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【転職】企業内で社員の健康を守る仕事へ

地方から都心の企業へ転職

正社員から転職して派遣社員になった私は今までとは別世界の大企業のオフィスで働くことになった。今までは地方の診療所で働いていたので、セキュリティチップが入ったネームプレートをぶら下げることや、自分のマイデスクがあること、座ってコーヒーなど飲み物を飲みながら自分のペースで仕事ができること、ランチに財布を片手にカフェに行くことなんかで、かなり新鮮気分を味わっていた。今までは制服だったが私服のオフィスカジュアルで通勤してそのまま仕事をするのも初めての経験だった。

そして、何より新しい仕事に希望が満ち溢れていた。

派遣先は企業の健康管理室

派遣先は企業の中にある健康管理室。常駐の産業医が4人もいた。他に非常勤の医師、社員・契約の保健師や看護師、検査技師もいる。仕事内容は主に社員の健康管理。また、運輸業だったので運転のライセンスに関わる健康管理も担っていた。

社内に小さな診療室があり、私は医療費計算やレセプト請求、健保とのパイプ役も行った。また、他にも総務的な仕事もやりながら統計や報告書も作成した。派遣会社のパソコン教室で習った以上のパソコンスキルも必要となり日々、学びながら覚えていった。

レセプト請求関連は、社内では自分一人しか経験者がおらず、わからないことがあれば自分で調べるかレセコンの会社や検査に出している会社に教えてもらいながら行った。

今までは医療事務員20人という仲間の中でやってきたので不安や孤独感を感じることもあったが、任されているんだという気持ちの方が強く張り切っていた。

また全国の支社にも社内の診療所があり、社内唯一の医療事務資格のある私に様々な質問がきたり、統括していた。

今思えば、派遣社員なのに荷が重かったかもしれない。でも私は慣れないながらも新しい仕事にのめり込んでいた。

ホワイト企業だったので残業は社員でもほぼなかった。年に一度の健康診断のときは忙しく残業もあるようだが私は毎日、定時で上がっていた。

当時、メンタルヘルスの重要性が取り上げられていたので、それを推奨する健康管理室が残業をしていては見本にならなかったからかもしれない。

実際、業務上や私生活で悩みを重ねて休業している社員も増えてきていた。そのケアを産業医や保健師、家族や上司が連携を取り合って行っていた。私は事務支援や統計の仕事をした。

新しい視点の仕事

今までは患者から来る24時間対応の診療所で働いていたが、新しい職場は患者の不調がないかとこちらから働きかける仕事なんだと思った。

病気になって緊急時に駆け込んでくる患者さんと接してきたが新しい職場は違う視点だった。

社員ひとり一人の健康に対する意識は高かった。ずっと働き続けるために自身の健康管理をしていく姿勢に尊敬の感情を持った。

運輸業なので、安全を守るためにお酒の量を守るのはもちろん、体重管理や生活習慣病にならないための対策は徹底されていた。持病があっても厳しく産業医や保健師とコントロールをしていた。

医療事務としての仕事は健保(保険証を発行している部署で医療機関からのレセプトが最終的に集まる部署)と近い場所だった。実際の健保の業務には就いていないので詳しくはわからないが未知の世界だったので少しでもやりとりの中で話がきけたことは貴重だった。

医療機関が提出するレセプトは一旦、都道府県の審査支払機関(国保は国保連合会、社保は支払基金)に集められて、そこから保険者である例えば企業の組合健保などに請求するシステムになっている。

イラストは社会保険診療報酬支払基金のホームページから転載しています。

厳しくチェックされるレセプト

裏話であるかわからないが組合健保では、審査支払機関がチェックしたレセプトを外部の業者に出してさらに審査していると聞いた。それだけ日本の医療保険は厳しく審査されているようだ。医療機関で保険が通らないからこれは出来ない、、とかいうことが今後さらに出てくるかもしれないとそのときは思った。

ちなみに昨今このご時世になり受診控えが進み医療費が減少したというニュースが出ていたが、収まったのちにどうなるのだろう?と思った。そもそも経済が落ち込み、保険者側も体力が持たないのではないかと心配になる。

医療費が過去60年で例のない減少となった真因 「コロナ禍の受診控え」だけで片づけられない | 新型コロナ、長期戦の混沌 - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/413389 #東洋経済オンライン @Toyokeizaiより


話が逸れたが、新しい職場は環境も仕事内容も新鮮で充実していた。私は毎日が楽しかった。

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