。この条項の規定しているところが実現されるならば、一方では日本の社会から失業者のすがたが消えうせるであろうし、他方では一人前の人間であつて、勤労によらないで生計をいとなむような者は見出されなくなるわけである。
 だが、憲法のこれらの条項のえがいている明るく楽しい社会のすがたと現在私たちの眼前に展開している日本の社会のすがたとのあいだには、あまりにも大いなる距たりが横たわつている。国民の中のどれだけ多数の人々が不健康で、非文化的な生活をいとなんでいるか分らないし、また高等教育をうける能力と志望とをもつていながら、その機会にめぐまれない人々が到るところに見出される。勤労によることなくしてぜいたくな生活をしている人々の存在はしばらく問題としないとしても、都会にまた農村に、顕在的ならびに潜在的失業者が満ちあふれていることは、とりわけ悲惨の極みである。
 つまり、いつて見れば、憲法のこれらの条項の中には『国家のゆめみている夢』が盛られているのである。しかしながら、国家の最高法規たる憲法の中に堂々と規定されていることなのであるから現在のところでは夢以上の何物でもあり得ないにせよ、それをしていつまでも夢たらしめることなく、漸次に、しかも確実なしかたで現実性をそなえたものに化せしめるよう努力すべき責任を国家は負つているものといわざるを得ない。三たび憲法実施の記念日を迎えるに当つて、特にこの事を力説したいと思う。
 なお、これは憲法の前文に盛られている夢であるが、そこでは『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。』と述べてある。
 これはまた一段と雄大な内容をもつうつくしい夢である。対日講和問題が国内でも国外でもさかんに論ぜられ、対日講和に関するさまざまの情報が日毎に海外から伝えられつつある情勢の下に一九五〇年の憲法記念日は到来した。全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏からまぬがれ、平和のうちに生存しているような国際社会の状態は今後もずいぶん永いあいだ単なる夢でしかあり得ないであろうけれど、とにかく第三次世界戦争の発生の危機が克服された国際社会において日本国がいかなる他国にも隷従することなく名誉ある地位を占めたいという夢が現実化する日がなるべく速かに到来して欲しいものである。

(大阪市立大学学長)


底本:「毎日新聞」
   1950(昭和25)年5月2日
※行頭を1字下げました。