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旅する日本語 第7語 「礼遇の音色」

もう一度訪れたい場所が、京都にある。

「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」ーー通称、鈴虫寺である。

2015年の夏、夫婦で京都への旅が決まった時、夫がここだけは連れていきたいと教えてくれたのが鈴虫寺だった。

このお寺の魅力はズバリ、鈴虫説法にある。一年中、鈴虫の音色を聴けるような環境にするためにクーラーの効いている座敷の部屋で、お茶とお菓子をいただきながら、小一時間、住職の話を聞く。そのために、全国各地から人が集まる。多いときは、寺の外まで説法行列ができるほどだそう。

住職いわく「寺とは、本来、観光地ではなく参拝するところで、住職などと話をしたり、お参りをする場所」だという。実際、この鈴虫寺に行くまで、私も寺は観光地、見に行く場所という認識だった。

笑いを交えながら、為になる話をしてくれる住職。話し方がおもしろいと、人間、話を聴いてしまうものだなとぼんやり思いながら、これは書き留めないともったいない!という想いにかられ、私はメモ帳を取り出し、住職の話を書き留めることにした。3年間、寝かせてあった話を平成最後の夏に、改めて振り返ってみたい。

「知足(ちそく)」ーー足るを知る。

「足りていることを知ることが大事、我慢せえってことじゃない。まず、お金・時間・健康と3拍子そろっているからこそあなた方は京都を旅行し、いま「鈴虫寺」にも来ることができている、それだけで幸せなのだ」と住職は言う。

また「『心が洗われる』という言葉があるが、これだと非常に受身的。自ら心を洗うためには、普段の動作一つ一つをていねいにすることだ」と教えられた。

「最近の若い人は、顔の表情がなくなっている」と住職はいう。「笑うと、心がやわらかくなる。顔の表情にはその人の生活ぶりがすべて出るもの。それによって人が集まったり、縁ができたりする」そうした結果として、いろいろな願いがかなうというわけだ。

だから「そのとき、その場所でしか感じられないこと、偶然を受け止めて楽しめる"やわらかさ”を持つことが大事」そう話す住職の顔にはやわらかい笑顔が浮かんでいた。

また、神社とお寺の違いも教えてくれた。「そもそも、神社は神様、お寺は仏様(インド)と、信仰の対象が違う。だが、共通して言えるのは、何かに対して敬意を払うことが大切だということ。手を合わせる、顔を合わせることを日頃から心がけよう」と教えられた。

「願掛けをしたら願いが叶うわけではない。結局、いいことも悪いことも自分で種をまかないと芽は出ない。ちょっとのことの積み重ねが、明日を作るのだ。」住職の言葉が胸に響く。

「他不是吾」ーー他はこれ我にあらず

「自分で体を動かして、汗水垂らして初めていろんなことがわかる。経験することが大事なのだ」と繰り返し言葉を変えて話された。

「知識より知恵。知恵は言葉で表現できるものじゃない。他人と比べてしんどくなっても仕方がない。人の話に耳を貸す謙虚さと自分で決めたことを最後までやり通す強さが、願いを叶えるのだ」と。

鈴虫寺もかつての住職が一年中鈴虫の鳴き声を聴けるようにするために自ら試行錯誤を重ね、実現までに28年かかったそう。それでも、決めたことをやり遂げるまでやり通すことで実現させている。

鈴虫寺には、一杯のお茶とお菓子という茶礼だけではない、おもてなしの心が溢れていた。鈴虫寺で年中聴けるのは鈴虫の音色だけではない。一番のおもてなしは住職のお話。あの礼遇の音色を聴きに、また鈴虫寺にいきたい、そう思うのだ。

ちなみに、鈴虫寺には、一つだけ願いを叶えにきてくれるという、わらじを履いた「幸福地蔵」がいる。

このとき私がした願掛けはまだ道半ば。でも確実に前に進んでいる実感はある。そして鈴虫寺でもらった教え、「楽しむ、笑う」ことで縁がつながり、願いに近づける、というのはこの3年で身をもって体感している。

笑おう。楽しもう。

それが明日の自分を支えてくれる。

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