見出し画像

40歳を過ぎてから親と向き合うということ

16年前、実家は持ち家から借家に引っ越した。父がせっかく建てた終の住処「100年住宅」は10年経たずに手離すことになり、とりあえずで引っ越した借家に一人残っていた母が、ついに一人暮らし用のアパートに引越しをすることになった。

その引越しの片付けを手伝いに行った話は先日書いたが、このとき、もう一つ、ものすごく考えさせられることがあった。

自分が思っていた以上に、親がいろんなことができなくなっていたのだ。

少し前から、自転車で何度かコケたから、もう自転車に乗るのをやめたとか、電車に乗るときは足が痛いから、駅では階段を使わずエレベーターを使っていると聞いていたり、実際に一緒に歩くと、ものすごくゆっくりになっていたり、体力的に衰えていて、親も年老いたなと感じることはあった。

自分自身も年々、体の衰えを感じているため、まあ、70歳過ぎたらそんなもんだよな、とは思っていた。しかし、今回感じたのはもっと別の変化だった。

片付けをしている中、これは捨てるのか、持っていくのか、常に判断が必要だった。捨てるなら、燃えるゴミなのか、燃えないゴミなのか、資源ゴミなのか、住んでいる自治体によって仕分けが異なるため、何ゴミかを母に聞いた。

そのたび「わからない」という答えばかりが続き、最終的には考えるのをやめ「まあ、いいわ」と仕分けを放棄し、後回しにしていくのだ。

最近は帰省をしても実家に泊まることはなく、ごはんを外で食べる1〜2時間くらいしか一緒にいないケースが増えていたので、あまり気にしていなかったのだが、判断力・決断力が圧倒的に衰えていることに、驚いた。

同時に、悲しくなった。

自分よりもいろいろわかっていて、なんでもやってくれて、面倒を見てくれていた親が、いつの間にか自分よりいろんなことができなくなっていて、子どもである自分の方が圧倒的に親の面倒を見る側になっていたのだ。

そもそも、アパートも母は自分の名義で契約できないため弟が契約していたり、廃棄業者との折衝も兄や弟がしたりしていた。

そして、あらかた片付け、新居の鍵を受け取ったというので一緒に部屋を見にいくと「電気や水道、ガスの開通をしないと」という話をし始め、業者の電話番号をメモした手帳を開き、「番号は書いてきたんだけど」というものの、いつ連絡したらいいのか、とうだうだ言っていたので、じれったくなり私が代理で電話をかけた。

電気はその場で、水道はその日の午後に業者が開栓にきてくれ、立会い不要で使えるようになり、ガスだけ、休日に連絡の受付をしていなかったため、母に平日にかけて、立会いできる日を調整するように伝えた。

電話をしながら、こんな連絡も自分でできないのか、とショックを受けた。ただ電話をかけて、必要事項を伝えるだけなのに。

年老いていくということは、一人でいろんなことができなくなっていくことなのかと、年寄りは誰かの世話にならざるを得ないのかと、歳をとることが怖くなった瞬間だった。

老後、子どもがいたら多少面倒を見てもらえるかもしれない。配偶者がいたら助け合えるかもしれない。でも配偶者も子どももいなければ、自分でなんとかするしかないのだろう。そうなってくると、いかにいざという時に頼れる友人が身近にいるか、が重要になってくるのかもしれない。

親のそんな変化に気持ちがついていかないまま東京に戻り、日常が訪れた。

数日後、母から「ガスも連絡し、立会いして無事開通し、家電が入れば生活できるようになった」と電話があった。

少しだけ安心した。自分でやるしかなかったら、母もやるのだ。誰かがやってくれると思うから、人はやらなくなるのかもしれない。

それはきっと、家事育児を奥さんに任せて一切やらない男性や、面倒な仕事を部下に丸投げしてやらないおじさん管理職も同じ。誰かがやってくれるから、やらなくて済んでいるだけのこと。

かくいう自分もだんなと結婚し、だんながいろいろやってくれるので、だいぶやらなくなっていることがある。どこかに行くとき、交通や地図はだんなが調べて連れて行ってくれるし、切符もホテルも予約してくれる。家の管理維持関係のことは、各種契約を始め、設備や回線関係含め全部お任せしている。

老後のためにも、たまには自分一人でいろいろやってみた方がいいな、と改めて思った。そして、できればだんなより先に死にたい(小声)。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?