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フリーライター、伊豆諸島訪日外国人誘致プロジェクト「Tokyo Islands」の運営…

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フリーライター、伊豆諸島訪日外国人誘致プロジェクト「Tokyo Islands」の運営、翻訳(英→日)、通訳、営業、撮影など。 日常に思ったこと、ライター業ではなかなか書けないことを自由に綴っていきます。 fujicco@outlook.jp

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ライター・翻訳/通訳・インバウンド地方PRのFujicoの今までの実績【2023年9月現在】

Fujicoへのお仕事に関するご連絡先はこちら↓fujicco@outlook.jp ・ライター実績(書籍・雑誌等)● JTBパブリッシング  るるぶカナダ’24(バンクーバー執筆担当) ●株式会社地球の歩き方(元ダイヤモンド・ビッグ社) 地球の歩き方Japan 島旅シリーズ 15 伊豆諸島Ⅰ(伊豆大島・利島編) 2020年2月発売 2023年1月改訂版発売 ●会員誌「AFFLUENT」の特集記事(https://afflu.jp ) アポ取り、インタビュー、ラフ作

    • 正月やクリスマスを家でのんびり過ごすことが幸せだと思えるようになった30代

      10代や20代の私は、お正月やクリスマスに実家で過ごすことは敗北を意味した。一緒にいる友達や恋人がいない象徴のような気がしていて。お正月に何もすることがなく、かるたなどのゲームをすることも、敗北感極まりなかった。 いつしか、正月もクリスマスも関係なしに仕事のシフトに追われるようになっていった。販売で働いていた時は、実家に戻ることもできず、家族が旅行に来てくれたくらい、まるで休みがなかった。それに対して何も思わなかった。 ライターとして独立し、締め切りに追われるようになった

      • パレスチナ、なんで今攻撃した!?イスラエル・パレスチナ問題、全く知らない人が観るべき動画4本

        2023年10月7日、パレスチナ暫定自治区のガザ地区から2000発以上のロケット弾が発射され、イスラエル南部などで被害が出ている。 イスラエル・パレスチナ問題は学校でも習ったが、正直中東のことはよくわからんという人も多いのではないだろうか。 宗教問題?民族問題?色々な問題が重なり合って、ごちゃついているのがこのイスラエル・パレスチナ問題といえよう。 授業で習ったっきりよくわかりません!という人はぜひこの4本の動画を見てほしい。私は正直全くわかっていなくて、こ4本の動画を見

        • フリーライターは本当にどこでも仕事ができるのか。ライターになって7年経ったから考えてみた

          フリーランスとして独立し、いつの間にか7年ほど経っていた。あの頃よりもそれなりに色々仕事も入るようになった。ライター業で生きていってるか、というと、生きていると思う。うん、今生きてる。 では、フリーランスになって、自由になったを考えてみる。よく、パソコンひとつでどこでもできるからいいじゃん!と言われる。それは本当なのか。 本当であり、そうじゃない部分もある。 というのが私の答えだ。 どんな記事を書いているかによるし、クライアントの性質にもよる。 例えば私の場合は、全て

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          見たくない現実は、だいたい人が言ってくれる。

          直視したくない悩み事なんて、誰しもあるであろう。 なんでだろう、どうしてだろうと悩んでは見るものの 「こうであろう」には向き合いたくない。 でもその「こうであろう」はだいたい他人が持ってきてくれる。 悪気もなく、傷つくとも思わず 「それってさ〜。こうじゃない?」といわれたシンプルなコメントは 傷口が痛かったことに気づかせてくれる。 あぁ。そういや怪我したんだった。 気づきたくなかったよ。と独り言でも言ってしまいそうだ。 さぁ向き合わなければならなくなったら どうすればいい

          見たくない現実は、だいたい人が言ってくれる。

          気になるあいつと音楽は似てる

          「あ、この曲好きだ!」 という感覚と 「この人、なんだか気になる」 という感覚ってなんだか似ている。 気になり始めた1〜2週間は その音楽、その人のことを 考えてしまって 心が落ち着くと共にスッと馴染んでいく。 その後、その曲をずっと聴いているかも その人のことを思い続けるかも わからないけど あの時の躍動感は何度味わっても慣れやしない。 いつもの道を歩いていても あのメロディが鳴り響き 何の変哲もない帰宅途中の道でも あの人のことを思い出す。 気になるあいつと これ

          気になるあいつと音楽は似てる

          中途半端が一番良くないのに、人からは半端を薦められる

          「とりあえずやってみなよ」 「とりあえず会ってみなよ」 とりあえず、は私にとって危険な言葉だ。もちろん、とりあえず始めてみることで効果を発揮する時もある。しかし、その「とりあえず」のタイミングは、自分でなければならないのだ。 人は言う。 「一歩踏み出さなければ意味がない」と。 しかしその一歩を、とりあえず踏み出したからといって、気持ちがついてこなかったら意味がないのだと、ここ数ヶ月で体感した。 気持ちがついてきていないのにやることは、あまり効果がない。自分自身が「とりあ

          中途半端が一番良くないのに、人からは半端を薦められる

          選択

          人生は全て選択とも言うが、なんとも難しいことだと思うことはないだろうか。 例えば、どっちに行っても不幸にはならなそうな道。不幸にはならないけど、大きく自分を分けることにもなりそうな道。 例えば、一見右の方が常識的には良さそうな道。常識的には左はやめておきなよ、自己犠牲になるという道。 超有名小学校に入学した子どもが、そのまま賢くなるとは限らないのと同じように、どの道も確実な未来を保証されているわけではないから難しい。 人生はそんなものよ、と一言で言って仕舞えばそうなんだ

          結局全てはタイミングだという真相

          タイミングが全て。仕事も、恋愛も。努力はもちろんのことだが、それでも希望通りになるかどうかは、タイミングが全てとなる。 努力だけでは賄えず、思い続けることだけでは世界は変化しなかった今時期。 やっと次のステージに移動するタイミングが来ている気がする。そのタイミングとは、他からの拒否だ。 今までいつも支えていた場所が人がいっぱいで全く支えなくなってきたり、違和感が明るみに出て問題として発生し出したり…少しずつ、少しずつ次のステージに行くために状況が変わっている。 今まで

          結局全てはタイミングだという真相

          言い訳をするにも力がいる

          言い訳と説明の違いとはなんだろう。 現状の説明は言い訳とも言われる。 何かを言われた後に、説明しようとしたら全部言い訳として捉えられるのは腑に落ちない。 そう思われるんだろうな、とか思うと 言い訳するのも疲れる。 だから私は言い訳しない。 だって疲れるだけだから…。 ってなってる人多いんじゃないかな。 言い訳、説明って結構大変だよね。と思う今日この頃。

          言い訳をするにも力がいる

          言の葉を紡ぐ、思いを見つける。何より誰より自分のために。

          私はどうも言葉で言い表すのが苦手だ。 おしゃべりだし、自分の言葉で意見をズバズバと言っている気がしていたが、自分の安全地帯でないと自分の気持ちを言えない臆病者なんだと、日に日に感じている。 やりたくないことも、もはややりたくないと強く思わず、あ〜、くらいのものだったら受け入れてしまう。 そして受けいれた後に、他とのバランスを取れず地団駄を踏む。 もう少し上手くやれればいいが、元々「上手くやる」というのがめっぽう苦手な性分で、むしろ特技は不器用さと言わんばかりだ。 「やり

          言の葉を紡ぐ、思いを見つける。何より誰より自分のために。

          いくつになっても、男性でも女性でもなんでも

          大人になったから、全部が大人になるわけじゃない。 大人になったから、駄々こねてほしいものがなくなるわけじゃない。 大人になったから、大泣きして叫んで八つ当たりしたくなる日が来なくなるわけじゃない。 大人だって子供だって、男性だって女性だってゲイだってバイだってなんだって。 大人になったから、感情がなくなるわけではないのだ。 そりゃ、昔よりコントロールする方法は押さえても どうにも押さえられない、押さえたくない日だってある。 それは全員。 その地に降りてきた時から、その地

          いくつになっても、男性でも女性でもなんでも

          根を上げたいときは、問題があることをまず受け入れる

          私は問題を解決するために動ける方だと自負している。 仕事でも人間関係でも、牛足ではあるがゆっくり納得しながら、問題を解決できるように努めてきた。それが良い方向に行っていることが多々あると自分でも感じている。しかし、「この問題を解決したんだからこの結果が現れるよね」と過剰に期待しすぎているところがあることに先日気づいた。 努力は必ず報われると信じすぎているがために、「報われた」と思える瞬間を心待ちにシスぎているがために、何も起こらないと落胆する。最近そのようなケースが多い。

          根を上げたいときは、問題があることをまず受け入れる

          付き合う人で自分は変わる

          金持ちの周りには金持ちがいる、と言われるように、付き合う人で自分が変わることは真実だと思う。なぜ真実かと思うかというと、よく一緒にいる人の言動に自分が似てくるからだ。その人がポジティブならポジティブに、ネガティブならネガティブに、自分はカメレオンのように変化する。 もちろん変化しない場合の方が多いが、その人が近ければ近いほど自分は変わりやすい。それを気づくのは他の人と話した時だ。ふと発した言葉に対する返事によって、昔とは違うなという違和感を感じる。 人に染まることは良い時

          付き合う人で自分は変わる

          アウトプットもインプットも、その時が必ず来る

          夏頃から慌ただしい毎日だった気がする。それもあと数日で終わり…というところで、インプット不足という問題を突きつけられた。アウトプットの日々だった近頃に、宿題を突きつけられた気分だった。 インプット不足は日々課題で、しかしそのバランスが大事だと思っている。アウトプットしてみて、インプットをもっとすべきなところを確認し、インプットしてそれをアウトプットする。 人生、それの繰り返しだ。神様からのギフトだと思って、日々勉強していきたい。

          アウトプットもインプットも、その時が必ず来る

          今年はサンダルをあまり履いていないことで、外出が少ないことに気づいた

          緊急事態宣言が延長され、どこかにいく予定もなく東京で過ごす夏。 暑くなったり雨が降ったり涼しくなったり。なんだか今年の夏の天気は忙しい。 毎年この時期になると、かわいいサンダルを引っ張り出してはそれを履いて、外へ繰り出していた。去年はそんなことを考える余裕もなかったが、今年は去年とは違う。私たちはこのコロナ禍を1年くぐり抜けたことで、少し心に余裕を手に入れた。そして今年、人がサンダルを履いているのをみて思い出した。 「あ、私、今年サンダルはいていない」と。 人がどの場

          今年はサンダルをあまり履いていないことで、外出が少ないことに気づいた