My Before After Story4ヶ月前、仕事を辞めたくてしょうがなかった私が、今幸せに仕事ができている理由

こんにちは。
私は、アラフォー(!!)の私立女子校の社会科(公民科)講師です。

神奈川県茅ヶ崎市で高校まで育ち、
大学、大学院は杉並区で過ごしました。

大学院卒業後、
今とは違う女子校で6年間専任教諭として働いていました。

大学のサークルの同期と結婚し、
退職して夫の駐在先であるイギリスに3年滞在。
上の子はロンドンで産み、去年日本に帰国し、もう一人出産しました。
現在は世田谷区で暮らしてもうすぐ2年です。

今から5ヶ月前、私は軽い鬱状態にありました。
通勤中涙が止らなくなったり、
授業前に冷や汗、手汗、動悸がありました。

でも、今は毎日幸せに、心豊かに過ごすことが出来ています。

辞めようと思っていた学校での好きな先生ランキングで第一位になるなど、
順風満帆な講師生活をしています。
そうなった理由について、書いていこうと思います。

<そもそもなぜ教師になったのか>


私は、私立中高の社会科(公民科)教諭です。
教師になる気はさらさらなかったけど、
教育実習で教材研究が楽しく、生徒もかわいく、
吹奏楽部で音楽もできる環境にこれしかないと思ったので
教師になりました。
人前で話すのも好きだということに、教育実習で気づきました。

更に大きな動機は、教育実習にいったとき、上司の先生に、
「女が政治教えるの?」
と言われたこと。衝撃でした。
教師って女性が働きやすいっていう仕事じゃなかったの?
政治を教えるっていうことでなんで差別されなきゃいけないの?
こんな発言をする人がいてショックでした。
この雰囲気を変えないといけないと思いました。

更に、「女で公民なら、大学院に行かないと無理」とも言われました。

男は大卒でもいいけど、女は書類でおとされる。衝撃でした。

<一度、先生を辞めた理由>


6年専任教諭として私立女子校に勤務しましたが、
海外駐在中の夫との結婚を機に退職しました。
当時、高3の担任だったこともあり、
生徒が卒業するタイミングで辞めることができました。
最初は楽しかった教師ですが、
やりたい仕事をする時間は限られ、
他のやりたくもない仕事に時間をとられていました。
部活の指導もあり、とにかく忙しすぎます。
吹奏楽部の顧問として指揮者もしていたのですが、
退職時の生徒とのお別れ会で嫌われまくっていたことに気づきました。
生徒が口々に、
「影で嫌ってごめんなさい。でも、今思えば、先生のことは尊敬しているし、大好きです、ごめんなさい。」
みたいなことをみんなが言うようなお別れ会でした。
私は鈍感だったので、嫌われていることに全然気づかず。
今振り返ると、本当にダメな教師でした。
生徒のことを考えて行動しても、いつも空回り。
私、やっぱり教師はもう無理だなと思っていました。

<イギリスでの生活>


本当に幸せな日々が送れる、と思っていました。が!
実は、なれない地でのつわり、出産は本当に大変でした。
コロナでロックダウンもあり、ワンオペの子育て、
聞き取れない英語、孤独な日々もありました。
お料理もやっぱり日本の方がおいしくて、
帰りたくなることもあったし、
人の役に立てていないという虚無感に日々襲われていました。

その一方で、テレビをつけると、
毎日イギリスの女性政治家の活躍に圧倒され、
日本って本当にだめだ、遅れているとつくづく思いました。
私はイギリスのように女性が活躍できる日本にするために
活動する使命があると思い、
できることをやらなきゃと思って、
できることとしたら教師しかなく、
現在はまた別の学校で講師として復帰することに決意したのです。

<帰国、就活、就職>
帰国後まもなく、日本で第二子を出産。
世田谷区は0歳児からでないと
保育園にいれられないときき、必死で就活しました。
無事に就職し、働き始めることに。

でも仕事と3歳と0歳の育児の両立が難しく、
仕事はやっぱり私には無理だと思いました。

職場はとても良い環境ですが、
私のことが嫌いな生徒は当然いて、
本当に夏休み明けの授業をするのが
嫌で嫌でしょうがありませんでした。

なぜ嫌いになるかという理由は、
授業アンケートから、
私なりに悪い推測をどんどん膨らませて、
分かったつもりでいました。

優秀な前任の人が辞めて、
自分が入って回りに(○○先生がよかった)と
いわているような気になって、
自分がすごく冷たくされていると思い込んでいました。
さらに、私が3歳と0歳の育児をしながらなので、
睡眠時間がなく、
私が授業の準備がしっかりできていないということと、
そのため自信がなくなり、声も小さくなってしまっていたのです。
そんな自分がいやでしょうがありませんでした。

育児も中途半端で、こどもはよく病気になり、
病児保育に2週間通わせたこともありました。
部屋もぐちゃぐちゃ、
料理もまともにできない、
毎日通勤と仕事でヘロヘロで、
こどもに笑顔で接することができない。
母として、子どもより自分を優先していいのか、
こんな親に産まれたこの子はかわいそう、
と毎日自分を責めていました。

<心理学の講座を受ける>


このままだと鬱になる。
もっと人に迷惑をかけることになる。
と思っていたときに出会ったのが、アドラー心理学でした。
ロンドンの時に憧れていたインスタグラマーの駐妻の方を知り、
たまたまインスタライブをしていたので見てみました。

とにかくその考え方が衝撃で、
一瞬でドハマりしていったのを覚えています。

何に惹かれかたというと
「全てが自分軸」であったこと。
周りからの評価ではなく、
自分がそれをやっていて幸せなのかという視点であったことです。

「自分がどう思うか、幸せか」ということを本当は優先したいのに
「他人から、社会からどう評価されるか」が気になるから、
自分を殺して生きている感覚が強かったんです。
だからこそ、いいなー!という憧れを抱いたのだと思います。

その後2021年7月から開催された講座を受講しました。

講座に入ってからは「自分軸」にマインドが一変し
自分の心地よさを大事にできるようになりました。
特に、お金の使い方は大きく変化し今までは
「貯金しないといけない」、「なるべく節約するべきだ」
という世間一般での考え方を採用していたので
「貯金」「節約」を当たり前のようにしていたのですが、
自分が「欲しい」「食べてみたい」と思うことに
お金を使えるようになりました。

貯金も結構してきていたので、
自分の心に素直に欲しいものを聞けるようになったら
欲しいものがいっぱい出てきて、
自分のために、お金を使いました。
わかってきたのは、ほとんどの悩みが、
周りの目を気にしなければ解決できるということに気づきました。

また、仕事については、
本当は仕事がすごく好きなのに、
いっぱいいっぱいで辞めようと思っていたことに
講座のメンバーとのやりとりで気づかされ、
大泣きしました。

そして、自分を大切にするようにしました。
まずは美容院に月一でいって外見をきれいにしました。
すると驚くほど生徒や夫から以前より
大切にしてもらえるようになりました。
そして、何よりこんな自分、
といつも自分を責めてばかりでしたが、
自分で自分にマルをつけてあげることができるようになりました。

育児も、どんどん人を頼るようにしました。
ファミサポや家事代行、夫、家族に協力してもらい、
できるだけ自分の負担を減らしました。
すると心に余裕が生まれ、
こどもと幸せな時間を過ごすことができるようになりました。

また、趣味のクラリネットのレッスンにも通い始め、
自分の時間を持つことができました。
憧れの先生に褒めてもらい、
教師にとらわれる必要もないのかもしれないと思えました。

<これからの野望>


仕事を辞めないで、起業し、本も出したいです。
具体的には、『自分を好きになるための哲学』
『大人女性のための倫理、政治経済学び直し』
というようなタイトルの本を書きたいです。
まだ曖昧ですが、これに関する講座も2月に開講して、
沢山の女性の力になりたいと考えています。
今の自分のような人を救えるのではないかと思っています。

日本の女性が生きやすいように日本を変えたい。
そうやって笑顔の女性を増やすことで、
子どもにもその幸せが伝播する日本にしたい。
そのためにできることをどんどんやっていきたいと思います。

最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。

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