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錦城生『温泉亡国論』(1888年)

 錦城中井喜太郎(1864-1924)は、周防國岩國山口縣岩國市)出身の新聞記者。帝國大學法學部に在學中、下記『温泉亡國論』といふ論稿を讀賣新聞に投稿したことを契機に主筆・高田早苗の目に留まり、後に中退して讀賣新聞社に入社した。1924(大正13)年4月25日沒。

 作中の「ルイ」は"Louis"(フランス國王)、「ギボン」は"Gibbon"(エドワード・ギボン)、「ヲストラゴス」は"Ostrogoth"(東ゴート族)のことだと思はれます。


温泉亡國論

錦城生

政治の過失は知り易し社會の腐敗は知り難し知り易きものは之を救ふも亦易し知り難きものは之を救ふも亦難し彼の近頃流行の温泉浴湯の如きも或は社會腐敗の現像にあらざることを得んや
温泉塲はもと病を療するの所なり今や則ち無病の人徃き健康の人徃き肥大の人徃く而して其温泉塲にて爲す所を見るに歩せず勞せず浴後必ず醉ひ醉後必ず睡る眠覺ては又浴し一日幾回か其身を煑て顧ず勇なく力なく恰も椿山畫中の花卉の如くなりて曾て關せざるものゝ如し是れ豈衛生に適ふものと謂ふ可けんや况んや常に簿書牙籌に身を役し利獲名譽に心を勞するもの暫く其勞役を息め其疲衰を防ぎ其保養を爲さんが爲め市會の煩雜を逃れ車馬の喧囂を避け而うして明媚の水土を踏み清潔の空氣を呼吸せんと欲せば何ぞ此の熱鬧繁華なる温泉塲に來るや京坂の名勝探るべし三景の風光尋ぬべし仁者何んぞ山を樂まざる智者は何ぞ水を樂まざる然に謀茲に出ず煩雜を出て煩雜に入り喧囂を去て喧囂に來り以て體を息め心を養ふに足るべしとなすか滔々たる天下何んぞ逸樂遊興を貪るの甚だしきや其の茲に來るや禮儀行状を破らざれば安逸を得ざるとなし放亂猥褻を極めざれば快樂なしとなし平生の覊絆束縛を脱して憚忌顧慮する所なく其情慾を放恣にする秦皇も爲し能ざる所あり「ルイ」も及ばざる所あり浴湯塲は變じて無禮講となり安樂境となり温柔郷となり長謳短歌急彈緩奏凡そ落語講釋淨瑠璃等の興備はらざるなく圍碁骨牌玉突等の遊爲さゞるなく平生爲し能はざる事も求め得べからざる事も之を爲し能べし之を求め得べし况んや此間男女兩性の擧動關係は惡弊醜態累々積々我輩之を明言せんと欲するも忍びざるものあり請ふ觀よ新聞の小説多くは其端緒を温泉塲に發するを之を見て猶其一斑を知るに足るべし
我輩之を史家「ギボン」氏に聞く昔し羅馬の末世に當り温泉浴湯流行し大厦高樓を築いて浴塲となし以て快樂遊戲の塲所に供し男女老幼醉るが如く浮べる如く人心腐敗し勇力萎衰し羅馬又一兵士を出す能はざるに至ると嗚呼羅馬を亡すものは「ヲストラゴス」にあらざるなり温泉なり一部羅馬衰滅史豈我國の殷鑑にあらずや今我温泉浴湯も之を未崩に防がずんば焉んぞ能く之を既壞に救ふを得んや嗚呼羅馬の衰頽は社會の腐敗なり政治の過失にあらざるなり故に之を救ふ亦難かりき是を以て之を見れば履霜の恐るべき夫れ此の如し有志の士は我温泉浴湯に注意する所なかる可からざるなり


底本:「読賣新聞」日就社
   1888(明治21)年3月7日
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