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老けた高校生の民主主義考③

第三章 日本における民主主義

1.日本における民主主義の歴史

 我が国において国民主権に基づく民主主義が導入されたのは戦後、日本国憲法が施行されて以降である。戦前、明治憲法下でも議会政治並びに選挙は行われていたが、主権は万世一系の天皇にあるとされていた。また1925年までは有権者に財産要件が設けられ、一部の男子しか投票することができなかった。1925 年からは、全ての男子の国民による普通選挙が実施されるようになるが、同時に言論・思想統制を計る治安維持法が制定されており、国民の自由な意思が国政の場に反映されていたとは言い難い。従って本論文で定義するところの民主主義が成立していたとは考えられない。このように見ていくと、日本で、民主主義が導入されたのは戦後であるという事ができる。日本国憲法は前文において「主権が国民に存することを宣言」し、国の権威は国民に由来する、と定める。更に第一章に天皇に関する条項を設置して、これまで主権者とされてきた天皇を「日本国統合の象徴」と位置付けた。三章において「国民の権利と義務」について規定し、その保護の為に四章以下で国権機関の働きについて規定する。この憲法が制定されたことによって、日本でも、個人の尊重を本質的目標とし、国民が主権を持ち、憲法によって権力の統制を計る近代民主主義が、初めて成立したといえる。

2.日本における民主主義の課題


 日本において、最も顕著に表れている民主主義の課題は、極めて低い投票率だという事ができるだろう。2019 年参議院選挙での投票率が、50%を下回っている。2021年の衆議院選挙でも、投票率は 55.93%となっており、ほぼ半数の人が投票権を放棄している。戦後、現行憲法下で行われた選挙における投票率の推移をみてみると、衆参ともに多少の浮き沈みはあるものの、全体として減少傾向にある事がわかる。ここまで例に挙げてきた西欧各国と違い、日本における民主主義の危機は第 1 の成立条件の危機であると考えられる。この背景には何があるのだろうか。まずは、第二章においてあげた「リベラル・コンセンサスの形成」、そして「リベラリズムが内包していた課題」が日本においても当てはまるかを検討しよう。

3.日本におけるリベラル・コンセンサスの形成


 前章において紹介したリベラル・コンセンサスの形成によって説明されるのは、主にラディカルな政党の台頭であるといえる。日本においてはラディカルな政党の台頭はあまり見られない。強いて言えば、2019 年の参議院選挙において、山本太郎率いるれいわ新撰組が比例において 2 議席を獲得したことや、2020 年に行われた東京都知事選挙で、在日コリアンに対する差別的な主張で知られる桜井誠が、前回選挙よりも得票数を伸ばし、与党系候補、野党系候補、中間的な立場をとる日本維新の会の候補に次ぐ 4 位になったことなどが上げられる。

 しかし、これらの事態は政治全体を揺るがす事態には発展していない。ラディカルな政党の台頭が政治を揺るがしている欧米諸国との違いはどこにあるのだろうか。

 日本においてもかつては経済的リベラリズムをとり非政治的リベラリズムを取る保守政党と、非経済的リベラリズムをとり、政治的リベラリズムを掲げる革新政党による政治が存在した。政権交代は起こらなかったが、「資本主義か社会主義か」という大きな 2 つの選択肢が拮抗している状況にあったという事ができるだろう。しかし、冷戦構造の崩壊以後、社会主義経済の導入は日本においても説得力を失った。社会主義を唱え、野党第一党であった日本社会党は段々と力を失っていく。社会民主党と党名を変更して存続しているが、今や国会議員が 2 人しかいない少数政党となった。また、共産主義を唱え続けている日本共産党も、綱領に「社会主義・共産主義」の社会を目指すと明記し、生産手段の社会化が必要であると謳うものの、実際の政策にはあまり落とし込まれていないのが現状だ。


 このように見ていくと、日本においても経済的側面においてはリベラル・コンセンサスが形成されているといえるだろう。

 では、政治的側面においてはどうだろうか。私は日本の政治においては依然として非政治的リベラリズムが優勢であると考える。例えば、「伝統的な家族の在り方」を理由に個人の選択肢を増やす選択的夫婦別姓の導入が見送られている。同性婚の導入が実現されないどころか、2021 年通常国会においては、与野党合意で作られた「LGBTQ 差別解消法案」の採決でさえ、一部の保守的な議員の根強い反対によって見送られた。

 一方で、日本社会は多様な価値観を受け入れつつある。選択的夫婦別姓制度の導入に関しての最新の調査(早稲田大学法学学術院法学部教授棚村政行氏ら実施)では、選択制導入への賛成者が 70.6%と高い割合を占めている。同性婚導入に関しても、2019 年の調査(広島修道大学河口和也教授ら)によると、64.8%が賛成している。それなのにも関わらず、政治はこの流れに乗っていない。これらの事実から見ると、日本では政治的側面においてはリベラル・コンセンサスが成立していないといえるだろう。

 また、ラディカルな政党の台頭の背景には、中間層の没落があると指摘されている。改めて「中間層」の定義を復習しよう。第二章で取り上げた定義は「一般的に所得階層が中程度であり、中間階級としての意識を持ち、安定した雇用によって人生設計が可能になる階層。また、中・高等教育を受け、専門的職業に就き、私的所有権に愛着を持ち、何らかの資産を有している層」であった。

 現在の日本において、この条件に該当する人はどれだけいるのだろうか。日本の労働環境の問題点として度々上げられる正規雇用と非正規雇用についてみてみよう。現在、日本の労働人口の約 4 割が非正規雇用者となっている。正規と非正規の給与を比較してみよう。正規雇用者が 503.4 万円なのに対し、非正規雇用者の給与は 174.6 万円となっている。300万円以上の格差が存在することになるのだ。非正規雇用では雇用が安定せず、「失業の心配がない」と答えた人の割合が41 ヶ国中 40 位であったことも分かっている。(『国際社会調査プログラム』による仕事や働き方に関する「Work Orientation2015」による。)

 更に、単身をのぞく約 3 世帯に 1 世帯の割合で、貯蓄がないという状況がある。(金融広報中央委員会「家計の行動に関する世論調査」2017 年)この状況は戦後間もない 1950 年代の水準と同程度である。戦後の焼け野原からの復興前と同じ水準にまで落ち込んでいるのだ。更に平成 30 年に行われた国民生活基礎調査によると、生活にゆとりがあると答えた人は 4%に過ぎず、苦しいと答えた人は 60%に上っている。


 相対的貧困率(可処分所得を高さの順に並べ、その中央値より多い人がどれだけいるかを示す指数)についても見てみよう。2012 年に厚生労働省が行った「国民生活基本調査」においては、16.1%が相対的貧困に陥っていることが明らかになっている。この数字は、先進国が加盟する OECD の 32 ヶ国中下から 6 番目であり、極めて悪い数字であるという事ができる。

 このように見ていくと、日本国民の多数が経済的余裕を持たず、中間層の定義には当てはまらないように見える。従って日本においても中間層の没落が生じていると考えられる。しかしその一方で、内閣府が2019 年に実施した「国民の生活に関する世論調査」で、現在の生活の程度についての認識を尋ねると、「中」と答えた人が 92.8%に上ることが分かっている。(「中の上」「中の中」「中の下」を合わせた数) これに対し先述の倉持弁護士は「『自分は経済的に中程度の生活を維持している』という意識が日本社会のアイデンティティとなっており、保守的指向が強い。そのため、現状維持を掲げる保守政党に投票し続ける。しかし、それが内実を伴っていたのは、(戦後型家族モデルや日本型雇用によって生活の質の担保がうまくなされていた)1970 年代後半までである。」と話す。このように見ていくと、日本でも中間層の減少は見られるものの、そこを強固な中流意識がカバーしており、その意識を守るための保守的思考が強く、ラディカルな政党の台頭が見られないと説明づけることができる。

 まとめよう。日本においては経済的側面においてはリベラル・コンセンサスが形成されているという事ができる。しかし、政治的側面においては依然として政治的非リベラリズムが優勢でありリベラル・コンセンサスは形成されていない。

 また、中間層の没落は起きているものの、それを強固な中流意識がカバーしている。

 このように、「リベラル・コンセンサスの形成」「中間層の没落」という、ラディカルな政党の台頭を引き起こすとされる2つの要因が日本においては生じておらず、それゆえ欧米諸国のような状況は起こっていないと説明することができる。


4.「リベラリズムが内包した課題」は日本にも存在するか


 次に「リベラリズムが内包していた課題」が日本においてもリベラル・デモクラシーの衰退の原因となっているか考える。リベラリズムは強い個人を想定し、個人の解放を行ったが、「生身の個人」はそれほど強くなく、多様な価値観を前にたじろいだ。その結果、「血」「民族」「多民族への恨み」で小さな結合を創り出し、それが社会に分断を生んでいる。これが「リベラルが内包していた課題」だった。この状況は日本においても存在するのか。

 日本は長い間天皇を頂点にいただく封建制で国を治めていた。明治維新で封建制は崩壊したが、依然として天皇をいただく政治体制は変わらなかった。このため、日本国民の中には「お上に従う」という風潮が根付いた家父長制の古典的な家族の在り方も、その感覚を引き起こした一因であろう。

 この体制が、第二次世界大戦後大きく変わった。今まで国民の上に君臨し、人々が崇め奉っていた天皇は実権を持たない「象徴」となった。国民は「自由」を享受し、タテの承認関係を失った。更に、ヨコの承認関係も崩されてきた。自由主義経済の導入により引き起こされたスプロール現象で、都市の特性・個性が失われつつあることなどが例として挙げられる。都市一極集中による隣近所との付き合いの希薄化なども、具体的な例として挙げられるだろう。

 この経過から見ると、タテ・ヨコの承認があった時代から、個人の尊重を基礎とする社会への転換が起こる、という所までは、日本も西欧と同様の経過をたどってきたという事ができる。

 しかし、この変化がどこからもたらされたのか、という点に大きな違いがある。西欧諸国では、民主主義は市民の中にあった社会への不満や、権力への反発を原動力として生まれてきたといえる。フランス革命がその代表だ。しかし、日本では敗戦後 GHQ の支持によって導入されたという側面が強く、市民の力により勝ち取られたという側面が弱い。そのため、日本では、憲法や民主主義の導入を通して、個人は制度上解放されたものの、内実は伴わなかったと考えるべきである。

 実例を上げれば、日本に根強く残る「男ならこうあるべき」「女ならこうあるべき」といった各々の属性の古典的モデルを押し付ける風潮や、あらかじめ社会に規定された「良い学校に入って、良い会社に入り、所帯を持って子供を作る」という古典的な人生設計の押しつけなどが上げられる。つまり日本人は、制度上は解放されたものの、自らで自分らしさを選ぶことを求められなかったのだ。従ってアイデンティティの危機を感じることもなかった。国家によるタテの承認は無くなったものの、社会の風潮により「らしさ」を規定され、それに従うことで承認を得続けてきたのだ。このことが、日本人の中流意識に関して言及した際にも述べたような、日本人の現状維持思考に繋がっているととらえることができるだろう。これらの事からみると、「リベラリズムが内包していた課題」は日本おいては他の国とやや違った形で表れてきていると考えられる。西欧においては人々が今までの安定的なタテの承認を捨て、「多様な個人モデルの洪水」の前に立つという冒険をしたが、不安感に耐えられずに再び何者かに承認される事を求めた。それがラディカリズムアイデンティティ・リベラリズムといった問題を生んでいる。日本においては、個人は解放されたのにも関わらず、一歩も外に出ずに、「多様な個人モデルの洪水」の前に立つことすらしてこなかったといえる。「あたりまえ」によって規定された「内なる自己」に向き合わずに生きていれば平穏であるため、人々は変革を求めて政治に関わる事をしない。この状況に甘んじることは決して良い事とは言えない。

 ここまで見てきたように、日本は沢山の課題を抱えているのにも関わらず、日本人は現状維持を求めて変革を求めず、保守政党に投票するか、あるいは完全に政治を無視する人が多くなっている。この状況では社会課題は解決していかないし、世の中は少しも良くなっていかない。変革が求められる。

5.市民社会の成熟度


 私は今回の論文の実践の一環として、元参議院議長の江田五月氏にお話を伺った。江田氏は東京大学在学時に 60 年安保で学生運動に関わって以降、長年にわたって政治に関わって来られた方である。日本社会党書記長などを務めた父・江田三郎氏が新党を立ち上げてすぐに急逝したことをきっかけに、裁判官を退官し参議院議員になった。それ以降、足掛け 40 年にわたって政治の現場で活動し、科学技術庁長官、法務大臣、環境大臣、参議院議長などを歴任した。2016 年に任期満了に伴い政界を引退したのちは、弁護士として活動している。


 江田氏は、「何主義であるか、という事と別に、その社会を構成する市民の質が大事である。良質な市民が良質な社会を構成するという事が最も重要であり、体制がいかなるものになるかは後をついてくるのではないか」と話す。


 先述のように、西欧諸国では、市民の社会体制に対する反発が、うねりとなって民主主義を生み出した。そのような戦う市民と、その市民によって構成される成熟した社会が、民主主義が成立するためには必要であると江田氏は話す。「日本でも大正デモクラシーの頃などは面白い動きがあったし、戦時中も体制への批判を行って投獄された人も沢山いた。従って戦後の民主主義、立憲主義のスタートが市民の動きと全く無関係だったとは言えない。しかし、日本における民主主義や自由を求める動きは市民的なうねりにはつながらなかった。そんな中で迎えた戦後のスタートは、残念ながら底の薄い、成熟度の低いものになってしまった」と江田氏は言う。


 戦後、憲法と憲法が規定した民主主義によって市民という立場を手に入れた日本国民は、一時は政治的に大きく盛り上がったと江田氏は言う。それが安保闘争などである。江田氏も 60 年安保の際には、東京大学自治会の委員長としてデモの指揮などをし、逮捕・留置場生活・退学処分も経験している。当時の社会には「みんなで社会や政治の事を考えよう」という素地があったと江田氏はいう。各大学には自治会があり、自治会は政治的なテーマ
を扱って学生の運動や議論を盛り上げる活動を行っていた。それが鬱陶しくてしょうがないと感じた自民党・保守勢力が大学管理制度などで対抗を計った。勿論、江田氏ら学生は反発をしたが、結局は負けてしまった。その結果、学生が政治的に無関心になってしまったと江田氏は嘆く。民主主義が国民の間に定着していないことの 1 つの現れであった。


 ここまでの内容を総括すると以下のようなことが言えるだろう。西欧におけるリベラリズムの問題点は、当初の想定だった「強い個人」と実際の「生身の個人」との乖離であった。しかし、日本におけるリベラリズムの問題点はそこではなく、リベラリズムが理想とする個人像が制度上は謳われながらも、日本社会はそれを半ば無視するような形で社会によって規定された「不自由な個人像」を維持し続けていることにある。


 江田氏は、ご自分の大学時代の教授でもある丸山眞男の『「であること」と「すること」』(「日本の思想」岩波新書より)を薦めてくださった。この本における丸山の問題意識は私が本論文において提起したい問題と繋がるので、ここで紹介したい。

6.「であること」と「する」こと


 丸山眞男は、社会を「である」ことと「する」ことという視点で見ることを提案する。江戸時代の日本の社会は社会階層が「である」ことを基準に区分されていた。出生、家柄、年齢といった要素が、社会関係においてもモラルにおいても、決定的役割を担う。大名や武士は、一般的にいって、住民に対し何かサービスや商品を提供することでその支配権を得るのではなく、生まれた時から将来武士となる事が規定されている。譜代の臣、株仲間、家元というのは、いずれもこのような意味での「である」価値であって、具体的な貢献やサービスによって、その価値が検討されるものではないのだ。


 近代、支配体制が変化し、身分制が崩壊し、アカの他人との間に関係を結ぶ必要性が高くなってくると、組織や制度の性格が変化し、またモラルも「である」道徳だけでは判断できなくなってくる。そのことは、社会や政治、経済、教育などの間に分業を生む。同時にそれぞれの組織の中にも、役割に応じて何々局、何々部といったような集団が生まれていく。このような形の社会を丸山は「する」論理による社会であると述べる。近代社会への移行は「である」論理から「する」論理への移行でもあったのだ。

 この移行は必ずしも人々がある朝目覚めて突如ものの考え方を変えて起こったものではない。生産力が高まり、交通が発展して社会関係が複雑化する中で、家柄や同族といった素性に基づく人間関係に代わって、何かを「する」目的に限って結ぶ関係や制度の比重が増していった結果である。具体的に近代社会を構成する集団を見てみても、ほとんどが何かを「する」ことを目的に成立しているものであるという事ができる。例えば「学校」という集団は、生徒に教育を施さなくては「学校」として存在できないし、「会社」はなんかしらのサービスや商品を生み出すからこそ「会社」であることができるのだ。


 丸山は、「民主主義」「自由」という概念もまた、「する」論理に基づくべきものであると話す。丸山はその一例として民法における時効の考え方を紹介する。民法においては、債権を一定程度の期間、行使しないとその債権は失われる。この規定は返済を催促されないことをいいことにネコババを決め込む悪者が得をし、気の弱い善人が損をするという結果を生む可能性を秘めており、不公正な制度のように見える。

 しかし、この制度の根幹には「権利の上に眠るものは法の保護に値しない」という考え方があるのだと丸山はいう。債権者「である」という位置に安住し、債権を行使「する」ことを怠っていると、最後には債権を喪失するという論理には、一民法の法理にとどまらない重大な意味があるのではないかと丸山は考察する。


 例えば、日本国憲法 12 条を見てみよう。この条文には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。」と規定する。この条文は、基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると規定する憲法 97 条の宣言と対応している。

 丸山は先ほどの民法の時効の考え方と、この規定の関係には共通する精神があると述べる。この憲法の規定を丸山は「国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めると、もはや主権者でなくなっているという事がある」という警告であると読み替える。


 これは大げさな警告ではない。民主主義の歴史において、ナポレオン 3 世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまでの、西欧民主主義の道程が示す教訓に他ならない。

 国民と政治の関係においても、この「である」ことと「する」ことという視点を取り入れ考察してみよう。指導者の側についてみれば、指導者は単にその地位にあることで身分を獲得するのではなく、人民と社会にサービスを供給することによりその身分を手にするという事になる。更に、国民の側に適応して考えると、権力者の権力乱用を常に監視し、その業績を常にテストする姿勢を整えるという事によって、初めて国民たりえると丸山は考える。


 次にこの「である」ことと「する」ことの論理から現在の世の中を見てみよう。私たち日本人はあまりに「である」ことに安住しすぎている状態だとは言えまいか。本来であれば、投票に行き、積極的に政治に対し声を上げ、良き民主主義国家の市民として享受する権利を行使し続けなくてはいけないのに、私たちは、尊重された民主主義国家の市民「である」ことに安住して、投票に行かず、社会に対して声を上げることも、果ては考える事すらやめてしまう。「権利の上に眠るもの」になってしまっているのである。民主主義が個人を尊重し、自由や権利を守ろうとする政治制度であるならば、私たちは常にその自由を行使し、民主主義社会の市民「である」ことに安住してはならないだろう。

                    続く・・・

参考文献(シリーズ共通):

『民主主義 』    文部省著作教科書   文部省  角川ソフィア文庫
『詳説 世界史 』  木村靖二 ・岸本美緒・ 小松久雄   山川出版社
『日本国憲法の論点 』 伊藤真 トランスビュー
『アフター・リベラル 』 吉田徹 講談社
『リベラルの敵はリベラルにあり』 倉持麟太郎 筑摩書房
『民主主義という不思議な仕組み 』 佐々木毅 筑摩書房
『GLOBE』       通巻 234 号 朝日新聞社
『熟議民主主義ハンドブック 』ジョン・ギャスティル他 現代人分社
『セレクト六法 』 岩波書店
『直接民主制の論点 』 山岡 規雄 国立国会図書館
『代表制民主主義と直接民主主義の間』 五野井 郁夫 社会科学ジャーナル
『日本の思想 』 丸山眞男 岩波書

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NHK「日本人の意識」調査 2018 年実施
言論 NPO「日本の政治・民主主義に関する世論調査」 2018 年実施
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スイスの直接民主主義 制作:swissinfo.ch、協力:在外スイス人協会


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