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我々凡人が「論理的思考を放棄」して天才に近づく唯一の方法

天才プログラマー登大遊さんのブログが話題だ。

常人が月に3000行のプログラミングを書くところ、登さんは一日に3000行書くという。

その秘密は、常人が「論理的に考えてプログラミングを書く」のに対し、登るさんは「論理的に考えず、楽に、努力せず」書くからそれだけの仕事量がこなせるのだという。

そしてそれは登さんが特別だからというわけではなく、実は人間本来の「感覚的な思考」をフル活用することができれば誰でも実現可能で、そのための秘訣が、「論理的思考の放棄」なのだという。

初出は2007年。13年前の記事だ。じぶんは2010年にこの記事を読み、衝撃を受けた記憶がある。

以来、「論理的思考の放棄」についてずっとずっと考えている。

どうすればじぶんのような凡人も、これを成し遂げられるのだろうか。


この記事に対する反応をみてみる。

このあとの記事のコメントで「自転車の乗り方をいちいち考えないようなもの」とあって納得。プログラミングは乗りこなしが難しいから凡人は論理的思考という補助輪をつけてようやくフラフラ進む感じ
https://b.hatena.ne.jp/Imamura/20200614#bookmark-4670089054521382722

このはてぶコメント、なるほどな、と思った。論理的思考は、補助輪のようなもの。この補助輪を外すことで、自転車を無意識にスイスイ乗りこなせるようになる。


英語得意な人は逐語訳しない、みたいな話。
https://b.hatena.ne.jp/makou/20200614#bookmark-4670089054521382722

なるほど、英語ネイティブな人は英語でものを考え、英語で発話する。じぶんは英語を話せないが、多少は読むことはできる。しかし「英語を読む」とき、じぶんは英語を脳内で日本語に訳して、理解している。

きっと登さんは、プログラミング言語をプログラミング言語のままに、脳内で使っているのかもしれない。

自分の思考はかなり論理的思考だ、という自覚がある。きっと、日本語で考えすぎている。

この「日本語で考えるのをやめる」ことがうまくいくと、すごく楽に仕事ができるときがある。

あれやってこれやって、というふうに脳内で今日の予定とか段取り立てたりすると、めんどくさいなー、と感じられてくる。

だから脳内でそういう「声」を意識的に遮断する。感覚としてはぼーっとしている感じ。頭の後ろの辺りに意識があるような感じ。

これ、フォトリーディングという本を高速で読む技術の中の一環で「頭の後ろにりんごを思い浮かべながら読む」というのがあるんだけど、その感覚に近い。

目の前の作業に集中するのではなく、むしろ、脳内の思考メモリの一部を、別のことに使うことによって、余計なことを考えないようにするテクニック。

実際に登さんが紹介しているテクニックは以下のようなものだ。


考えないで身体が動くようになるための唯一の学習法

考えないで身体を動かす方法についてはわかった。

要は、身体を自動運転に任せる、ということなんだと思う。自転車を漕ぐときにバランスのとり方をいちいち考えたりしないように。

しかしながら、何も考えないで身体を動かしたからといって、なんでもかんでもうまくいくかといえばもちろん、そうは思えない。

例えばじぶんは自転車には何も考えず乗れるが、車を運転することはできない。

例えばじぶんはローマ字入力でタイピングができる。このことに苦はない。しかし、かな入力でタイピングせよ、といわれたらめちゃくちゃ疲れる。「かな入力の手の動き」をじぶんは学習していないからだ。

つまり登さんのように論理的思考なしで手を動かせるようになるためには、沢山の「練習」や「知識の積み重ね」が必要になるということだ。

つまり、日頃の生活の中で、無意識に身体が動くレベルまで、動作や思考を身体に刷り込む必要があるのだ。

拙著『要領がよくないと思い込んでいる人のための仕事術図鑑』で伝えたかったのは、まさにこの「無意識に身体を動かせるようになるための仕事術」なのだ。



手順書を作り、同じ動きをくり返すことによって、身体がその動作を覚えやすくなる。毎回「えっと、こうやって、ああやって」と手順を思い出しながら動かしているのがまさに「論理的思考」に頼っている状態。この論理的思考を手順書に任せることで、自分は決められた作業だけに集中できる。すると身体はその動作を覚える。身体が覚えてしまえば、あとは頭で考えなくても、手順書すらみなくても、自然と動くようになるのだ。


これをさらに「生活全体」に応用することもできる。究極的には、毎日同じ動きを繰り返していれば、いつしか一日全体を「無意識」に過ごすことも可能になるのではないか。あくまで理論上だが。

ネテロも1日1万回、感謝の正拳突きを繰り返したことで、音を置き去りにするほどのスピードを得ることができた。

「繰り返し」が人間にもたらすものはすさまじい。


例えば「朝の時間」は、おそらく多くの人が無意識を体験している時間なのではないか。

朝、ぼーっと準備をしていたら、いつのまにか浴室でシャワーを浴びていて、あれ、自分、身体洗ったっけ?となったことはないだろうか?身体を洗ったかどうかすら記憶に残らない、みたいなことが日常的に普通に起こる。

これは、毎日毎日、同じ動作を繰り返してきたから起こる現象だ。

この朝のルーチンを洗練させて、たとえば起きたら水を一杯飲むとか、ストレッチをするとか、そういう身体によさそうな習慣を取り入れて毎日繰り返せば、健康的な習慣をいくらでも取り入れることができる。

そのために必要なのが、朝の手順書だ。朝、起きてからの動きを手順書にして、毎日そのとおりに身体を動かす。これを繰り返していくことによって、次第に身体がその動作を覚える。そうなればもはや、水やサプリを飲むことを忘れるほうが難しくなる。


まずは、自分の生活の中から、無意識化したい作業を「手順書」にする。

そしてそれを同じ手順で日々、くり返す。


我々凡人が論理的思考を放棄し、天才に近づくためにできる方法は、いまのところこれしかない。

読みたい本がたくさんあります。