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家族の心理的安全性

今日は心理的安全性について話していこうと思います。


心理的安全性とは

「心理的安全性」っていう言葉を聞いたことはあるでしょうか? ちょっと前からビジネスの領域で話題になっている言葉で、google社が最初に提唱したとされています。googleの中で「うまく機能しているチームにはどんなものがあるのか」と解析したら、「チームの中で心理的に安全であると感じられる」ということが大事というのが分かりました。心理的安全性は、いくつかの因子があると高まるとされています。4つ挙げると「話しやすさ」「助け合い」「挑戦」「新奇歓迎」です。 心理的安全性って会社が業績を上げていくために重要なものとされているんですけど、僕は、この要素って家族、家庭にも大事で、子育てをすることとか親子関係とかにも大事じゃないかなと思います。なので4つの要素を、家族に当てはめて話をしていこうと思います。

①話やすさ

何を言っても大丈夫なんだという要素ですね。この裏返しは、「分からないことを表に出せない」とかかな。特に仕事上ではあるかなと思います。これを家庭に置き換えてみると、どうでしょう。
僕は自分が子供の頃に、親に対して話しやすさってあったかというとあんまりなかったかな。僕の父親は割と寡黙で無口で怒りっぽくて。急に怒り出すからご機嫌を取らなきゃいけなかった。 今の自分を振り返って、子供達と話しやすさを保てているかというと、ここはある程度いいですね。全部を話してくれるわけじゃないですけど、なるべく仕事から早く帰ってきて、子供達と話す時間を作りたいなと思っています。親が忙しくせず、ある程度の心のゆとりを持っておくと、子供が寧々と話しかけてきてくれた時に手を止めて話せるんですよね。 忙しいと時間に追われて、子供が話しかけてきたときに、目の体も子供に向けずに、何かやりながらどうしたの?って聞いちゃうことがある。それはすごく嫌だったんですよね。 診察でもそうです。カルテばっかり見て、全然こっち向いてくれないって思っている患者さんがいるって授業で習うから、なるべく視線や体を向けるっていうことを診察で意識しています。 職場でも家庭でも、話やすさって大事ですよね。

②助け合い

困った時はお互い様。これはその通りなんですけど。
我が家は妻とも共通の見解があって、お手伝いを意識してたくさんしてもらいます。
お手伝いの持って行き方が難しいですけどね。親が「やれ」ということでないし、「助けてもらう」ということではないし。家事全般、食事、洗濯、掃除、なるべくやってもらうようにしていますが、うまくいかなくて指示しちゃう時も多いですので、まだまだその辺は課題だと思います。 最近ちょっとうまくいったよなと思うことがありました。ぼく、ご飯作って一人で片付けもしていると、結構イライラしちゃうんです(ご飯作るのは好きだけど、片付け別に好きな訳じゃないので)。みんながご飯を食べ終わって、それぞれ自分の食器は運ぶんですけど、誰のものでもないドレッシング類とか残ったおかずとか、食卓に残ったものを片付けるとき無性にイライラしちゃうんです。イライラをぶつけて「ちょっとやってよ」というのがダメパターンですが、洗い物をしならが「助けてー大変だー」と助けを呼ぶとやってくれることが多くなりました。「やりなさい」よりも「お願い!」みたいな感じだと動いてくれることも多くていい感じだなと思ったりします。困った時に困っているよっていうことを言えるっていうこと自体が大事ですよね。人間は困った人を助けるっていう本能的な衝動があると思っているんですけど。圧力とかパワーでやらせるのではなく、親がしっかり弱さを見せて、できないことを表現できるっていうのが助け合いってところでも大事なんじゃないかなと思います。

③挑戦

「とりあえずやってみよう」という要素ですね。特にミスをしちゃいけないような状況だとなかなかチャレンジって生まれないです。病院とかだと厳しめですよね。ビジネスの領域だとミスする許容範囲みたいのがあって、その範囲の中なら何やってもオッケーよっていう状態はすごく大事だよなと思います。枠がある中で挑戦する、この範囲まで許容可能ですよっていう枠を認識しておくっていうのはとても大事です。 で、これを自分の家庭に置き換えて見た時に、大怪我するとか、誰かを傷つけてしまうとか、そういう最低限の枠組みは、親が意識しておいた方がいいと思います。そして、その範囲の中で挑戦するとある程度うまくいかないことも起こるわけで、そうなった時に「チャレンジすることが次への一歩に繋がるんだ」ということを本人が自然と気づいてくれたらいいですね。そこを親が認知する、「よく挑戦したね」「勇気出してよくやったね」と声をかける、褒めるのとまたちょっと違うと思うんですよね。 一方で僕も日常生活の中で、お茶こぼすとか、バーって色々起こるじゃないですか。そういう時つい「あー!」って言っちゃいますよね。ミスを指摘するのは萎縮させちゃいますから気をつけないといけないとは思います。失敗をすることを通じて学んでいく、失敗は失敗でないというふうに普段から接することでチャレンジできるんだと思います。僕も日常のドタバタの中ではまだ課題です。習い事とかはいいんですけど。

④新奇歓迎

これは、「新しいこと」もですけど「違う」ということを認め合えるかだと思います。
多様性とか、自分らしさとか言われますけれど、すごく簡単なようで難しい。自分が見ている世界って、周りの人も同じ様に認識しているはずだと思ってしまうので。
SF(ストレングスファインダー)とかVIAで、強みとか自己と他者の違いとか、そんな話色々ありますが。大事なことは、同じ現象を見たとしても、それを受け止める「認知」と言われるものが人によって違ういうことが大前提ということです。その後、何を感じて、何を思って、何を表現するかというのも全く違ってくる。そうすると同じ物を見ていて、同じこと言語を使っていても、意味合いが全然違うって事が多々起こります。 例えば「信頼」という言葉の意味は、辞書で引くような共通の意味があるけど、それに伴う、もう少し多くを含んだ意味合いは全然違う。「信頼」って言われて思い浮かべることが違いますよね。 うちの3人の子供たちを見ていても三者三様子だと思います。同じことを同じようにやらせようと思うとすごく大変なことになっちゃう。
強みやその人らしさはお互い違うんだという前提に立った上で相手を認める。それぞれ同じような振る舞いをする必要はないし、自分と相容れない価値観みたいなものが相手にあったとしてもそれはそれ。それってつまり自分自分の内側にある、優しさ、厳しさ、いろんな要素を受け入れていることだし、そうすることで他人の中にあるいろんな要素を受け入れられるんですよね。自分の特徴を認めることが、他人の特徴も認める事になる。それが新奇歓迎という、自分と違うものを受け入れる、歓迎することに繋がります。

まとめ

ということで、「心理的安全性」というものがビジネスの領域で大事になってきているけれども、家族ではどうなのという話でした。「話やすさ」「助け合い」「挑戦」「新奇歓迎」この4つの要素が自分の大切な人たちの関わり、家庭の中で達成できているのか、ということを意識することがとても大切なんじゃないかなというお話でした。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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