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老けた高校生の民主主義考⑦

3.憲法による権力統制


 最後に憲法による権力統制について論じよう。このテーマが民主主義と密接不可避であることは、第一章で論じた通りである。しかし、民主主義本体というよりも、民主主義を補完するものであることから、この論文ではごく簡単に、現行憲法の抱える検討課題について言及するにとどめたい。(本来であればこのテーマのみで更に 30 枚以上論じるべきであるほど重要な課題ではあるが、一重に私の力不足で簡易に扱う事をお許し願いたい。)民主主義社会における憲法の存在意義については、すでに第一章で述べたので繰り返すことは避ける。ここでは更に、憲法と国民との関係性について考えてみたい。

 第一に、我々の住む日本の憲法である、日本国憲法の他国との比較における特徴について記述しておこうと思う。大きな特徴としては、語数が極めて 少ない ことがあげられる。世界の憲法の平均語数が 21980 語(民主主義国家のみの平均は 24430 語)であるのに対し、日本国憲法は 4998語のみで構成されている。(全ての憲法を英訳して 単語数 を数えたものである。)語数が少ないという事は、日本国憲法の規律密度が低いという事に繋がる。内容が簡易であるために、権力統制の密度が弱い点があると言われているのだ。

 一体どこが他国と違うのだろうか。世界の憲法と比較すると、人権規定に関してはあまり変わらないものの、統治に関する規定の個所に、「法律でこれを定める。」「法律の定めるところにより」といった文言が多用され、法律に多くの部分を委任している ことがわかる。

 憲法という言葉が意味することは、大きく分けて、形式的意味の憲法実質的意味の憲法の 2 種類に分けることができる。形式的意味の憲法とは憲法典を意味し、実質的意味の憲法とは憲法典に限らず、憲法付属法や判例などを含めたものを指す。憲法の規律密度が弱いという事は、その余白を法律や判例が埋めることになり、国家権力の作動領域が大きくなってしまう。憲法とは本来、「自動運転装置」のようなものであると考えられる。主権者である国民が、日々の生活の中で常に政治に関わり、決定をしていくのは難しい。しかし、権力者に丸投げしてしまうのも不安が残る。そこで、憲法を制定することで自動運転のプログラミングを行い、普段は政治的に「眠る」ことができるようにしよう、という意図が憲法制定の目的には含まれるのだという事である。普段は寝ていて憲法のプログラミングに任せ、時々起きて点検をし、ほころびが出てきた時には改正をすればよいのだ。

 しかし、ここまで見てきたように、日本国憲法は極めて規律密度が低い憲法である。上記の例を用いて言い換えれば、自動運転に完全に任せることができるほど、細かいプログラミングがなされていないと言える。従って、日本国憲法は「眠れない憲法」であると表現されうる。

 「眠れない憲法」である日本国憲法の下で生きる我々日本人は、本来常に国家権力が憲法に反する行いをしていないかどうかを眠らずに監視し、憲法秩序の維持に自ら積極的に参加することを求められている。

 しかし、現実にはその参与を怠ってきた。その間に憲法典そのものは変化していないものの、憲法典を取り巻く付属法の改正などにより、憲法秩序は事実上変革されてきたと、先述の倉持は主張する。本来であれば国民が行うべき憲法秩序の形成を、国会が行っているのだ。このことがはっきりと目に見える形で現れたのが、2015年の閣議決定による憲法の解釈の変更であった。従来、憲法9条は、個別的自衛権は認めているが集団的自衛権は認めていないと解釈されていたものを、閣議決定によって集団的自衛権も認めるという解認に変更したのである。

 ここでは、日本が集団的自衛権を行使すべきか、という問いには立ち入らない。しかし、日本国憲法の三大原則の1つである平和主義に深く踏み込むこの解釈変更が、一内閣の閣議決定のみで行われてしまい、そこに国民の意思が直接的に反映されなかったことは、現在の日本の憲法秩序の形成過程の抱える問題を明らかにした。

 また、この状況は、憲法が十分に権力を統制できていないことを示している。憲法が権力を統制できていないことが明らかになった事例を上げよう憲法53条に基づく臨時国会召集に関する問題である。憲法53条は「内閣は、国会の臨時会の招集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」と規定している。この規定に基づき2017年、野党が臨時国会の召集を要求したが、当時の安倍内閣は憲法に召集の期限が明記されていないことを理由にこれを3か月放置した。この措置が憲法に違反するか否かを問うた裁判が起こされ、2020年、那覇地裁が判決を出した。その中で裁判所は、53条に基づく要求があれば、内閣には「召集するべき憲法上の義務があり」その義務は政治的義務にとどまらず法的義務であることを認定している。その上で、召集しない場合「違憲と評価される余地はあるといえる」とした。このようにはっきりと違憲性が指摘されている事例があるのにも関わらず、現行の憲法はそれを強制的に履行させる制度・システムを持っていない。また、このように明確な憲法上の義務を無視する政権に対して、国民の審判もくだらない。もはや政治家が法秩序を守るかどうかは、国民の投票行動を左右する要素になりえていないのだ。

 第一章で述べたように、憲法は個人の尊重を本質的目標とする民主主義を健全に運用していく上で必要不可欠な要素である。この観点から言えば、ここまで述べてきた日本における憲法を取り巻く状況を考え直すことが、これからの日本の民主主義を考える上で必要不可欠であるという事ができるだろう。

 憲法についての再考のテーマとしては2つの選択肢がある。第一に、より規律密度の高い憲法に書き換える事。第二に、もし書き換えないのであるとすれば、国民がより積極的に、憲法の目的を理解し、憲法秩序の形成に常に参与することを可能にすることである

 この問いへの結論を得るには、更に膨大な量の論文を記さなくてはならない。従って、今回の論文では問題提起をするにとどめる事をお許しいただきたい。

最終章 私が実現したい未来


 ここまで、民主主義の必要性について論じてきた。なぜ、私がここまで民主主義に拘るのか。それを最後に記しておこうと思う。

 私は、自分の立ち上げた「Colorful democracy」のビジョンの1つに、「カラフルデモクラシー社会の実現」を掲げた。カラフルデモクラシーとは、高齢者が大きな力を持つ民主主義社会を意味するシルバーデモクラシーに対抗する概念として作った造語である。社会を構成する多様な人々が、それぞれの立場から社会に関わり、考え、行動していくことができる社会を作りたいとの思いが込められている。

私は、カラフルデモクラシー社会を創り出すことにより、平均的な幸福度の水準が高い社会環境を生み出したい。ある特定の層が幸福感の絶頂を感じられる一方で、底辺で生活する人がいる、そんな社会ではなく、社会の各層が、多少の妥協をしながら、互いの幸福を実現しあうことにより、社会全体の幸福度の水準が高くなると考える。

 なぜ、民主主義が幸福度の水準の高い社会を創り出すことになるのだろうか。そもそも幸福とは、人それぞれ異なる概念である。その全ての人の幸福をどのように実現していけばいいのだろうか。千差万別な「幸福」を実現していくのは、ひどく困難なことのように思われる。

 しかし、幸福度の水準の高い社会の実現に向けて、社会や政治が1つだけ確実にできることがある。それが、個人が尊重される社会を作る事だ。皆がそれぞれ、自分の思う幸福を追求する権利を保障することで、幸福度の水準の高い社会へ、一歩近づくことができる。

 もちろん、具体的な政策は必要だ。この論文でも取り上げた経済格差をどう埋めていくのかについては経済政策面から考えなくてはなるまい。少子高齢化、環境問題など、まったなしの課題も沢山ある。しかし、いかによい経済政策をやっても、どんなに効果的な少子化対策を講じても、個人が尊重されない国では、幸福度の水準の高い社会は実現しない。

 民主主義は、よりよい社会を作っていくための基盤である。この基盤を引き続き機能させ、よりよく運用していきたいというのが、私の切なる願いだ。

 民主主義は私たちから遠く離れたところにあるものではない。私たちの手の中には、社会を変えていくために使える「主権」という大切な権利がある。私たちが思い描く、よりよい社会を創り出すために、この権利を無駄にしないようにしよう。

 初めの一歩は投票に行くことだ。何も難しいことを考える必要はない。私たちは今、好きなものを食べ、好きなものを着て、好きなところに、好きな友達と遊びに行くことができる。それは、私たちの権利が守られているからだ。しかし、私たちは権利の上に眠ってはいけない。私たちが、そして私たちの次の世代が、自由を謳歌し、楽しい日常を送るために、私たちはその権利を行使する主体であり続けなければならない。

 投票にすでにいっているという人は、日常生活の片隅に、社会の事に思いをはせる時間を作ろう。今、私たちの社会では何が起こっているのか。どんなことに苦しんでいる人々がいるのか。どんな出来事が人々を幸せにしているのか。

 知った次は、行動を起こそう。大きな事をする必要はない。日常の中でできることを積み重ねていこう。そして自分のやっていることを、隣の人とシェアして、つながりを増やしていこう。

 そうやって積み重ね、つなげ、広げていけば、私たちは社会を変えることができる。より良い社会を生み出すことができる。私たちは、自分たちの生きる社会の事を、自分たちで決めることができる「主権者」なのだから・・・。(終)

参考文献(シリーズ共通):

『民主主義 』    文部省著作教科書   文部省  角川ソフィア文庫
『詳説 世界史 』  木村靖二 ・岸本美緒・ 小松久雄   山川出版社
『日本国憲法の論点 』 伊藤真 トランスビュー
『アフター・リベラル 』 吉田徹 講談社
『リベラルの敵はリベラルにあり』 倉持麟太郎 筑摩書房
『民主主義という不思議な仕組み 』 佐々木毅 筑摩書房
『GLOBE』       通巻 234 号 朝日新聞社
『熟議民主主義ハンドブック 』ジョン・ギャスティル他 現代人分社
『セレクト六法 』 岩波書店
『直接民主制の論点 』 山岡 規雄 国立国会図書館
『代表制民主主義と直接民主主義の間』 五野井 郁夫 社会科学ジャーナル
『日本の思想 』 丸山眞男 岩波書

内閣府「子供・若者の意識に関する調査」 2019 年実施
NHK「日本人の意識」調査 2018 年実施
言論 NPO「日本の政治・民主主義に関する世論調査」 2018 年実施

倉持麟太郎「このクソ素晴らしき世界」presented by #8bitNews #8 日本国憲法のアイデンティティ?~与野党の憲法論議に決定的に欠けているもの

倉持麟太郎「このクソ素晴らしき世界」presented by #8bitNews #6 コロナ禍における憲法の実践とは? 横大道聡(慶応大学法科大学院教授)氏と議論

スイスの直接民主主義 制作:swissinfo.ch、協力:在外スイス人協会


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