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「なんでもある」は「なんにもない」。だと思う。

なんでもある。

多くの人がこの状態を求めている気がする。

もっと大きな家に住みたい。もっとおいしいものを食べたい。
もっと便利な場所に住みたい。もっとお金が欲しい etc.

田舎の人は都会に行きたがる。
「なんでもあるから」。

現に鹿の子も田舎出身であり、そう思っていたし周りの友達もそう言っていた。
関東方面というのは、田舎出身からすると「なんでもある」憧れの地なのだ。

確かにわくわくする。
美味しいものが「なんでもある」。
見たいものも「なんでもある」からすぐに触れられる。
行きたい魅力的なスポットも「なんでもある」。

だが最近思うことは、

「なんでもあるけどなんにもないな」ということ。

こんなになんでもあるところにいて、どんどん新しい刺激を求めてしまう。
それは終わりのないこと。何でもあるのにいつまでも満足できない。

もっともっと、もっと新しいものを、もっと刺激のあるものを、
もっと楽しいものを。。。

満たされすぎて、たくさんありすぎて、「ある」ということにこの人たちは気づかないのではないかと思った。

こんなわくわくする所に慣れてしまってる人たちは、いったい次は何を求めるのだろう。
と、鹿の子は都会に行くたびに感じている。

一時のわくわくした高揚感の後に訪れる虚しさや寂しさ。

「なんでもある」ということは終わりのない欲望を生み出してしまい、
「ある」のに「ない」と感じてしまう人間を作り出してしまうと思った。

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