建築とフィクションについて─背景が語ることはなんなのだろうか-1

パトリシア・ウォー「文学フィクションで実際「再現する」ことが可能なのはその世界の言説だけである。」


書かれたものはそれが何について書かれたものか、という前にひとつの表現である。「」について書いてある文章ではなく、「「」についてかいてある文章」という一つの表現である。


建築は、実際に現実世界に建てられる実存的存在であり、紛れもない「現実」に存在する「ひとつの表現」である。

しかし、その建築について記された文章は、それが文章という言葉によって成り立つものである限りは、その建築自身をそのままに記すことはできない。

その文章は「その建築について記された文章」というひとつの表現、言うなれば「フィクション」でしかない。「建築という現実」をそのままに言葉にするというのは不可能なことである。

となれば、「建築という現実」と「その建築について記された文章」は同じひとつの表現であり、等価にしか存在することができない。ならば、そこには両者が両者を刺激し合うような緊張感が発生することが期待される。


「その建築について記された文章」が持ちうる「意味」とは、おそらく建築に付随するものではなく、むしろその存在自体が「建築という現実」と共鳴し合うことで価値を高め合う別次元の表現であり、どちらが良くてどちらが悪いということはない。

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