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金森徳次郎『講和と憲法』(1951年)

 金森徳次郎(1886-1959)は憲法學者、國立國會圖書館初代館長。第1次吉田茂内閣國務相として日本國憲法の制定に盡力した。1959(昭和34)年6月16日沒。
 下記作品は、1951(昭和26)年5月3日、制定から4年目の憲法記念日を迎へる日に『毎日新聞』に掲載された文章です。


講和と憲法

軽率な改正論は不可
自衞権は放棄してない

金森徳次郎

 憲法施行後丸四年を経た。年々歳々花相同じきも憲法が我々に与える印象は同一でない。同じ条文ではあるけれどもそれが我々に及ぼす心理的な影響は違う。最初の一年は何か全く物珍しいものであり、未だ知らぬ新らしい変化を与えてくれるようであり、また半面には伝統的な価値観を覆すことの心配もあり、同時に何かなしに心にさからうような気分もあった。
 たしかに局部的な錯覚もあった。個人の尊厳の言葉に魅せられて個人の我ままも発揮する面もあり、団体行動の権利が暴行に転移した事例もないではない。権威を侮蔑する念慮が道徳意識をさえ追い払った傾きもある。
 第二年に入ると、民主主義的な政治行動、社会行動の形態が自然に習熟された。両性の基本的平等から来る婦人の政治活動もにぎやかになって来た。すべて古きものを克服して新らしきものに重みを与えようとする気風が相当のびて来た。
 しかし経済状況が改善され国民生活に幾分の安心が出来てくるにつれて、人々の心の中にある時計の振子は反対の方に動かんとして来た。憲法の実施の面において行き過ぎがあったと仮定しても次第次第に安定の方向に向い、その行くところが何やら昔にもどったのではないかとの疑惧をすら生じるようになった。それと同時に憲法の各種の規定が国民の心に親しいものとなってしまい、昔からこんな規定の中に住んでいたような気持になったのである。
 この道行は大体において新旧の高低差が程よく調整されたようにも思われる。所が第四年になって四囲の状勢は自由主義平和主義文化念願の憲法の上に相当大きな問題が持ちこまれ、憲法の解釈そのものにさえ大きな陰影が下され、殊に平和もし来らばこの憲法の再検討が好ましいなどという論議まで耳にするようになった。
 第一によく聞くのは憲法を如何にも気楽に変えられるような論である。殊に特別な状勢の下で出来た憲法だから状勢が変ったら変るのは自然だとする論がある。憲法の関する限りそんな風に考うべきでないと思う。純理だけからいえば人間の作ったものを人間が変えてならぬ理くつはない。しかし人間そのものは安定性を欲するものであり、安定性を有するものが幸福に栄えるのである。憲法は実に安定性を代表する法則である。硬性憲法の原理をとったのもそのためである。一を知りかつ二を知るものは根本的なものを軽率に扱ってはならぬのは当然だ。
 第二に再軍備の問題がある。平和憲法の名から直感して日本は自衛権もないのだ。正当防衛も出来ないのだ。一切の戦争を放棄したのだと考えた人が多かった。多かったぐらいではなく、時の要路者もこれに似た意見を表明したことがある。解釈は解釈を生み憲法第九条の解釈について各人の意見の異なる点を計算して見ると十を越えるであろう。
 不思議千万のことであるが、これは平和に愛着する心が深いのと四面の状勢から来る不安の念とのもつれから来るわけである。これに対して一応の所見を述べて置きたいものだ。そしてこれは議会当時の説明であって後から作成したものではない。
(一)先ず我々は自衛戦争をなすことを理論上放棄はしていない。このことは憲法九条第一項が国際紛争処理のための戦争等を放棄しているのみであることによって明らかである。
(二)我々が交戦権を認めないと九条第二項でいっているのは戦争をする権利を認めないのではなく、戦争者の有するような戦争に有利な権利を認めないだけだ。つまり方法の問題だ。
(三)戦力を認めないのは全般的に認めないので自衛戦争のためなら認める意味ではない。戦力自体は攻防何れについても同一物なのだ。これを合せ考えると理論上は自衛戦争が出来る訳だが手段を制限したから実際上は如何ともし難いということになる。つまり自衛に名をかりて攻撃をする懸念をふさいだのである。過去の失行にかえりみて自制しまた他の疑をとざしたのである。自衛をなす権があっても手段がないのは民法の無能力者ににているが、これは類例が多いことだ。
 第三にこのごろ不思議な話を聞いた。婦人に参政権が認められたのは特殊事情から来ている。講和になれば婦人の参政権はその昔のように廃止されるだろうとある有識婦人がいった。これは成年者普通選挙の規定に反するものだ。それなら憲法改正の手続によらねば是認出来ず国民投票がいる。
 第四にこのごろまたこんなことを聞いた。議院内閣制は政局を不安定にする。総理大臣は任期制とし議会の信任にかからしめぬように、つまり米国風の権力分立制にすれば、政治が円滑に行くとするのである。大統領は総理大臣と違い国の象徴の意味もある。また二院平等の米国では両院別々に不信任決議をするから收まらない事情もある。日本に移し植えるには畑の味が違うようだ。
 第五に私の一番気になるのは立法権の行き過ぎ問題である。国会は最高であり唯一の立法機関である。そしてこれに対しては毫末も制限はない。その行くところを支える力はない。万一逸馬の如く飛び出す心配はないか。米国及びその各州には首長の拒否権がある。英国には内閣に重点がある。講和前の日本は別として講和後の日本には調節権がどこにあるだろう。この自由な政治をして最善の効果をあげしむるは他の場合と同じく『良識』であろう。

(国会図書館長)


底本:「毎日新聞」
   1951(昭和26)年5月3日
※行頭を1字下げました。