綾乃しろ★40代の履歴書

40代。首都圏暮らし。元医療事務員。8年間医療機関で事務の正社員として働いた。その後上…

綾乃しろ★40代の履歴書

40代。首都圏暮らし。元医療事務員。8年間医療機関で事務の正社員として働いた。その後上京して派遣や非常勤などで大手企業、広報誌製作、診療所受付、審査支払機関、講師業、単発で座談会のバイトなど経験してきた。 しかしその結果、現在無職である。

最近の記事

企業で働いて感じた医療機関との温度差

医療機関で8年間働き、新たに企業で働くことは新鮮だったとともに風土の違いみたいなものを感じるものになった。 医療機関でのミスは患者さんの命に直接関わることになる。誰かが間違えたら速攻でミスを共有して今後同じことが起こらないような仕組みを作ったり何故起きてしまったのか、という調査が迅速に行われた。 私がいた医療機関では、改善したいという声が出たら迅速に上司に意見を拾われ回覧板ノートに記載して読んだらサインする。その時点から改善していく、という流れがあった。(小さな組織でした

    • 防災リュックを初めて準備してみたら重すぎて不安になった

      このたび、初めて防災リュックを準備しました。 防災グッズはこまめに買い溜めてきたのですが なんとなく物置に入ってたり引き出しに入れていて、いざという時に慌ててしまいそうだと反省しました。 私の地震経験私は関東住まいで、10年前の東日本大地震のときは中部にある実家に帰省していました。 本来ならば仕事の日でしたが、偶然休みをもらうことが出来たのです。もし仕事に行っていたら帰宅困難者になりどこかに泊まっていたかもしれません。 実家でも地震の揺れは激しかったのですが地盤の強い

      • 【転職】企業内で社員の健康を守る仕事へ

        地方から都心の企業へ転職正社員から転職して派遣社員になった私は今までとは別世界の大企業のオフィスで働くことになった。今までは地方の診療所で働いていたので、セキュリティチップが入ったネームプレートをぶら下げることや、自分のマイデスクがあること、座ってコーヒーなど飲み物を飲みながら自分のペースで仕事ができること、ランチに財布を片手にカフェに行くことなんかで、かなり新鮮気分を味わっていた。今までは制服だったが私服のオフィスカジュアルで通勤してそのまま仕事をするのも初めての経験だった

        • 【余談ですが】noteをはじめた現在のこと

          少し今までの振り返りから逸れます。 現在、私は働いておらず転職活動もお休みしています。そこで今後また仕事をするならどのような道に進むのかと考えて過去を振り返ってみることにしてnoteをはじめました。 今、40代半ばなので、もしひとつの会社に勤めていればそれなりのキャリアを重ねて上のポストについている方もいらっしゃると思います。また、ひとつのことを成し遂げてまた上のステージに向かっている方、さまざまだと思います。 そんな中で自分は、今後どうしたいのかまだ決まっていません。

        企業で働いて感じた医療機関との温度差

          初めての転職経験 選んだのは派遣社員

          24時間365日対応の医療機関を結婚を機に退職した。好きな仕事だったので、転居がなければ働き続けて行きたかった。 心を切り替えて仕事を探した。地方から首都圏に移り住み、求人票やネットの求人情報は今まで働いたことのない華やかな仕事や職場で輝いてみえた。 そこで「派遣社員」というものをよく目にした。時代は2000年代半ば。私は正直、派遣社員の仕組みがよくわかっていなかったので調べた。 派遣社員とは、人材派遣会社と雇用契約を結び、他の企業に派遣される社員のこと。実際に働く企業

          初めての転職経験 選んだのは派遣社員

          医療機関が毎月10日まで忙しい理由

          医療機関は毎月月初(場所によっては月末から)は忙しくなる。毎月10日までにレセプトという診療報酬明細書を前月受診した患者さんの数だけ発行して点検して審査支払機関に提出しなければならない。 レセプト↓↓ 協会けんぽや組合など主に会社に勤めている方は社会保険に入っている。社会保険は社会保険診療報酬支払基金という場所へ提出する。国民保険は国民健康保険団体連合会に提出する。両方とも各都道府県に設立されている。 審査支払機関では提出したレセプトを審査、確認して保険者(保険証を発行

          医療機関が毎月10日まで忙しい理由

          医療事務とは一生勉強が必要となる。あの頃、母にすすめられて医療事務専門学校へ進学した。

          ■自己紹介■ 40代主婦です。学校を卒業して8年間医療機関で事務の正社員として働きました。その後上京して派遣や非常勤などで大手企業、広報誌の制作、診療所受付、審査支払機関、講師業、単発で座談会のバイトなど経験。 しかしその結果、現在無職。 今後の身の振り方を模索しながら過去の経験を振り返っています。 私は今40代。 あの頃はバブルが弾けた直後。 あの頃とは、高校を卒業する時期で進路を考えるときだった。 私は音楽が好きで学園祭限定ものだが、同級生とバンドを組んで放課後

          医療事務とは一生勉強が必要となる。あの頃、母にすすめられて医療事務専門学校へ進学した。

          事務でありながらも医療の現場の空気や課題を目の当たりにした8年間

          ■自己紹介■ 40代主婦です。学校を卒業して8年間医療機関で事務の正社員として働きました。その後上京して派遣や非常勤などで大手企業、広報誌の制作、診療所受付、審査支払機関、講師業、単発で座談会のバイトなど経験。 しかしその結果、現在無職。 今後の身の振り方を模索しながら過去の経験を振り返っています。 私が新卒で入った診療所。 24時間365日体制のクリニックは小児科、内科を標榜していた。 院長には断らないという信条があるので様々な患者さんが来院した。 しかし、外科

          事務でありながらも医療の現場の空気や課題を目の当たりにした8年間

          24時間365日体制の医療機関で働く

          90年代後半の春、私は新卒で医療機関の事務の正社員になった。選んだのは地域にある24時間365日診療しているクリニックだった。 志望動機は、私自身も生後1ヶ月の健診からお世話になっている尊敬している院長のもとで働きたかったからだった。 当時、個人で年中無休体制の診療所は珍しかった。現在ではさらに少ないのではないかと思う。院長には 「病気に休みも夜もない、来た患者は断らない。」 という志しがあった。 実際、私も幼い頃からよく熱を出したり胃腸を壊し朝早くや夜中でも土日も診て

          24時間365日体制の医療機関で働く

          キャリアを重ねた結果、無職である

          いま、私は悩んでいる。 私の重ねてきたキャリアは 今後どのように活かされるのだろうか? または今までの経験とは別の道をあらたに見つけるほうがよいのか。 結婚を機に正社員から派遣社員になった。 派遣社員を選んだ理由はある。 様々な業種、世界をこの目で見て経験したかった。 あの頃、結婚を機に地方から首都圏に移り住んだ私にとって都会の求人票は刺激的だった。 派遣なら新卒でしか入れないだろう大手企業で働くことができる。国の公共機関で経験を積むことも可能になる。 当時、派

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