マガジンのカバー画像

日々雑感2018

106
テキストなどを放り込んでいく場.基本的には読書録・映画録になると思います.2018年は精読を心掛ける!
運営しているクリエイター

#雑記

『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』

書籍詳細 人類学と考古学、芸術、そして建築。 これら4つのAをすべて、世界を探究する技術として捉えなおしたならば、どんな風景が広がるだろう。そのために石器を試作し、浜辺を歩き、ある1体の彫像を1週間観察する。そんな授業を続けてきたインゴルドが送る、文化人類学の冒険の書! ■ 2018年1冊目。 あまり頭に入って来なかったな... しかし、建物は世界の一部であり、世界は停止したままではなく、常に成長、衰退、再生という無限のプロセスを展開している。いかに人間がそれを釘づけ

トヨタの新しいコンセプトカー「e-Palette」がちょっと面白そう

トヨタは”モビリティ版アマゾン”を目指す トヨタがCESで発表した新しいコンセプトカーがちょっと面白そう. どういうものかというとまずは下の動画をご覧くださいませ. 自動運転車にさまざまなサービスを付加し,モビリティを耐久消費財ではなくサービスとして提供する,という,まあありそうといえばありそうな提案なんだけど,それがビジュアライズされて公式に発表されたということは大きな意味を持つのだろうな. つまりこのニュースはトヨタのような一時代を築いてきた会社が自動車産業において

「ランドマークが機能しなくなった」東京と「ランドマークが描かれない」東京─背景が語ることはなんなのだろうか2

『シン・ゴジラ』と『君の名は。』を同時期に観て、東京の描かれ方の差異にふと目がいった。 ふたつの作品はアニメと実写という違いはあるものの、『シン・ゴジラ』の場合はCGで実写を補完し、とてもアニメ的な構図でつくられた実写でもある。本質的な違いが存在しているわけではない。 両者の作品はどちらも「東京」という場所を描くことが作品の中ではある一定の重要性を持っているように思われる。 「ランドマークが機能しなくなった」東京 「よく知られているように、初代ゴジラは身長が50mであり、当

「”落ちた”後は上がる以外に道は無し!!」と言った人がいた─『オデッセイ』

さんざん「火星に取り残された男が繰り広げる感動巨編!」みたいな宣伝がされていたが、ネット上に流れていた「火星版DASH村」という表現がまさにジャストフィットな作品だった。 もう単純にエンタメ作品として、なんの癖も嫌みもないとても爽快な気分で観れる作品。 『インターステラー』のマン博士とは打って変わって「とにかく明るいデイモン」と揶揄されるくらいマット・デイモン扮するマーク・ワトニーが魅力的な人物。どんな苦境も持ち前の明るさとユーモアで乗り越える姿はとても爽快。あんだけポジ

物語装置としての窓

夜のファミレスが何故か好きだ。それは、都心ではなくて郊外のロードサイドであればあるほど、人気がなければないほど、私にとっての好みの場所となる。深夜のファミレスには情緒を誘うものがある。 なぜだろうか。 福田雄一によるドラマ『THE 3名様』は、深夜のファミレスでどうしようもない若者3人組がただダラダラとくっちゃべるという作品だ。 ただダラダラと喋るだけ。特に事件が起きるわけでもない。しかし、なぜ、これを面白いと思えるのだろうか。 ファミレス=物語の同時並列ファミレスには、

「初音ミク」を考える─『初音ミクと建築』1

初音ミクと建築について何か考えられないかと勝手に妄想したものです。時間ある方は暇つぶしにでも。 初音ミクとは 初音ミクは、クリプトン・フューチャー・メディアが2007年から展開している、ヤマハが開発した音声合成システムVOCALOIDにより女声の歌声を合成することのできるソフトウェア音源。初音ミクは「未来的なアイドル」をコンセプトとしてキャラクター付けされた。名前の由来は、未来から初めての音がやってくるという意味で、「初めての音」から「初音」、「未来」から「ミク」。ソフト

初音ミクから都市・建築を考えるための断想録─『初音ミクと建築』2

「初音ミク」を考える─『初音ミクと建築』1 ここからは、何か都市や建築につなげれないかなーと妄想したモノです。断片的な思考ですが。 「動員」の性質が変わることによって変わる音楽ホール 劇場や音楽ホールといったビルディングタイプは普段の私たちにとって馴染みのないものである。日本建築学会によって編集された『音楽空間への誘い-コンサートホールの楽しみ』という本にはこんな一節がある。 「…新しいデザインを生む以前にクラシックコンサートホールを支える社会的環境が微妙に崩れようと

「面会室」という異空間─『凶悪』

スクープ雑誌「明潮24」に東京拘置所に収監中の死刑囚・須藤から手紙が届く。記者の藤井は上司から須藤に面会して話を聞いてくるように命じられる。藤井が須藤から聞かされたのは、警察も知らない須藤の余罪、3件の殺人事件とその首謀者である「先生」と呼ばれる男・木村の存在だった。木村を追いつめたいので記事にして欲しいという須藤の告白に、当初は半身半疑だった藤井も、取材を進めるうちに須藤の告発に信憑性があることを知ると、取り憑かれたように取材に没頭していく。 「わたし」と「あなた」が向き

都市景観についてのノート

パーソナルな世界実写版『ゴーストインザシェル』などで描かれている多言語の看板が入り混じる都市風景に違和感を感じていたが、ウェアラブルデバイスやインプランタブルデバイスで文字をリアルタイム翻訳して表示言語の統一化をはかれるようになると考えれば、その風景に自分が違和感を感じてしまうのもなるほどなと感じた。 リアルタイム翻訳が浸透すれば、今のように日本語の下に英語、中国語を書く必要もないしいちいち表示選択もする必要がないので、むしろ広告のありかたがスッキリするのではないか。そし

集合住宅雑感

集合住宅について触れるなら51C型まで遡らなければならない、さらに51C型とは西山夘三の食寝分離論や吉武泰水、鈴木成文の議論から繋がっていた。 公団の大量の住宅供給はnDK・nLDKという形式が生まれたから可能になった。その後、nDK・nLDKというキーワードは建て売り住宅やマンションなどに広がり、現在、当たり前のように住宅の大きさや部屋数を示すフォーマットとして使われている。 一方、こうしたnDK・nLDKという形式は現在の生活には適さないとして、建築家からは脱nLDK

「フィクション」,「リアル」,「リアリティ」について─背景が語ることはなんなのだろうか0

社会学者の大澤真幸が、1995年以降の時代状況を「現実から逃避する」のではなく「現実へと逃避する」と分析している。彼が「現実」に「リアリティ」とルビをふっていることに注意したい。現実は普通、リアルの語訳に当てはまるのであって、リアリティではない。ここで逃避が向かっている「現実」とは、「現実以上に現実的なもの、現実の中の現実、「これこそまさに現実!」と見なしたくなるような現実である」。つまり、「リアル」以上に「リアリティ」を持つ何かであって、私たちが生きている世界より、もっと身

建築とフィクションについて─背景が語ることはなんなのだろうか-1

パトリシア・ウォー「文学フィクションで実際「再現する」ことが可能なのはその世界の言説だけである。」 書かれたものはそれが何について書かれたものか、という前にひとつの表現である。「」について書いてある文章ではなく、「「」についてかいてある文章」という一つの表現である。 建築は、実際に現実世界に建てられる実存的存在であり、紛れもない「現実」に存在する「ひとつの表現」である。 しかし、その建築について記された文章は、それが文章という言葉によって成り立つものである限りは、その建

「環境美化運動」─AR時代以後の都市風景

街は自室ではない。ねむるための巣穴ではなく、獲物を獲りにゆく山野なのだ。街の光景も多数の主体の自律的活動が織りなす点では、山野と変わらぬ一種の〈自然〉だ。自分の思い通りにならない他者の横溢、そこにこそ街の価値がある。ARを重ね書きすることは、狩り場じゅうに自分の体臭を塗りこめるような愚行だ。どこもかしこも自分の匂いしかしない山野で、どうやって獲物を嗅ぎ当てられるというのだ。 「#銀の匙」飛浩隆 あらゆる人が無償で利用できる「最低保証情報環境基盤」。 インターネットが普及し、

「六次の隔たり」

インターネットは「知りたいことを知る」ためには最適なツールであると言える。現在、さまざまなデータがアーカイブ化され検索性が向上している。人びとは自分の知りたいことを知るためには検索窓を駆使し検索すれば事足りる。さらにはパーソナライズ化が進展したその先には「検索しない検索」の時代がやってくる。ありとあらゆる情報をアルゴリズムが本人に先立って提供してくれる。 パソコンとは「パーソナルなコンピュータ」だ。かつて、私たちのパソコンをインターネットに繋ぐためにはパスワードを入力するこ