富士通レッドウェーブ FUJITSU Red Wave

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富士通レッドウェーブ FUJITSU Red Wave

Wリーグに所属する富士通女子バスケットボール部「Red Wave/レッドウェーブ」の公式noteアカウントです。女子バスケの魅力や選手が背負うドラマ、仲間とのエピソード、支えてくれる人々の想いなどを発信していきます。

最近の記事

「雨降って地固まる」バスケット人生/奥伊吹①

人生には晴れの日もあれば、雨の日もあります。 その雨が連日続くこともあります。 鬱陶しい……。 そう思うこともありますが、 世界中を見回しても、これまでにやまなかった雨はありません。 いかにその雨を凌いで、青空を待つか。 青空が広がれば、濡れていたはずの地も固まっていきます。 あとはその大地を踏み込んで、青空に向けて思いきり羽ばたくだけ。 富士通レッドウェーブのスモールフォワード、 奥伊吹選手(コートネーム:イブ)もまた、 長い雨の日々を過ごした経験があります。 ただし彼女

    • いつだって全力で、うまくなりたい!

      大学時代に、自らが「これ」と思えるバスケットに出合った 富士通レッドウェーブの赤木里帆選手(コートネーム:ヨウ)。 しかしそれが富士通での1年目に苦しむ要因にもなります。 レギュラーシーズン全24試合のうち(うち4試合が不成立)、 出場できたのは9試合に留まります。 前年のインカレでMVPを獲得した赤木選手からすると、 たとえルーキーイヤーだとしても、悔しい思いはあったはずです。 ただ、そこで簡単に折れない心を持っていることが、 赤木選手をステップアップへと導いていきます。

      • 強豪チームで学んだ学生時代

        中学時代から全国大会を経験し、 高校は名門、桜花学園高校へ。 東京医療保健大学では今なお続くインカレ6連覇の礎を築きました。 そんな学生時代を振り返ると、 “エリート街道まっしぐら” と、受け取られるかもしれません。 しかし富士通レッドウェーブのガード、 赤木里帆選手(コートネーム:ヨウ)は、 けっしてエリートではありません。 むろんそれだけの実力は持っていますが、 むしろ周囲の環境に助けられながら、 必死に努力を重ねることで、道を切り拓いてきたのです――。 チームで勝つ

        • いざ、2年目のシーズンへ/江良萌香②

          高校生活最後の1年を大きなケガと、そのリハビリで過ごした 富士通レッドウェーブの江良萌香選手(コートネーム:ウル)。 しかし、それまでの実績と将来性を買われ、 Wリーグのアイシン・エィ・ダブリュ(現アイシン) ウィングスに入団します。 日本最高峰の舞台は甘いものではありませんでした。 しかし、精神的には苦しんだけれども、 レッドウェーブに移籍するまでの5年間があったからこそ、 Wリーグで戦う基礎は築けたとも言います。 Wリーグ選手としての基礎を築いた5年間 アイシン・エィ

        「雨降って地固まる」バスケット人生/奥伊吹①

          恥ずかしがり屋の裏側/江良萌香①

          体を動かすことは大好きだけど、 どこか恥ずかしがり屋で、積極的に前に出ようとはしない。 そんな少女がバスケットボールに出会って、 少しずつ変わっていく。 成長していく――。 富士通レッドウェーブのシューティングガード、 江良萌香選手(コートネーム:ウル)は これまでさまざまな壁にぶつかりながら、 そのたびに自分で考え、出した答えを信じて、それらの壁を乗り越えてきました。 スピード感と楽しそうな雰囲気に惹かれて お姉さんの影響で、小学2年生のときから始めたバスケットボール

          恥ずかしがり屋の裏側/江良萌香①

          レッドウェーブがレッドウェーブであるために/上杉瑠香チーフマネージャー②

          大学時代、チームのためにマネージャーへと転身した上杉瑠香マネージャー。 強豪校でもなく、全国大会の経験もないという引け目から、 当初はレッドウェーブのマネージャーになることも躊躇っていました。 しかし、誰かのために懸命になる人は、 どこかで、誰かに見られているものです。 そして、ここという場面で、誰かが後押しをしてくれます。 上杉マネージャーは先輩とお姉さんの助言を受けて、 2017年春、富士通レッドウェーブのマネージャーとして入団しました。 マネージャーとは何者であるべき

          レッドウェーブがレッドウェーブであるために/上杉瑠香チーフマネージャー②

          新たな扉が開かれるとき/上杉瑠香チーフマネージャー①

          小学3年生から始めたバスケットボール。 途中、半月板を損傷したり、椎間板ヘルニアを患ったり、 そのせいもあって「理学療法士」になろうと思ったこともあります。 プレーヤーとして進んだ大学の同期は 全国に名を馳せるような強豪校の出身者ばかり。 高校ではエースだったけれども、 無名校のそれだとプレータイムはなかなかもらえない。 それでも上杉瑠香マネージャーは バスケットが楽しくて、大好きで、プレーし続けたいと思っていました。 「私の“右腕”として動いてほしい」 そう言われるまでは―

          新たな扉が開かれるとき/上杉瑠香チーフマネージャー①

          2022-2023シーズンを振り返って②

          陥っていったアクシデントの連鎖 けっして悪い滑り出しではなかったレッドウェーブの2022-2023シーズン。 アクシデントがまったくなかったわけではありません。 選手それぞれが細かな古傷を抱えながらも、 それでも5勝1敗で新たな船出をしました。 そしてバイウィークを終え、皇后杯のセカンドラウンドに臨みます。 レッドウェーブは2008年以来、皇后杯の下賜から遠のいています。 その間も3度ファイナルに進みながら、あと一歩が踏み出せていません。 一方で、大会方式が変わった201

          2022-2023シーズンを振り返って②

          2022-2023シーズンを振り返って①

          アクシデント―― レッドウェーブの2022-2023シーズンを振り返るとき、 どうしてもこのワードが浮かび上がってきます。 レギュラーシーズン16勝10敗。5位。 プレーオフはクォーターファイナルで敗れました。 前年のファイナル進出を思うと、物足りないと思われる方も多いかもしれません。 しかし度重なるアクシデントに見舞われながら レッドウェーブは最後まで諦めることなく、シーズンを走り切りました。 アクシデントがなければ……。 そう思う方もいるかもしれません。 それほどまで

          2022-2023シーズンを振り返って①

          すべては自らを成長させるため/中村優花②

          心の拠り所を見出せず、迷走していた学生時代。 子どもを見る目を持つ指導者との出会いや巡り合わせで、 中村優花選手(コートネーム:ニニ)は自らの内にある光を放ち始めました。 高校卒業後に飛び込んだのは、当時、Wリーグ5連覇中のJX-ENEOSサンフラワーズ(現ENEOSサンフラワーズ)。 ENEOSはその後、リーグ連覇を11にまで伸ばします。 同チームには日本を代表する選手がたくさんいました。 今もレッドウェーブでともにプレーする宮澤夕貴選手でさえ、 当時は、さほどゲームに出場

          すべては自らを成長させるため/中村優花②

          周りの人たちに導かれて/中村優花①

          中村優花選手(コートネーム:ニニ)は若いころ、混乱のなかにいました。 富士通レッドウェーブのパワーフォワードとして、 攻守において存在感を見せる中村選手ですが、 彼女のバスケット人生はけっして順風満帆ではなかったのです。 むしろ嵐の中で漂うような日々でした。 いつ、やめてもおかしくない――。 彼女自身もそう思っていました。 そんな思いを断ち切り、バスケットへと導いてくれたのは、 他ならぬバスケットを通じて知り合ってきた人たちでした。 見捨てずに向き合ってくれた指導者 小

          周りの人たちに導かれて/中村優花①

          誰かの代わりではなく、私は私らしく/田中真美子

          学生時代にさまざまな経験をした田中真美子選手(コートネーム:マナ)。 それはバスケットの経験という意味だけではありません。 さまざまな考え方を持つ人たちと出会い、 彼女たちの考え方を通じて自分の生き方を見出していく。 そうして田中真美子という人間を形成していく経験も重ねてきたのです。 感謝を込めてレッドウェーブへ 富士通レッドウェーブに入団するときも、 けっして即断したわけではありません。 高校時代から憧れていた根岸夢さんや、 同じく早稲田大学の先輩である桂葵さんは、 自

          誰かの代わりではなく、私は私らしく/田中真美子

          バスケットはみんなで楽しむもの/田中真美子①

          勝利に向かって、ひたすら努力を重ねる。 これはアスリートの宿命とも言えます。 しかし、そこに「楽しむ心」がなければ、 その努力は単なる苦行に陥ってしまいがちです。 富士通レッドウェーブのパワーフォワード、 田中真美子選手(コートネーム:マナ)が今なお コートに立てているのは、 「楽しむ心」を、バスケットを始めたときに教わったからです。 三つ子の魂百まで 田中選手がバスケットを始めたのは中学生から。 小学生の頃は空手をやっていましたが、 中学では球技系の部活動に入りたい。

          バスケットはみんなで楽しむもの/田中真美子①

          穏やかだが、熱く光る風をチームに/日下光アシスタントコーチ②

          いつも穏やかで、温かい表情を選手たちに向け、 レッドウェーブを陰から支える日下光アシスタントコーチ。 ここでは「ヒカルさん」と呼んでいますが、 彼は出会いを大切にして、世界を切り拓いてきました。 プロ選手としての12年を経て、 2017年からレッドウェーブのアシスタントコーチへ。 そのキャリアもすでに6年目を迎えています。 教えすぎないコーチング 「女子バスケットの世界に入ってみて、すごく感じたのは、男子ももちろん一生懸命練習するんですけど、女子の方がよりひたむきに練習

          穏やかだが、熱く光る風をチームに/日下光アシスタントコーチ②

          出会いが世界を広げていく/日下光アシスタントコーチ①

          「出会いがきっかけとなりいろんな世界が広がっているので、僕は周りにすごく恵まれているなと思います」 そう語るのは日下光アシスタントコーチ。 ここでは親しみを込めて「ヒカルさん」と記します。 出会いが世界を広げていく――ヒカルさんの人生はまさに、そのようにして切り拓かれてきたのです。 名将からの誘いで地元を飛び出す ヒカルさんがバスケットを始めたのは小学4年生のとき。 転機は中学3年生、高校を選ぶときに訪れます。 当時通っていた中学校は、宮城県でナンバーワンのチームでした。

          出会いが世界を広げていく/日下光アシスタントコーチ①

          トレーナーとして、ともに戦う/大島久美子ヘッドトレーナー②

          レッドウェーブのヘッドトレーナー、大島久美子さん(通称クミさん)は、 バスケットシーズンが深まってくると、 毎朝、練習へと向かうときに こんなことを考えているそうです。 「前の日にケガした選手や、前の日ケアした選手が、 今日はどんなコンディションで来るんだろう……」 選手が選手らしく輝くために、 日々、彼女たちを想うからこそ、 心配は尽きないのかもしれません。 求められる「引き出す」チカラ 選手が、その選手らしく輝けるためのサポートをしたい。 トレーナーとして、その思

          トレーナーとして、ともに戦う/大島久美子ヘッドトレーナー②