「環境美化運動」─AR時代以後の都市風景
街は自室ではない。ねむるための巣穴ではなく、獲物を獲りにゆく山野なのだ。街の光景も多数の主体の自律的活動が織りなす点では、山野と変わらぬ一種の〈自然〉だ。自分の思い通りにならない他者の横溢、そこにこそ街の価値がある。ARを重ね書きすることは、狩り場じゅうに自分の体臭を塗りこめるような愚行だ。どこもかしこも自分の匂いしかしない山野で、どうやって獲物を嗅ぎ当てられるというのだ。
「#銀の匙」飛浩隆
あらゆる人が無償で利用できる「最低保証情報環境基盤」。
インターネットが普及し、情報環境へのアクセスは人間にとって必須なものとなった。
人びとは、「最低保証情報環境基盤」と連携する複雑適応系エージェントたるライフログ書記「Cassy」(人間の一生を「記述」する)を享受する、この「#銀の匙」の世界では、ARはすでに廃れている。
(情報)景観の汚染とその対策
ひしめく看板。がなり立てる音声広告。いきなり目の前に突き出されるフライヤー。それらは物理的実態を伴っていて、聞きたくない音、見たくない色彩を排除できず、チラシを配る人間や地置きの広告サインは歩行のさまたげとなった。
ARは街の中に溢れるあらゆるものをシャットダウンすることができる。
美しいものだけ見ていたい。
と考える人は少なくないだろう。
ARでは美しいものだけ見ることが可能だ。
未来を想像するまでもなく、現在のネットにも広告やヘイトスピーチにデマ・流言、「ポスト・トゥルース」と言われるこの時代の情報環境は既に汚染されている。
そこで採用される方法のひとつが「フィルタリング」である。「フィルタリング」によって私たちは見たいものだけを見ることができる。例えば、海賊版サイトを受け政府はブロッキング対策を発表した(海賊版サイトはもちろんよくない)。おそらく本作でも同様の背景があるのだろう。
「#銀の匙」でもARは「フィルタリング」によって、見たいものだけを見ることができることを宣伝文句としている。
それにくらべて、ARならばいくらでもフィルタできる。空間という資源をほとんど侵害しない。好きなデザインで世界を飾ることもできる。
ARは街から余計(だと思える)な物理的実態を消し去った。
それが「環境美化運動」。
その結果どうなったかというと、街からは魅力が失われた。
ユーザが自分でフィルタを設定するからこそARで飾られた街は魅力を失うのだ。
最初に戻る。
ARによってフィルタリングされた都市風景は自分が見たいものだけが現れる世界になったが、そこは想定されたものしか現れないつまらない風景となった。結果としてこの世界ではARは廃れていき、物語の柱となる「Cassy」が普及することとなった。
人間は未知のものを求める。その点を踏まえ、私たちは風景をどう設計するか考えなくてはならない。
「未知」を促す
本作では、ARは街から見たくないものを消す技術として取り扱われているが、私たちはむしろ街の中の「未知」の発見を促すARを知っている。
それはポケモンGOだ。
ポケモンGOでは、「ポケストップ」というものが設定されている。その対象となるのは地域のランドマークなどがある一方で、マンホールやひっそりと佇む銅像、、、などその地域に住む人ですら知らなかったものが対象になっていることがある。
開発元であるナイアンティックの発言を見ると、ポケモンGOではゲームを楽しんでもらうことはもちろんだが、同時に人びとが街に出て街の「楽しさ」や「未知」を発見してもらうことを強調している。
このARでは、「見たくないものを見ないようにする」のではなく、街の「未知」や「ノイズ」とも言えるものの発見を促し「見る解像度を増やす」方向に働いている。結果として、私たちの街の愛着度が上がる。
「ノイズ」を愛でる
技術革新は「世界をまったく変える」、というわけではなく、むしろ「世界への解像度を深める」ものだと考えたい。そう考えるとARは街や都市風景への解像度を高めるものとして作用する可能性を大いに持っている。
街には「未知」や「ノイズ」が溢れている。
それらをどう発見するかどう楽しむかをどのように設計していくか。そう考えていくことで街の魅力はより深まっていく。未来の都市風景を考えるときに世の中にある「未知」や「ノイズ」の発見者から学ぶことは多いかもしれない。
「#銀の匙」収録書籍
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