虚子編『新歳時記 増訂版』(1951年)より「一月」(抄)

高濱虚子(1874-1959)の編による『新歳時記』より1月の章を轉載します。
例句の各俳人の沒年を調べるのは大變なので、解説のみです。また、ルビや傍點も省略してゐます。1月の章内に收載されてゐる冬全般の季語とされてゐるものは外して分類別に配列しました。
2月以降をどうするかは未定です。(全文テキスト化して例句の收録の可否も確認出來たら、そのうち青空文庫に收録したいとは思ってゐます。)

【1/2追記】虚子は没年と著作權保護期間が滿了してゐることが確定してゐるので、『新歳時記』に採録されてゐる虚子の句は掲載しました。加へて氣付いた誤字脱字の修正を施しました。


時候

一月

 一年の第一月。今も舊暦の習慣が殘つてゐて、正月と呼ぶ人もある。が、極寒中で舊暦の正月とは感じが違ふ。

一月や去年の日記なほ机邊 虚子

去年今年

「いかにねておくるあしたに云ふ事ぞきのふをこぞとけふをことしと 小大君」と後拾遺集にある。倏忽のうちに年去り年來ることを感じた言葉である。今年。去年。舊年。

新年

 年の始を新年といふ。新玉の年ともいふ、年改るともいふ、年立つともいふ。新歳・年頭・初年・年迎ふ・年明く等も新年の義である。又舊暦では新年と春とが殆ど同時に來たものであるところから、春といふ字を新年の意義に使つたものが多かつた。それがきようになつても矢張り習慣的に殘つてゐる。例へば御代の春・明の春・今朝の春の如きもの、又は新年著を春著といふが如きもの。

酒もすき餅もすきなり今朝の春 虚子

元日

 一月一日。昔は舊暦の一月一日をいつたので春であつた。

元日の事皆非なるはじめかな 虚子

元朝

 元日の朝である。元旦といひ歳旦といひ同じことであるが、感じが多少違ふ。

元朝の氷すてたり手水鉢 虚子

二日

 一月二日である。

元日の大雪なりし二日かな 虚子

三日

 一月三日である。

三ヶ日

 一日・二日・三日の總稱。二日正月・三日正月などといふ。

松の内

 松飾のある間をいふ。關東では元日から七日まで、關西では十五日までである。注連の内。

琴棋書畫松の内なる遊びかな 虚子

寒の入

 小寒から立春前日迄凡そ三十日間を寒といひ、其寒に入るのをいふのである。概ね一月六日に當る。北陸地方では、この日に、寒固といつて小豆餅などを食ふ習慣が殘つてゐる。

からからと寒が入るなり竹の宿 虚子

小寒

 冬至の後十五日目、一月六日頃になり、寒氣が漸く強い。

寒の内

 寒の入より寒明までの約三十日間をいふ。單にといふのも主に寒の内のことである。寒の内には寒の水を取るとか、寒灸をすゑるとか其他いろいろの行事がある。

一切の行藏寒にある思ひ 虚子

松過

 門松・注連飾を取り拂へば松過ぎとなる。周邊が遽かに舊態に還つたやうな感じのうちに、尚舊冬とは異つた新しい感じが殘つてをる。松は拂はれて了つたが尚松あるが如き感じが續いてゐる。

松過の又も光陰矢の如く 虚子

大寒

 小寒の後十五日目、大抵一月二十一日頃に當り、最も寒氣凛冽である。

大寒の埃の如く人死ぬる 虚子

嚴寒

 酷寒である。水を落せばすぐ凍つてしまひ、水道は凍てついて水が出ず、常磐木の葉も生色を失ふ。嚴冬は寒さの嚴しい冬のことである。

日脚伸びる

 冬至の頃は一年中で一番晝が短い。それから少しづつ日が長くなつて行く。然し日が長くなつたとはつきり感ずるのは冬至から一箇月も過ぎた頃である。

選集にかゝりし沙汰や日脚のぶ 虚子

春待つ

 陰氣な冬も終りに近くなつて、華やかなのびのびとした樂しい春の來るのを待つ心持をいふのである。冬の終には冬を惜む情はなくて春を待つ心ばかりである。待春。

時ものを解決するや春を待つ 虚子

春隣

 梅や椿は蕾に紅を見せ、將に動かんとする大きな美しい春が垣一重に隣り合せになつた、その季節なり感じなりをいふのである。春近し。

椿咲きその外春の遠からじ 虚子

節分

 立春の前夜で、二月三・四日頃に當る。民間ではこの夜惡魔を追ひ拂ひ、新しい春を迎へるといふ心から追儺が行はれ、節分詣などする。

天文

初明り

 元旦、東天の曙光である。

初日

 元旦の日の出である。初日の出。初日影。

大濤にをどり現れ初日の出 虚子

初空

 元旦の大空をいふ。初御空ともいふ。初東雲は元旦の曉天である。初茜は初日の出直前の東天。

初空や大惡人虚子の頭上に 虚子

初凪

 元日の風穩かに海の凪ぎわたることをいふ。

初凪や大きな浪のときに來る 虚子

御降

 元日に降る雨である。雪にいふこともある。三ヶ日の間に降る雨雪ともする。

お降に草の庵の朝寢かな 虚子

寒の雨

 寒中に降る雨である。冬の雨の中から特に寒の雨と抽いていふのは、その感じに冬の雨といふより更に嚴しいものがあるからである。

寒雨降りそゝげる中の枝垂梅 虚子

地理

初富士

 元日の富士である。富士の崇高は古來日本を表徴するものとして、元旦これを仰ぐのには特別の意義がある。

初富士や雙親草の庵にあり 虚子

人事

若水

 元旦に汲む水を若水といふ。暦改つて萬象改り、汲む水も若やぐ。古くは立春早旦に汲む水をいつたものである。若井。

若水や妹早くおきてもやひ井戸 虚子

初手水

 元日の爽昧、汲み上げた若水をもつて初手水を使ふ。

乘初

 船の乘初、車の乘初、或は初汽車・初電車などともいふ。新年はじめて船車等に乘ることである。

浪音の由比ヶ濱より初電車 虚子

白朮詣

 元日、京都祇園の八阪神社で祇園削掛の神事が行はれる。白朮祭ともいひ、これにお詣りすることをいふのである。神事は午前四時からはじまる。檜から鑽り出した火を社殿に立てた削掛に移し、白朮を加へて燒き、其火で新年の供物を調へるのである。參詣人は其火を持歸つて雜煮の火とする。昔は邪氣の祓といつて、參詣の途中互に惡口雜言を飛ばし合つたといふ。白朮火。火繩賣。

初詣

 新年になつて神社・佛閣にお參りをすることである。伊勢に初詣を志す人達は大晦日の夜から出かけることが多い。元旦、拜殿に額けば靈氣總身に沁み徹るであらう。

神慮いま鳩をたゝしむ初詣 虚子

破魔弓

 昔、繩をもつて圓坐のやうな的を作り、これを射て遊ぶ兒戲があつた。この的を「ハマ」といつたのでこの弓をはま弓、この矢をはま矢といつた。後、この弓矢を飾りとして男兒の初正月に贈り、その武運長久を祈つたといふ。今日京都石清水八幡宮・鎌倉鶴箇岡八幡宮などに於て授與される破魔矢は、義家が石清水八幡宮の神寶の矢を受け、陣中の守り矢としたものが、これに象つて、武家にとつては武運長久、町民にとつては厄除お守りとして授與されるものである。

たてかけてあたりものなき破魔矢かな 虚子

歳徳神

 歳徳とも年神とも略される。惠方を司る女神である。年首に當つて之を祭る。又、惠方に對して棚を造り供物を捧げて祭ることがある。この棚を惠方棚或は年棚といふ。

惠方詣

 惠方は吉兆を示す方向である。新年、この方向に當る神社・佛閣にお參りすること。

萬歳のうしろ姿も惠方道 虚子

七福神詣

 松の内、七福神の祠を巡詣し、其歳の福徳を祈ることである。惠比壽・大黒・福祿壽・辨天・毘沙門・壽老人、それに布袋和尚を加へた七神で、民間の信仰は中々厚い。東京では向島・谷中・山の手など特定の區域があるのである。七福詣・福神詣ともいふ。

三圍を拔けて福神詣かな 虚子

延壽祭

 元日、大和國橿原神宮に於て行はれる神事である。參詣の高齢者には延壽盃を頒與する。又一般參拜者には延壽箸を頒つ。

四方拜

 元旦、天皇宮中神嘉殿に出御あり、親しく天地四方竝に山稜を拜せられ、年災を禳ひ、寶祚の長久を祈らせ給ふ御儀式である。

朝賀

 一月一日及び二日、宮中に於て新年朝賀の式を行はせ給ふ。拜賀は陛下に拜謁奉賀の儀、參賀の儀は別に拜謁のことなく、唯御帖に署名して賀正する儀である。

年賀

 元日より三箇日、親戚・知人。朋友等を相互に訪問しあつて新年の賀辭をのべることをいふ。年始。年禮。廻禮。

年禮の城をめぐりて暮れにけり 虚子

御慶

 新年相交はす賀祝の詞である。

大原女八瀬男に御慶申すべく 虚子

禮者

 新年相訪うて賀詞を述べる賀客をいふ。門口で賀禮を述べることを門禮といひ、その人を門禮者といふ。

禮者西門を入る主人東籬にあり 虚子

禮受

 年賀の客を玄關に迎へてその禮辭を受けること。又受ける人をいふ。

禮受やよき衣寒く置火燵 虚子

名刺受

 三ヶ日、禮者の名刺を受ける器を玄關に置く。

名刺受出して玄關ひつそりと 虚子

禮帳

 昔は正月三箇日、玄關に机・筆硯を置き、禮者の署名を乞うたものである。これを禮帳といふ。今は名刺受に代つた。

禮帳におどけたる句を書かれけり 虚子

年玉

 年始の際の持參禮物をいふ。年の賜の意か。年贄。お年玉。

年玉の十にあまりし手毬かな 虚子

賀状

 年始状のことをいふのである。年に一度の便りの年賀状もあり、元旦早々之を受取るのは樂しいものである。

初便

 新年初めての便りである。

故郷の母と姉との初便 虚子

初暦

 新年の暦である。來るべき未知の月日に對すれば多少の感懐が湧き起るであらう。

初暦頼みもかけず掛けにけり 虚子

初刷

 新聞・雜誌の新年の初刷をいふのである。元日の雜煮を祝つて、ひと寛ぎしたところで擴げる新聞は最も初刷といふ感じがundefined。

初竈

 元旦初めて竈を焚くこと。焚初。

大服

 元日、若水をもつて茶を烹て、梅干・山椒・結昆布を投じ、一家舉つて此を服し賀客にも獻ずる。又大福・福茶ともいふ。

大服をたゞたぶたぶと召されしか 虚子

屠蘇

 新年に、白朮・肉桂・防風・山椒・桔梗・赤小豆などを調合し、紅絹の三角形の袋に入れ、桃の枝につけ、酒に投じて酌む。邪氣を拂ふといふ。

屠蘇臭くして酒に若かざる憤り 虚子

年酒

 一家のもの屠蘇を酌んで年を壽ぎ、又禮者に膳部をすゝめ一盞をすゝめる。これを年酒をいふ。

雜煮

「貞丈雜記」に雜煮の本名をほうぞうといふとある。臟腑を保養する意である。三ヶ日毎朝餅を羹にして神佛に供へ、一家擧つてこれを食うべて年を祝ふ。海山さまざまのものを投じて食べるので雜煮といふ。

一學系を率ゐて食ふ雜煮かな 虚子

太箸

 新年の膳部に用ゐる白木の箸。多く柳で作る。柳箸。箸紙。

太箸のたゞ太々とありぬべし 虚子

齒固

 齒固めとは年を延べ、齢を固むるの義といふ。三ヶ日餅に海山のくさぐさを添へて食ひ祝ふことをいふ。古くは宮中にもこの御儀があつたと傳へられる。

齒固や年齒とも言ひ習はせり 虚子

食積

 新年賀客饗応のために、組重などに料理を詰め置くものをいふ。重詰。

喰積にときどき動く老の箸 虚子

ごまめ

 新年賀祝に用ゐる小魚。田作・小殿原などといふ。小鰮である。

數の子

 鰊の子を乾燥したもの。夥しい數の子を持つて居るので、子孫繁榮を寓して祝ふ新年の肴である。

切山椒

 米の粉に粉山椒と砂糖とを加へて搗き交ぜ、細かく切つた餅である。淡紅に染めたのと白とある。山椒の香味があつて、新年のお茶受けによろこばれる。

門松

 新年にあたつて、長壽を祝つて門松を立てる。草の戸も遽かに神々しくなる。古くは賢木を用ゐ、之が松となり、更に竹を添へるに至つた。松飾。竹飾。

門松や我にうかりし人の門 虚子

 新年の諸々の飾である。注連を飾り、橙を飾り、蜜柑を飾り、串柿を飾り、齒朶を飾り、野老を飾り、穗俵を飾り、昆布を飾る。その所も門・入口・藏・竈・祠や井戸の類、神棚はいはずもがなである。お飾。輪飾。飾海老。

輪飾の少しゆがみて目出度けれ 虚子

注連飾

 しめは繩を左により、そのはしをそろえぬものである。左は清淨、端をそろえぬのはすなほを意味する。淨と不淨をわかつとされてゐる。新年の門戸や神前に懸けて飾るのは不淨を拂ふ意味である。新藁の色と香は清々しいものである。

煙筒に注連飾して川蒸汽 虚子

飾臼

 臼は農家にとつては必須のものである。それで新年には注連を張り鏡餅を供へんどして之を飾る。臼飾る。

鏡餅

 家の床をはじめ、神佛その他に新春の鏡餅を供へる。單に御鏡ともいふ。一トかさねは日月に象つたものである。

蓬莱

 三方に松竹梅を立て、楪・齒朶を敷き、これに白米・熨斗・昆布・橙・榧・穗俵・かち栗・くし柿・野老・海老など、山・海・野のくさぐさを飾り盛つたもの。その夫々が悉く新年嘉祝の意をそなへもつてゐる。渤海の東方に三神山あり、一を蓬莱、一を方丈、一を瀛州といふ。人を去ること遠からず、仙人及び不死の藥皆あり、云々の蓬莱に象つたものである。掛蓬莱。

蓬莱に徐福と申す鼠かな 虚子

福藁

 新年、庭に藁を敷くことがあるのをいふ。「不淨を除く心なるべし」とも「賀客を送迎の爲めなり」とも區々の説がある。

春著

 新年のために新調した衣服。

春著の妓右の袂に左の手 虚子

手毬

 昔の手毬は美しい色絲を綾にかゞつてあつた。が、今はそれは唯飾りものとして殘つてゐるのみである。けれども日南の縁側などで、毬の音のしてゐるのを聞いてゐると何となくそれが昔のまゝの美しい絲かゞりの手毬ででもあるやうな感じがする程に、新年らしく長閑なものがある。手毬つき。手毬唄。

手毬唄かなしきことをうつくしく 虚子

獨樂

 新年子供の弄ぶ玩具で、色々の形のものがある。昔は都會にも流行したが、今では田舎の子供達の遊び道具となつてゐる。小さな圓形の扁平木材に鐵の心棒を附けたものが多く、紐で廻し、ぶつつけあつたりして勝負を爭ふ。

たとふれば獨樂のはじける如くなり 虚子

追羽子

 手毬つき等と共に新年の婦女子の遊で、二人以上の人が一つの羽子を次々につきおくるのである。又獨で數をかぞへながら羽子つきをする。羽子をつく音は長閑である。遣羽子。揚羽子。逸羽子。懸羽子。

東山靜かに羽子の舞ひ落ちぬ 虚子

羽子板

 胡鬼の木の實をもつて羽子を作つたので、これをつく羽子板に胡鬼板の名がある。古くは内裏などのめでたい儀式の繪など描いた豪華なものがあつたが、今では役者の似顏を押繪にした華美なものが最も多い。大きいものなどは單に坐敷において飾とするために作られる。飾羽子板といふ。

羽子板を口にあてつゝ人を呼ぶ 虚子

羽子

 昔、幼いものが蚊に食はれない咒として、蚊を食ふ蜻蛉に象つて、つくばね(胡鬼ともいふ、灌木の名)の實に羽根をつけ、胡鬼の子と名づけて、これを板でつき上げて遊んだ。これが羽子のはじまりであるが、今は多く無患子の實に羽根をつける。

やゝ老いしあだなる人やおしやれ羽子 虚子

福引

 昔、二人で正月の餅を引き合つて、その取つた餅の多少に依つてその年の禍福を占つた。後、これが澤山の絲の中に餅又は橙を結んだものを引き合ふやうになつた。所謂寶引である。それが今日の福引となつたのである。これを特に新年とするのは年占の一種であつたからである。

福引の山の麓の幹事かな 虚子

歌留多

 小倉百人一首は、藤原定家が小倉山に閑居して、妻の兄、宇都宮頼綱の囑を受けて、嵯峨中院の障子の色紙に古今の歌より一人一首、百首を撰んで書いたものである。今日最も廣く行はれる歌がるたはこの小倉百人一首を書きつけたもので、新年、この撰ばれた古歌を朗々と誦詠し、下の句を書いた取札を取り競ふ。

歌留多とる皆美しく負けまじく 虚子

雙六

 盤上の遊戲として起原は隨分古く、持統天皇の御代には既にその禁令が發せられてゐるのを見ると、當時盛んに行はれたものであらう。盤上に十二畫を區切りこれに黒白の石を竝べ、賽二箇を振つて石を進め、勝負を爭つたものである。今日これは殆ど廢絶してゐる。今は一般に繪雙六のことを單に雙六といつてゐる。

繪雙六

 雙六盤は既に殆ど跡を絶つたが、その變形とも見るべき繪雙六が近世盛んに版行された。淨土雙六といつて、南閻浮州を振出しに人天・賢聖に至り、或は地獄に墮落し、無間地獄に永沈するもの、その他陞官雙六・道中雙六・役者雙六等々、種々工夫を凝らして次々と賣り出されたもので、その時代時代の風俗・習慣・文化等をうかゞふ好資料でもある。今では新年兒女の翫びものとして、雜誌の新年號附録などに見かける。

子供等に雙六まけて老の春 虚子

十六むさし

 雙六の類。十六の子と一の親とを以て線盤上に躯馳せしむる兒戲である。はじめ親は中央、子は邊縁に竝んでゐる。動きはじめると、親は子と子との間に割り入つてこの二子を取らうとする。子は一隅に親の進退を封じようとする。封じ得れば子の勝である。四子あればつめ込むことが出來る。二子になればもう駄目である。この場合は親の勝ちである。

幼きと遊ぶ十六むさしかな 虚子

投扇興

 筐の上に胡蝶に象つた飾を置き、之に扇を投じ、其の落ちたところの形に夫々源氏五十四帖の名があり、點を爭ひ興ずる遊びである。青疉の上に春著の袖を飜して美しい扇を投じ、桐壺が出來たわ、などといつてゐると新年の夜は更け易い。

萬歳

 松の内、太夫は風折烏帽子に素袍を著、扇を手にし、才藏は大黒頭巾にたちつけを穿ち、鼓を打ちつつ家々をめぐり歩いて、節面白く賀祝の早歌を唱ひ、立舞をする。中古禁中に行はれた蹈歌の節會に由來するといふ。

萬歳の乘りし竹屋の渡舟かな 虚子

猿廻し

 猿は馬の病を除くといふことから、昔から猿曳が新年厩の祓をする。又厄を去るといふ迷信もあつて、猿を舞はしめて戸毎に錢を乞ふ。

親猿の赤い頭巾や叱られし 虚子

獅子舞

 新年、獅子頭を戴き、笛・太鼓をもつて打ち囃しつつ、家々に至り惡魔を拂ふといつて舞ふ。時に所望されて道化や曲藝を演ずるものもある。太神樂とも呼ばれるが、伊勢の太神樂とは全く異つたものである。

獅子舞の藪にかくれて現れぬ 虚子

傀儡師

 昔、新年の巷間に現れて、人形箱を首にかけ、人形を使つて、人を集め錢を乞うたもの。攝津西宮に多く住み、遠く京師にまで徘徊したといはれる。くぐつ廻し・でく廻し・夷廻しなどといふ。傀儡女。

三條の橋を背中に傀儡師 虚子

笑初

 たゞ新年に始めて笑ふことであるが、常の日の笑と違つて目出度く陽氣である。初笑。

口あけて腹の底まで初笑 虚子

泣初

 新年に始めて泣くことである。子供など「元日に泣くと一年中泣いてゐなきやならないよ」などといひきかされてあつても、つひ何かのことで泣初をする。初泣。

掃初

 元日には掃くことを一切しないので、二日になつて初めて新しい箒をとる。初箒。

掃ぞめの箒や土になれ初む 虚子

書初

 古くは元日、公武兩家。良賤皆試筆を揮つた。今では二日、目出度い詩句を撰んで書初をする。筆初・吉書などといふ。

老後の子賢にして筆始かな 虚子

讀初

 書初を終れば讀初をすることを近世までの習としたが、今は唯思ひのまゝに、好む一書をとつて讀み始めるのである。

謹で君が遺稿を讀みはじむ 虚子

仕事始

 新年に始めて仕事につき、事務をとることをいふ。事務始。鞴始。斧始。

山始

 木樵などが新年山に入つて、鳥獸に餅などを撒き與へたりなどして山を祝ふのをいふ。初山。

鍬始

 二日、農家で儀式的に田畑に鍬を使ひ始むることをいふ。鋤始。農始。

織初

 新年始めて機織をはじめること。機始。初機。

縫初

 新年始めてものを縫ひ始めること。初針。

縫ぞめや堺の鋏京の針 虚子

初商

 今は大分亂れて來たが、昔の商家は元日は店を閉ぢて物を賣らず、二日になつて營業を開始したものである。今は元日の所もあり、二日の所もあれば三日の所もある。

賣初

 新年の初賣である。商家の習慣で日取は色々であるが、景氣をつけて體外添物をしたりする。

賣初や町内一の古暖簾 虚子

買初

 新年の初買である。賣る方のやうにはつきりした日取も心意氣もなく、買物をした後、今のが書初であつた、と氣がつくやうなうつかりしたことも多いであらう。

初荷

 二日、商家では初賣の荷を賑しく飾り立てて、馬車・トラックなどをもつて送り出す。これを初荷といふ。初荷馬。初荷船。

はだかりし府中の町の初荷馬 虚子

飾馬

 初荷を曳く馬とか其他の飼馬に新しい腹當をつけ染麻等を下げて飾りたてた馬をいふ。

初湯

 新年始めて沐浴する湯。錢湯は二日が初湯である。初風呂。

からからと初湯の桶をならしつゝ 虚子

梳き初

 新年はじめて髮をくしけづることである。暮から結つてゐた正月髮を解く場合もあらう。

新しき櫛や油やすき始め 虚子

結ひ初

 初結、新年はじめて髮を結ふことである。新年の髮結さんはこれらのお客でほとんど不眠不休の状態である。

初髮

 新年始めて結ひ上げた髮をいふ。

初島田結ひてすね居る書齋かな 虚子

初鏡

 新年はじめての化粧に打向ふ鏡。

老の顏うつりてをかし初鏡 虚子

稽古始

 新年始めて武術・音曲・生花などの稽古を始めること。初稽古。

謠初

 新年に初めて謠をうたうこと。

敷舞臺拭き清めあり謠初 虚子

彈初

 新年、琴・三絃・鼓弓などを彈きはじめること。初彈。琴始。

彈初の姉のかげなる妹かな 虚子

舞初

 新年、宮中の舞樂を司る家々に於て舞初の式が行はれ、蘭陵王・納蘇利などが舞はれる。又一般の家庭・稽古屋などでも夫々が行はれる。

初句會

 年頭の句會。

初句會浮世話をするよりも 虚子

初芝居

 新年の芝居は舞臺も人も賑々しく美々しい。狂言なども、寶永年間に曾我狂言を出して大いに當つて以來、必ずこれを出したものである。

病人のある氣がゝりや初芝居 虚子

寶船

 二日の夜、寶船の圖を枕の下に敷き寢して、吉夢あれば福とし惡夢あれば水に流す。圖はくさぐさの寶を盛つたもの、七福神の乘つたもの、それに「なかきよのとをのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」の歌を書き入れたものなどがある。上方では節分の夜に敷く。

吾妹子が敷いてくれたる寶船 虚子

初夢

 二日の夜から三日の曉にかけて見る夢である。その年の吉凶を占ふ。寶船・獏の札等を枕の下に敷寢して吉夢を得ようとし、もし惡夢を見た時は之を水に流す。地方又は時代によつて、節分の夜から立春の曉に至る夢をさすとの説もあるが、現在では一般に一日の夜から二日の朝にかけて見る夢をいつてゐるやうである。

初夢の唯空白を存したり 虚子

松囃子

 徳川時代、正月三日、殿中に於て、觀世・金春・寶生等の太夫を召し御囃子を催すのを例とした。これを松囃子といつた。今日では上野東照宮に於て行はれてゐる。

福沸

 神佛に供へた餅を小さく刻んで、沸した湯に入れて掻き廻し砂糖を入れて味をつkたもので、多くは一月三日に行はれる。上野護國院では殊に盛大に行ふ。又若水を煮るのを福沸といひ、これに用ゐる鍋を福鍋といふとの説や、七日の粥を以て福沸といふとの説もある。時代に依り又地方に依つてさういつた事もあるのであらう。

御用始

 一月四日、内閣を始めとし、各官廳に於て御用始を行ふ。

帳綴

 商家にあつては、一般に一月四日、各々その年用ゐる新しい帖簿を綴ぢ、その上書をし、之をつけ始める。帳書。帳始。

女禮者

 女の廻禮は三ヶ日を過ぎてから行はれるのが常である。

騎初

 騎馬始・馬場始・發騎、皆新年はじめて馬に乘ることである。武家時代には相當やかましい儀式もあつたであらう。

初乘や由井の渚を駒竝めて 虚子

弓始

 新年になつてはじめて弓を引くことである。昔は隨分嚴かな儀式があつたものであらう。記録には正月七日、或は十七日などいふ日取が見える。初弓。的始。射場始。弓矢始。射初。

出初

 一月初旬、各地の消防組が總出動して、夫々に消防初演習をする。これを出初といふ。東京では六日、丸ノ内に於て晴れの出初式が舉行される。いなせな江戸時代のまゝの火消し裝束をつけた人々が集つて、消化演習・梯子乘などを行ふ。出初式。

こゝに又出初くづれのゐたりけり 虚子

寒の水

 寒の内の水をいふ。寒中の水は藥になるともいひ、寒の水に餅をつけるといつまでも惡くならないなどいふ。飮めば五臟の冷え渡るのを覺えるが美味い。

寒造

 寒中の水で酒を釀すこと又釀した酒。寒造りはその味最も優れてをり、長く貯藏にたへるのである。寒い中略々三ヶ月に亙る間、寒造りのために山村の若者が酒造地に多勢繰り出すことがある。此の若者を百日といふ。

寒餅

 寒中に搗いた餅。黴を生ぜず、永く保存に堪へるといふ。掻餅・霰餅などにもされる。

けふ寒の明けるといふに餅をつく 虚子

寒紅

 寒中に製した紅が尤もよいといふので寒紅は貴ばれる。殊に寒中の丑の日がよいといひ、丑紅の名がある。又寒中丑の日に紅をさせば口中の蟲を殺すといふ俗説もある。

丑紅を皆濃くつけて話しけり 虚子

寒詣

 寒三十日の間、神社・佛寺に參詣することである。裸・跣で或は白衣を僅かに身にまとうて寒夜を冒して信心のお詣りを續けるのである。大護摩を焚いてもらうもの、お百度を踏むもの、水垢離をとるもの等夫々に寒さと鬪ひつゝ一心に神佛の膝下に參ずるものである。裸參。

背低きは女なるべし寒詣 虚子

寒垢離

 寒中の水を浴びて神佛に祈願をこめるのである。山法師・修驗者等法螺の貝を吹き鳴らし白裝束で町中を歩いて、そのために門口に用意されてをる水桶の水を浴びて修行するものもある。寒行。

寒念佛

 寒中、僧俗を問はず太鼓や鉦を叩き、念佛・題目等を稱へて市中を練り歩いて喜捨を乞ふものをいふ。寒行の一つである。

人住まぬ門竝びけり寒念佛 虚子

寒施行

 狐・狸等の寒中餌食の缺乏した時分に小豆飯・豆腐のから・油揚などを田の畦・野道などに捨てておいて施すことをいふ。穴施行といふのは祠の裏とか藪ぎはの大樹の洞などにある狐狸の穴を入れてやることである。寒夜提灯をつけ、野施行々々々と唱へながら田野を歩くところもある。野施行。

寒灸

 寒中を選んで灸を据ゑることである。古くから寒の灸は特によく效くとされて廣く行はれてをる。日を選び、風を除けた一間に、もぐさの匂ひの立て罩めて老人が背を丸くしてゐたりする。

寒稽古

 撃劍・柔道等を修むるものが寒中特別に猛烈な稽古をするのを寒稽古といふ。早朝まだ暗い内に起きて道場に行き、又は夜が更けて寒氣肌を刺す時心身をひき緊めて鍛錬するのである。又藝事にもいふ。

寒稽古病める師匠の嚴しさよ 虚子

寒復習

 日本の音曲・聲曲にいそしむものが、寒中早朝又は夜更に特に烈しく練習をすること。一度血を吐かねばいゝ聲が出ないなどと血を吐く思ひのおさらへである。艷めかしいうちにも嚴しさが感ぜられる。

寒彈

 義太夫・長唄・常磐津などの師匠の家では、寒の中は特に朝早くから三味の稽古をする。

寒聲

 寒中に鍛へればいゝ聲が出るといふので、特に日本の聲曲をたしなむものは寒中朝早くとか夜更けとか寒氣の烈しい時刻に猛練習を行ふのである。

寒聲に嗄らせし喉を大事かな 虚子

寒見舞

 寒中知人の安否を見舞ふことである。書状でする人も、訪ねて行く人もある。暑中見舞のやうに餘り一般的ではない。

寒卵

 寒中に生んだ鷄卵である。永く貯藏に堪へ最も滋養に富むといふ。寒中であるから割つても皿の中に黄身は小高く盛上つてゐて心持がよい。

手にとればほのとぬくしや寒玉子 虚子

寒釣

 寒中の魚釣をいふのである。一體冬は魚類は流れの少い、深處の、日當りのよいところへ集つてゐるので、それを覘つて釣るのである。寒鮒・寒鯉・寒鰡・寒鯊などは普通に行はれてゐる寒釣りの魚である。

七種

「せりなづな御行はこべら佛の坐すゞなすゞしろこれや七種」―初春の野に立ち出でて之を摘み、羹とすることは中國から傳つたことで、古く萬葉時代から行はれてゐた。萬病を攘ひ、邪氣を除くといはれ、若い乙女子の手に摘まれ、煮られるのが本義とされてゐる。昔は上子の日に摘み、之を天子に上つたのであるが、いつしか七日に行ふ習となつた。春の七草。

七種に更に嫁菜を加へけり 虚子

薺打つ

 七日、七種粥をつくる。未明の厨から「ななくさなづな唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に」と唱へ囃して、薺を打ち刻む音が響いて來る。この日には唐土の鬼車鳥といふ惡鳥が日本に渡つて來て災をもたらすといひ傳へ、打ち囃してこれを禳ふのである。七種打つ・七種はやすなどといふ。

人日

 東方朔占書に「歳正月一日占鷄……七日占人」とあるによつて名づく。五節句の一、陰暦正月七日の稱。七草の粥を祝ふ慣例がある。

何をもて人日の客もてなさん 虚子

七種粥

 七種を打ち囃して、惡鳥を禳ふといふいひ傳へなどはよしなくとも、冬枯の野に出て、早や青々と鮮やかな色をなしてゐる七種を摘み、これを粥にして食するといふことは新年の一日にふさわしい清々しい行事である。薺粥。

粥柱

 粥の中に餅を入れたもの。七種や十五日の小豆粥などに用ゐる。

寢正月

 新年になつて無精寢をすることである。例へば一家の主婦等平常はさうしたことも出來ないが、正月客も來ない時等は臺所も手がかゝらないし、ゆつくり寢て骨休めをする場合等をいふのである。又病氣で新年に臥してゐる場合も縁喜から寢正月といふ。

鷽替

 一月七日、筑前の太宰府天滿宮で行はれる神事である。夜になつて七時頃からはじまる。參詣の人々が木の枝で造つた大小の鷽鳥を持つて神前で、「替へませう、替へませう」といひながら、互に遇ふ人々と取り替へ合ふのである。その中には社務所から出す黄金製のものが一つまじつてゐて、これを得ようとして雜沓するのであるといふ。その後「鬼燻の神事」といふのがある。鷽替は大阪天滿天神及び東京の龜戸天滿宮でも行はれる。龜戸は二十五日である。

小松引

 一月最初の子の日に、野に出て小松を引き、歌宴を張らせ給ふ殿上の行事であつた。初春の野に立ち出でて淑氣に觸れ、千年の長命を保つ松の、殊に小松のゆくすゑたのもしいよはひにあやからうとする義である。子の日の遊。初子の日。

子の日する昔の人のあらまほし 虚子

初寅

 一月最初の寅の日、京都では初寅詣といつて、鞍馬寺の毘沙門天に參詣する。二の寅・三の寅などいふのもある。この日鞍馬の土民は、福掻・福蜈蚣・燧石などを賣るのを例とした。蜈蚣は毘沙門天の使なのである。東京では神樂坂の毘沙門、品川南馬場の毘沙門なども參詣者が多い。福寅・畚下し。

初卯

 一月最初の卯の日、初卯詣といつて、東京では龜戸神社境内の妙義社に參詣する。社では防火符・開運出世符などを出し、又魔除けとして卯杖・卯槌などいふものを頒つ。京都賀茂神社でも此日神事がある。攝津住吉神社は古來有名であつた。卯の札。

初藥師

 一月八日、今年最初の藥師如來の縁日で、方々の藥師堂に參詣する。これは醫藥の佛樣で、衆生の病患を救ひ、無明の舊痾を治す法藥を與へるといはれてゐる。堂には、蓮華の上に坐し、左手に藥壺を持ち、右手に施無畏の印を結んだ像が安置されてある。

初金毘羅

 金毘羅樣の縁日は毎月十日であるが、一月十日は初金毘羅といつて參詣者が多い。讃岐の金刀比羅宮は古來有名である。東京では芝虎の門の琴平神社が賑ふ。この神樣は太刀を執つて藥師如來を護る神將で、魚身蛇形、尾に寶玉を藏する天竺靈鷲山の鬼神とある。縁日には必ず雨が降るといふ古傳がある。

十日戎

 初惠美須ともいふ。一月十日である。各地にあることであるが、兵庫縣の西宮神社、大阪の今宮、京都建仁寺門前の蛭子社などは殊に賑ふ。これは元來商賣の神樣で商人の信仰は特に篤いが、聾であるといふので、表からお詣りするばかりでなく社後へ廻つて羽目板を敲き「只今詣りました」と念を押して歸る風習があるといふ。九日が宵戎、十一日が殘り福。又色々な寶物を小笹に吊して賣る、これを福笹・戎笹或は吉兆といふ。

寶惠籠

 一月十日、大阪今宮戎神社の祭禮――十日戎に、南地の藝妓・舞妓が紅白の縮緬を卷き飾つた籠に乘り「ホヱカゴホイホイ」と賑やかに囃し立てて相次いで參詣する。これを寶惠籠といふ。大阪の新年行事の中で最も美しいものの一つである。戎籠とも呼ばれる。

春場所

 毎年、一月十日前後から十五日間、東京の國技館で行はれる大角力である。一月場所。正月場所。

春場所の其横綱の男ぶり 虚子

餅花

 一月十四日、餅の小さな玉を作り、樣々の色にそめ、これを樹枝に揷して神前に供へる。繭に象つたもので繭玉ともいふ。養蠶の盛んなのを祝ふのであるが、今日では唯部屋の飾、ショーウインドの裝飾などにその華やかさを止めてゐるのみである。

餅花の賽は鯛より大きけれ 虚子

土龍打

「うごろもちうち」とも讀む。正月十四日の行事で元來西國の俗らしい。子供や番頭など、藁を束ねたものを持つて「十四日のもぐら打ち……」と囃し乍ら庭を打つて歩く。土龍は海鼠を嫌ふといふので、昔は海鼠を繩にくゝつて曳きずつて廻るやうなこともした。又そんなことを囃に唄ふ所もある。囃の詞は地方々々で樣々である。他所の家の庭を打つてやると、荒神樣に供へた鏡餅をお禮にくれたりする所もあるといふ。節分の夜行ふ所もある。

綱曳

 昔、大津の人々と三井寺門前の人々とが原野に出て大綱を引き合ひ、その年の吉凶を占つた。十三日から十四日の朝に至るといふ。年占の一種である。西國には今もこの行事が殘つてゐる。浪花の八坂の綱曳は一月十四日、大磯の綱曳も同日。

二人して網曳なんど試みよ 虚子

松納

 門松をとり拂ふことである。松取る。門松取る。

飾納

 新年の飾り一切を取り除くことである。主にどんどに焚かれる。飾取る。注連取る。

注連貰

 新年の飾を徹する日、子供達はこの飾を貰ひあつめて毬打をして遊んだり、お宮のどんとに投げこんで遊ぶのである。關西及び田舍に多い。

注連貰の中に我子を見出せし 虚子

左義長

 新年の飾りを撤してこれを爆らすことをいふ。その由來には諸説があつて定かでないが、禁中にも行はれ、種々變遷して今日の如きものとなつたものと思はれる。どんど・とんどなどの名があるのはその囃聲から出たもの。吉書揚とは書初の書をこの火の上にかざして高く上らしめ書の上達を祈る行事である。飾焚く。

鳥總松

 門松をとり拂ふとき、その梢の一枝を切つてその後に立てゝおく。鳥總とは古歌にもある如く、木樵が樹を伐り倒した時、その一枝を伐つてその後に立て、山神を祀るので、島線松もそれに倣つたものである。

轍あと絶えざる門や鳥總松 虚子

小豆粥

 一月十五日、小豆粥をつくり餅を雜へて食ふ。十五日粥ともいふ。「十五日あづきがゆを煮て天狗を祭れば、年中の邪氣を除く」といふ古説に基いたものである。

明日死ぬる命めでたし小豆粥 虚子

藪入

 一月十六日、一日仕事を休み、使用人を父母の膝下に歸らせ又は自由に外出せしめることをいふ。現在では十五日を成人の日とする。養父入。里下り。宿下り。

薮入の田舍の月の明るさよ 虚子

水餅

 長い間食べる新年の餅は一部分水餅にされる。小餅や切餅を水甕に寒の水を張つて浸けて置くと黴も生えず永く保つ。又、軟い餅を好むために水餅にすることもある。水甕の餅も段々減つて箸が屆かなくなると冷たい水に手を入れる。

水餅や壺中の天地晦冥に 虚子

煮凝

 魚鳥などを煮た汁が寒氣のために凝り固まつたものである。鯛や鰤等煮て翌朝見ると鍋ながらにこごりとなつて魚がとぢられてゐることが屡々ある。煮凝は特有の味を舌に殘してとろりと溶けて了ふ。凝鮒。

煮凝や鼠はかゝる枡落し 虚子

氷豆腐

 寒夜豆腐を屋外で凍らせ、乾した食料品である。凍らすには豆腐を適宜に切つて簀に乘せ屋外の棚に竝べて置き、乾かす時は藁しべを以て四箇づつ編み、二聯づつ括つて竹竿に吊して乾すのである。紀州高野山は産地として有名なので高野豆腐の名がある。又雲仙や諏訪あたりも有名な産地で冬季は民家といはず宿屋といはずこぞつて製造に從事する。農家等で自家用の凍豆腐を庇の上等に出してみるのもよく見掛ける處だ。寒豆腐。

氷蒟蒻

 普通の蒟蒻を一旦湯に投じ、その煮えたのを取り上げて適當の大きさに切り、更にそれを三十日内外嚴塞に晒したものである。其間、毎夜水を掛けて凍結を助成し、旁々晒すことにもなるのである。曝せば質は極めて粗鬆となる。兵庫縣・茨城縣などに多く産する。

寒天造る

 心太を適宜に切つて筵等に竝べ、二・三夜寒中屋外に置いて凍らせ、それから約十日間晝は日光に當て夜は凍らせして晒し、更に乾し上げたものが寒天である。仕上りは主に一尺餘の四角な棒形で、極めて輕い。紅に著色したものと白とある。よく法事に使ひ又ゼリー・羊羹其他菓子の原料にもなり、寒天版・工業藥材等用途が廣い。長野・大阪・三重等から多く出る。

寒曝

 寒中に穀類を晒すことであるが、主に白玉粉をいふ。菓子・團子等の原料で、糯米を石臼で挽き、其粉を寒水で洗顏し、毎日水を替へて晒し凡一週間の後袋で水分を去り乾すのである。脂肪が減じ粉が微かくなる。寒晒。

初觀音

 一月十八日。觀世音菩薩の最初の縁日である。この佛は大慈大悲を以て十方國土に身を現し、世人がその名を稱する音聲を觀じて皆解脱せしむるとある。常に忍辱柔和の相を持して、種々に形相を變ずるといはれてゐる。それで六觀音・七觀音・二十三觀音などいふのがある。淺草觀音など夥しい信者をあつめて居る。

寒肥

 冬、草木に肥料をやるのをいふのである。肥は糠・魚粕・豆粕・油滓・堆肥などで、これをよく土に吸收せしめて置き、樹木が春活動を始める頃效くやうにするので。又施肥の際、根の周圍を掘るために切斷された古根からは春に新根が簇生して樹木の勢を強める效果もある。

寒肥を皆やりにけり梅櫻 虚子

初大師

 初弘法ともいふ。一月二十一日である。大師堂はどこでも賑はふが、京都の東寺は殊に參詣人が多いやうだ。

初天神

 一月二十五日である。龜戸天滿宮ではこの日、鷽替の神事(別項參照)といふのがある。雷除の守札が出る。境内では、天神花・天神旗などいふものをも賣つてゐる。參詣者が多い。

探梅

 冬、早咲の梅を探ねて山野に出掛けるのをいふ。小春の日南に青いしもとを上げ、青い萼をひらいて綻びてゐる白梅の一輪を見出すなどはまことに風趣が深い。探梅行。

梅を探りて病める老尼に二三言 虚子

柊揷す

 古く宮中の門に節分の夜、柊を揷し、なよしのかしらを揷した。柊は冬緑深く、その操を稱へ、なよしは出世魚、その名吉の意をとつたのである。江戸時代以來全く市井の習俗となつた。柊の代りに海桐花の枝を揷す地方もある。今は「なよし」に代へて鰯の頭を豆殼に揷して門に立てるならはしである。

柊を揷す母によりそひにけり 虚子

追儺

 追儺は又なやらひ・鬼やらひともいひ、毎年除夜、宮中の儀式として行はれてゐたものである。今では節分の夜、各社寺に於て追儺式が盛んに行はれてゐる。相州寒川神社では今も古式に倣つて行はれ、夜燈を消し天のはじ弓(柳の弓)と天のかぐ矢(葦の矢)を撒き、近郊近在から此の弓矢を授かりに群集する。

豆撒

 節分の夜、神社・佛閣で追儺の豆撒きが行はれる。年男が麻裃で神佛に供へられてある豆を撒く。成田不動は特に此の催しの著名な所である。民間各戸にあつても當夜「福は内・鬼は外」と呼んで豆撒をする。年の豆。

吉田屋の疊にふみぬ年の豆 虚子

厄落

 男の四十二歳、女の三十三歳の大厄をはじめその他の厄年に當つた者が災難をのがれるために、節分の夜に厄落しの禁厭をする。方法は地方によつて違ふが最も廣く行はれてゐるのはふぐりおとしである。氏神樣へ參詣して人に見付からぬ樣に褌を落してくるので、これで厄を落した事になるので。又割薪に何の年の男とか女とか自分の年齡干支を書いてそれをどんどに上げる事や、火吹竹の古いのを暗闇の戸外に投げること等も行はれてゐる。

厄拂

 節分の夜乞食が手拭をかむり張ぼての籠をかつぎ扇子を持つて「厄拂ひませう。厄拂ひませう」と町々を流して歩く。厄歳に宿る人の家では之を呼んで豆・錢を與へると「アヽラめでたいなめでたいな。めでたい事で祓はうなら、鶴は千年龜萬年、東方朔は九千歳、三浦の大助百六つ、いかなる惡魔が來るともこの厄拂ひがひつとらへ、ちくらが沖へ眞ッ逆樣にさらり」といふ風な事を唱へて去る。

厄塚

 一月十九日の女節分から二月三・四日の節分の眞夜中まで、京都吉田神社の太元宮に厄塚が建てられる。その形は天の岩戸開きを象つて、天の眞榊を根こぎにして奉つてある。賽者は自分の干支・年齡を記した紙に厄豆を包んで此厄塚めがけて投げつけ、あらゆる厄をこの厄塚に負はせて自ら厄を免れようといふのである。又、古いお札や神棚などを納めてそれが大きな塚をなす。夜、それに火を放つて燒くのである。

和布刈神事

 門司早鞆岬、和布刈神社の神事である。毎年陰暦大晦日夜半から曉にかけて行はれる。古くから極めて神祕なものとして諸人には觀ることを許されなかつたものである。神事の時刻が來れば、境内に大焚火を爲し、神樂を奏し、やがて衣冠帶劍の三人の禰宜が松明・鎌・桶を分ち持つて石階を下り、渚に立つて祝詞を奏し、早潮の礁のほとりを探つて若布を刈り、潮垂れのまゝ神に供へるのである。和布刈禰宜。和布刈桶。

動物

初鷄

 元日、黎明に聞く鷄鳴である。

初鷄や動きそめたる山かづら 虚子

初鴉

 元旦に聞き、或は見る烏である。

初雀

 元旦の雀である。雀躍といふ言葉があるやうに、喜びを象徴するものとして、新年の季題とされたものであらう。

嫁が君

 新年の鼠のことである。

三寶に登りて追はれ嫁が君 虚子

寒鯉

 寒中の鯉はその動作も鈍くぢつと一所に集つて棲息し、たまたま暖い日など僅かに遊弋するくらゐである。池沼の涸れた水が深い泥の上に澄んでゐるところなどに泥から背を出してぢつと靜まりかへつてゐることもある。古利根や印旛沼・潮來あたりには寒鯉をとる舟が澤山出る。一年中で最も美味である。

寒鯉の一擲したる力かな 虚子

寒鮒

 寒中の鮒。特にこの季節には美味であるといつて賞味せられる。寒鮒釣。

藪の池寒鮒釣のはやあらず 虚子

寒鴉

 鴉は雀などの如く始終人の目につくものであるが冬になると食餌の缺乏から人里近く現れ、地上に下りて食物を漁る。さうした鴉が寒中の荒涼たる天地の中に點々して人に近づいて來ると人も又自ら之に親しみを覺えるのである。塞風に吹きさらされて枯木の枝を得、群を爲して島から渡り來ることもある。麥畑にはよく群れる。

かわかわと大きくゆるく寒鴉 虚子

寒雀

 雀は人家近く棲み最も我々に親しみの多いものであるが、冬に入ると食物が乏しくなり、ますます人家の軒近くやつて來る。落葉しつくした木々の枝に膨れてとまつてゐるのもいぢらしい。寒中の雀は美味なのでよく捕へられる。

倉庫の扉打ち開きあり寒雀 虚子

凍蝶

 冬の蝶はぢつとして幾日も羽搏つことさへもなく止つてゐることがある。死んでゐるのかと思つて觸れて見るとそれがほろほろと舞ひ上つてみたり、又生きてゐるとばかり思つて觸れて見ると凍つて死んでゐたりする。さうした蝶を凍蝶と呼ぶ。孔不仲の詩に「凍蝶依殘菊、幽禽立臥槎」等とあるのを見ると、凍蝶の字句も古くから使はれてゐることも判る。

凍蝶の己が魂追うて飛ぶ 虚子

植物

齒朶

 山野に自生してゐる齒朶は永く人に忘れられてゐるが、これを刈り、町にもたらし、新年の飾としてわれわれの前に現れた時、始めて年改まるといふなつかし感じをこの草に覺える。餅に敷き、膳に敷き、飾に結ばれる。山草・穗長・裏白・諸向などの名がある。

齒朶勝の三方置くや草の宿 虚子

 この木は新葉が生ひとゝのつてはじめて舊葉が落ちるので、讓葉又は親子草と呼ばれ、それにあやかるべく新年の飾にも用ゐる。ゆるやかな、おほらかな長い葉に、紅色の葉莖がついてゐる。

楪の赤き筋こそにじみたれ 虚子

野老

 山の芋の屬で、零餘子を生じない種類である。根を新年に飾る。鬚根は苦く固く食ふに堪へないがこれを老人のひげに見立てゝ長壽を祝ふ心持である。萆薢。

穗俵

 各地沿岸の深所に生ずる海藻で、四・五尺くらゐ、三稜形の莖には披針形淺缺刻の葉をつけてゐる。所々に豆大の氣胞がある。褐藻類であるが、採つて乾かせば鮮緑色となる。これを俵のやうに束ねて蓬莱臺に飾るのである。和名をなのりそといふ。ほんだはら。

福壽草

 元日必ず咲くといひ、元日草の名がある。小さいがふくよかな豐かな感じのする菊のやうな黄色な花。朝に開き夕に閉ぢる。

何もなき床に置きけり福壽草 虚子

若菜

 若菜は七種の總稱。若菜摘。

 七種の一つ。後にはぺんぺん草となる。薺摘。

千兩

 庭園に栽培せられ、新年などには目出度い鉢植として商はれる。高さ二・三尺、常磐葉の枝頭に冬、小粒の紅い置を結ぶ。黄色なのも稀にある。

萬兩

 萬兩は千兩よりも質が大きく、豐かな感じがする。色も少し沈んだ深紅で品がいい。つくばひの傍などの陰地を好む。すつかり厚く松葉などが敷きつめられた庭に麗はしい紅點を垂れる。

藪柑子

 山林・陰地などに自生し、二・三寸から四・五寸くらゐの高さに、小粒の美しい紅果をつける。新年の蓬莱臺にもつかはれ、盆栽にも用ゐる。福壽草とともに高野山に多い。

青木の實

 青木の厚ぼつたい葉がくれに冬、棗に似た實が房を爲して顏を出してゐるのを見る。青い置が半熟し、紅熟する。とりどりによい。眺ひるものも少い冬の庭に一點紅を爲すもの。

寒牡丹

 嚴冬に花を咲かせるために、藁などでかこつて培ふのである。初瀬寺・染寺その他牡丹に名のある所に杖を曳けば、寒中の牡丹の花に遇ふことが出來よう。寒牡丹といふ特別の種類があるのではない。冬牡丹。

慘として驕らざるこの寒牡丹 虚子

葉牡丹

 甘藍の一種で觀賞用として植ゑる。緑・白・紫等の縮緬葉が疊んで、花にあらずして、尚花の如く、冬深い園には牡丹とも見まがふ。新年の床に活け、又鉢に培はれる。

寒菊

 寒菊は菊花の盛を過ぎた頃から蕾を上げ始めて、冬期、小輪深黄或は深紅の花を開き、永く咲きつづける。菊の原種の一變種である。葉が紅葉することもあるし、雪中に花をつけ、雅致の深いものである。冬菊。

寒菊や年々同じ庭の隅 虚子

水仙

 菊のあとは花も少くなる中に、嚴寒にもめげずに咲いてまことに氣品の高い花である。一重と八重とがある。

水仙や表紙とれたる古言海 虚子

寒竹の子

 寒竹は庭園・生垣などによく栽培されてゐる小形の竹で、高さ五・六尺から一丈くらゐ、莖の太さは大抵二・三分、風致のある竹である。これに寒中筍を生ずる。珍品として食膳に供する。

冬苺

 夏白い花を開いて、冬實が熟する。野生の灌木状の草本である。落葉など被つて黄金色の實が葉毎に熟れてゐるのは子供ならずとも嬉しいものである。

麥の芽

 十一月・十二月に蒔かれた麥は、間もなく土を割つて春の草のやうに鮮かに青い芽を上げる。

麥の芽の丘の起伏も美まし國 虚子

石蓴

 俗に「石蓴は寒で立つ」といひ、少し強い寒さが始まると、淺海の岩石を覆つた鮮緑色のあをさが頓に目に立つて來る。形は不整圓形の薄い葉状をなしてゐる。あをさ汁といつて、味噌汁などに入れて甚だ風味がよい。

早梅

 冬至頃から咲き出す特殊な梅はもちろん早梅であるが、特に暖かな地方とか、南面した山懷とか、さういふ處にあつて、季節よりも早く咲き出でた梅をいふのである。

神前の軒端の梅の早さかな 虚子

臘梅

 臘月、葉に魁けて黄蝋に似た花をつける。蘭香を放つ。唐梅ともいふ。

寒梅

 寒中に花を發する梅。冬の梅。寒紅梅。

冬梅の既に情を含みをり 虚子

寒椿

 椿は春の花であるが、早喉は既に冬季寒中に咲くところからこれを寒椿といひ冬椿と稱ぶのである。寒椿とい特別の種類があるのではない。日當りのよい藪表の山椿、八重の太神樂等は早く咲く。枯木や常磐木の中に一點の紅を點ずるもの、凛としたところがある。

雪かぶる日もありて咲く冬椿 虚子

侘助

 冬から咲く椿である。一重の小輪で、花の數も乏しく、どことなく侘しい感じの伴ふ花である。古くから茶人などの好むところである。

侘助や障子の内の話聲 虚子

寒木瓜

 寒中に咲く木瓜である。日当りのいゝ縁側などに鉢植の木瓜を置けば、何となく春を待つ心持がある。真紅もよく、緑を帯びた雪白の花が芽葉を従へて咲いてゐるのは又なくいゝ。

室咲

 冬、温室で咲かせた不時の花をいふ。梅・桃・櫻・躑躅・木瓜などから、百合・蘭・櫻草など何れも室咲とすることが出來る。室から、室のやうに暖かくした座敷に移されて、時じくの花をつゞけるのを眺めるのも、冬の無聊の愉みの一つである。室の花。室の梅。