見出し画像

読書ブログを書いているたった1つの理由【自己紹介】

自己紹介がわりに……(約2500文字、所要時間5分)

私が読書ブログを書いている理由、それは

52ヘルツの声をとどけるため

です。

本との出会いって、実に多様だと思いませんか。
こうして本に夢中になっている人たち、それぞれに物語がある。
だってそうでしょう?
(私も含め)愛読家は、手を伸ばしたのですから。何かを必死に求めていて、たまたま伸ばした手の先に本があったと思うんです。

私の場合、手を伸ばした先にあったのは物理的には『夢の上』(多崎礼)でした。哲学的には残酷・凄惨を求めていたのかもしれない。あるいは救いだったかもしれません。

私がまだ何も知らない子供だったころ。世界の理不尽さを無邪気に憎むことができた、一学校の生徒だったころです。東京にある公立図書館だけがやすらぎの場所でした(今はもう東京から離れましたが……)。そこは3.11で私が福島(故郷)から逃げた私が、現実からも逃げた最後の逃避先でした。震災で福島が壊れて、ニュースで流れるヘリからの映像はミニチュアの世界を薙ぎ払ったようで、どこにも現実感はありませんでした。
家族とともに行き着いた東京は、だれもが憧れるキラキラした世界ではありませんでした。むしろ何もありませんでした。大事な友人も、家も、育てていた金魚もぜんぶ置いてきてしまいましたから。
思春期ってセンチメンタルですよね。当時のわたしは、自分より不幸な人はいるだろうかって、おこがましくも思っていました。私だけが辛い思いをしている。そんな悲観が暴走した結果、残酷で救いのない小説を求めるようになりました。
そうしてせせら笑うのです。ほらね、物語の中にだって自分よりどん底のやつはいない。こいつらは恵まれないフリをしているだけだって。

冒頭に戻りましょう。私は図書館でたまたまある書籍に出会ってしまいした。『夢の上』(全3巻)です。最初の一文で、ぐっと引き込まれました。これほど美しい文章があるのか、と。あまりに繊細で透き通っていて、触れると崩れてしまいそうな文字の連なり。それでいて物語はすごく無情なんです。無知や自己犠牲に滅びていく登場人物の群像劇。あまりにアンバランス。文と内容に釣り合いが取れていない。神様なんて居ないんだと実感するほど残酷な物語でした。それが3巻まで続きます。
でも最後、彼らの物語は一つの大きな歴史に収束するんです。無駄かと思われた死も、夢を前に崩れていった遺志も、一紡ぎの「金と銀の光の縫い込まれた、夜と薄明と昼を表す 漆黒と灰色と空色をした天の布」(「夢の上」イェーツ)として未来をさし示す道標になりました。どれほど色褪せた荒野の中でも屹然とする圧倒的な利他の精神。それに心が震えました。

ああ、私が求めていたのは凄惨でも残酷でもなかったのだ。私はそれを本当は知っていて、だけどそれを認めてしまうのが怖かったんだと気づきました。本当は、どんなに残酷で一筋の光の見えないような物語でも、往々にしてハッピーエンドを結末に添えているものだと知っていました。でもそれを認めたくなかった。それを認めると、自分を悲劇のヒロインにできなくなる。この何もない東京で歩き出さなきゃいけなくなる。だから主人公には希望も夢もなくなって欲しい。そして私を正当化させて——。でもやっぱり救いが欲しい。こんなに悲しい悲しい私にも救いがほしい。凄惨と救いという相対するテーゼを求めていた矛盾の理由です。

本書に出会えたことで、私は明るくなりました。自分を見つめ直す機会に鳴ったんです。自分はまだどん底じゃない。どん底だとしても這い上がれる。物語との出逢いが心の支えになりました。今度は、自分が誰かの救いを手助けしたい。親にも友人にも打ち明けられない悩みや絶望に寄り添ってくれる物語を求めている人はいるはずだ、と。救いを必要としている声なき人々と本との架け橋になりたい。上から目線かもしれませんけど、その思いが私をパソコンの前に座らせます。

さて、52ヘルツの声について話しましょう。勘の言い方はすでにおわかりかも知れませんが、これは『52ヘルツのクジラたち』(町田そのこ)から引用しました。クジラというのはだいたい10~39ヘルツで発声しているそうです。つまり52ヘルツで発声するクジラが居たとしても、その声はだれにも届かない。

52ヘルツのクジラ。世界で一番孤独だと言われているクジラ。その声は広大な海で確かに響いているのに、受け止める仲間はどこにもいない。誰にも届かない歌声をあげ続けているクジラは存在こそ発見されているけれど、実際の姿は今も確認されていないという。
52ヘルツのクジラたち/町田そのこ

主人公・キナコは親からのネグレクトを受けていました。再婚した父からは虐待を受け、トイレに軟禁されて10~20代を過ごすというあまりに残酷な環境に置かれていました。病を患い余命宣告も受けた要介護状態の義父の世話のすべてを母親から押し付けられ、「お前が変わりに死ねばよかったのに」と言われる始末。頼れる人もおらず、声を上げることもできないまま、楽になりたいと街を彷徨っているときに出会ったのが、アンさんでした。彼はキナコの52ヘルツの信号を察知して、彼女を家族から救い出す。
というあらすじですが、それでめでたしめでたしとはならなかったんですよね。むしろそこから物語が始まるんですが、アンさんはある悩みを抱えていて自殺をします。彼も52ヘルツのクジラだったと喪ってから気づいたキナコは、亡くなった祖母の家を引き継いで大分の漁港に引っ越します。そこで偶然出会った少年には虐待の痣があり——。過去の自分と重ねたキナコは、今度こそ52ヘルツの声を受け止めるために動き出す。

私は『夢の上』を読んで、安っぽい言葉ですが——救われました。52ヘルツのクジラだった私のSOSをキャッチしてくれたんです。正直、私には誰かを救うだなんて身の丈にあまることは出来ません。でも、日本にいるはずの悩んだり、苦しんだりしている52ヘルツの叫びを拡声することはできるはず。彼らは同じ周波数の仲間を広大な海のなか探しているはずだ。ならば私は声と声をつなぐ精一杯をしよう。これがブログを綴るたった1つの理由です。


この記事が参加している募集

自己紹介

人生を変えた一冊