見出し画像

note書くコツ②/文章を書いて褒められたいのか/自慢は人を幸せにするのか

前回の記事はこちら


お前は、褒められたいのか?


子供の頃は誰しも自由に文章を書いたのに、読書感想文などを書かされるうちに、どうやら多くの人は「褒められる」文章を書くようになった。


楽しかったカフェの写真を載せることで満足していたのに、いつのまにか「いいね」を求め、メイクも自分が楽しいことから「そのメイク、いいね」を欲しがる。


一体、いつから私たちは、そんなに褒められたいと思うようになったのだろう? これは自分にも言っている。

一匹狼でありたいくせに、人から愛されたいのか?

注目されないものも「アート」では、ないか?


売れないけど、夢を追っていると恥ずかしそうに言う人がいた。やりたいことをやっているのに、全然楽しそうじゃなかった。


自分がやりたいなら、別に売れなくてもいいのではないか?テレビに出ている人も、売れたのに、ほかの凄い人と比べて、「自分なんて」と、思うらしい。

欲望は、際限がない


欲望は際限がねぇな、と思う。

私だって、300円のハーゲンダッツを「高いな…」と、思わずに買えたら、と思う。ガリガリ君以外はみんな高く思えてしまう。


でも、そのお金を手にしたとしても、「なら、次はブランドバッグ…あの人より、稼げてないな。才能ないかも」などと、思うのかもしれない。


そうは、なりたくない。欲は、自分を駆り立てるけど、欲ばかりの時代は終わったのかもしれない。今は、少ないものを大切にする時代だ。未来に想いを馳せつつ、今の自分も楽しむ。


自慢は、人を幸せにするのか?


最近は、意識の高さを間違えた人が多い。「●●大主席の私が教える」「満点を取った私が」「月収2000万のなんちゃら」


おっ、と一瞬思うのだが、大体自慢を聞くだけだ。しかも共感されやすいように、挫折したけど、今は成功しました、と。私にすれば「それが、挫折?」というものも、多い。


年齢のことは言いたくないけど、40代くらいになっても「●大卒の私」と書かれているサイトもある。たぶん、逆もそうだろう。学歴コンプレックスも、引きずるのだ。でも、40歳まで?冗談ではない。


誰でもが何かしらを書ける世の中だし、謙遜の美徳があるから、ネットでは自慢をしたいのだろう。凄い恋人がいる、とか。でも、それは自分が凄くないから威光を借りたいの?とも思ってしまう。

自慢は、誰かを幸せにするだろうか?むしろ「私なんて」と、悲しませると。本当にモテている人は、「●人に告白された」と言わないだろうし、「イケメンです」とも、言わないだろう。


こういうことは、誰かに言ってもらうのが一番なのだ。最近思う。本当に賢い人は学力ではない、と。自分の賢さを隠しながら、人を褒めて、普通の人のように擬態している。

優秀だと思われたら、潰されるようなこともある。やはり、謙虚さは必要だ。利他の心は。


お気に入りのサイトが、なくなった2020


2020以前は、好きなサイトが多かった。毎日見ていたのに、最近は、なくなってしまったのだ。なぜなら…このご時世なのに、おんなじ東京に住んでいるのに、


彼女は毎日のように美味しいお菓子や紅茶をお取り寄せしたり、カフェを巡っていたり、船でクルーズしたというのだ。久々に、それを忘れていて、見て撃沈した。


もちろん「是非とも、うちの船に乗ってくれませんか」という案件なのかもしれない。それはわかるのだけど。今までは、「私も、いつか行きたいなぁ」なんていう気持ちで、ほのぼの見られたものも、「何が私と彼女との違いなの?」と思うようになった。


今年やったことリストが、埋まらない


2021も2020も、毎年のように「今年やったこと」や、「私が選ぶトレンド」を日記に書いているのだが、埋まりはしない。こういうサイトを見ると、とてつもなく「何か」をやりたくなるのだけど、もう「今はやりづらいこと」ばかりで、わからない。


あー悔しい、と思って、無性にやるせない。なんて、思いながら、「部屋を、とりあえず模様替え!」と、物を動かそうとしたら、スタンディングデスクの下に親指を入れてしまった…


「スタンディングデスクは30kgです、それが親指に集中すると何キロの圧がかかるでしょう?」なんていうことは、考えられなくて。今まで出したこともない声をあげた。今は、何とか万年筆も持てるけど。焦っちゃ、ダメ。


テレビで見るセレブの別荘やクルーズは、「そうなんだ」と思えても、出来そうでできないことにはモヤっとしてしまう。

言うことは、変わるみたいだ


料理家も、簡単レシピが人気だ。そう思えば、2020の2月くらいは「みんな、大袈裟すぎるよ〜、外行っても良くね?海外にいまーす」という有名人や偉い人も多かったのに、それからしばらくしたら「私も、外には行っていません、気をつけましょうね!」と、言い出した。


あんなに賢い人でも、「大丈夫だよ〜」と言っていたんだ、と思ったら、当たり前ではあるけれど、他人の知識を盲信してはいけないのだ。

この間までは普通の人だと思って見ていたのに、この出来事になった途端に、不思議なことを言い出す人もいて「このブログは、もう見ないな」と思ってしまった。こういう時、みんなが大変な時や、例えば山を歩いて疲れた後とかに、人間は素が出るのだろう。

知っていることより、知ろうとする方が偉い


おうち時間が増えたからか、ひしひしと感じるのだ。世の中は、自分を愛しているだけじゃ始まらないと。自分の魅力を磨くことに目が行きがちだ。でも、一旦自分ができるようになってしまえば、できない人を馬鹿にしてはいないだろうか?


「まだ●●を好きなの?」「それ古いよ」「●●を知らないなんて、ありえない」


本当は、知っていることよりも、知るようにすることだと。インタビュアーはすごいと思う。上手い人がいないな、と最近気がついた。せっかくゲストを呼んでも、自分の話ばかりしている人が多いのだと。私もそれを自覚している。

自分語りは、駄目なのか?


文章でも、自分語りはダメだという。お前の話はいいから、結論を書け、と。これは難しい問題だ。結論は簡潔ではないことも多い。●●は✖︎✖︎だ、なんて言い切っているのは危険だ。偏見もある。それに、ただの事実を書くだけでは、物足りないものもある。


これをみんなはどう思っているの?と、気になるから検索することも多い。ただ「俺は●●した時に、●●でさぁ」と言われても、場合によっては、「スクロールが、めんどいし、しらねぇよ」と思う。

私も、書く時に「ウザくないかなぁ?」という不安がよぎることがある。


炎上や、不適切な発言への注意も必要だ。これはまた、書く。


サポートありがとうございます。 なるべく間を空けずに、記事を更新します。 頂いた金額は、本代に使用して、教養を深めます。 それを記事に還元出来るように、精進して参ります。