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山と共にあらんことを

 東京の中心にて欲望の限りを尽くし、辺境旅を経て世界の果てへと辿り着き知足の境地に至り、いよいよ比叡山の獣道に心の安寧を見出してしまった僕の物語。

何も考えず、東京へ吸い込まれる

10年前、京都で学生生活をいよいよ終えて進路を考えていた。
「文化人類学の研究を続けたいが、経済的理由で院進は諦めよう。すると就職か。東京には、地方に比べて人・モノ・カネのリソースが大量に集まる。ゆえにビジネスチャンスやそれ以外の出会いも多く、結果として知的好奇心が満たされつづけるのではなかろうか。」

学生時代に住んだ京都も場所としては好きだが、多くの就職活動中の友人が東京での就職を検討している為、やはりチャンスが少なくなるだろう。あるいは実家もあり幼馴染含めた友人のいる長野では、チャンスはさらに少なくなるだろう。

就職活動をしていた際に、東京以外の都市を見ていなかったのは、先ほどのようなことを考えていたからだろう。そして京都や長野はチャンスが少ないかどうかの仮説検証をせずに(従って、実際にチャンスが少ないかどうかは分からないまま)、東京の企業に行くことにした。「会社のことは良く分からないが、面白い同期が多い」という、自分にとっては極めて重要であり、一方で他人にとっては良く分からない理由で会社を決め、さらにいわゆるコミュニケーション能力を身に付けたく営業を志望した。

東京での仕事

入社3週間前に内示が出た。東京配属、飲食事業、希望通り営業職だった。
内示2日後に東日本大震災が起きた。

東京は輪番停電が実施されるようになり、結果として飲食事業の営業部に新卒配属が不要となった。結果、配置転換により人材事業の企画職への配属となった。

最初の一年半の企画職を終えた後は、さらにバックオフィスの人になっていった。国内及び海外の経営管理・経営企画・事業推進・M&AやPMI等のあらゆる役割において、経営戦略やそれを数値化した管理会計の経営目標の策定及び進捗による予実管理をしていた。結果、経営戦略・管理会計・論点整理マニア及びエクセル・パワポ職人になっていた。

エクセルに関しては、数値計画策定における外国人の同僚エクセルマスターのコミュニケーションを言語ではなくもはや数式と数値で行い、出来上がった数値計画とそのロジックにセクシーさを感じていた。パワポに関してはあらゆる起案書や経営戦略資料の必要要素を集積したパッケージが頭に浮かび、必要十分な内容が詰め込まれた資料の中にはエレガントさを感じるようになっていた。まるで芸術作品を見るようにエクセルとパワポを見るようになり、ハーモニーを味わうかのようにそれらの数式や構成を楽しむ域に達し「なるほどこれが職人というものか」という気分になった。

あらゆる事件は現場で起き、あらゆる意思決定のドラマは会議室で起き、あらゆる手続きはデスクの上で行われた。
意外かもしれないし、あるいはそうでないかもしれないが、少なくとも僕の職場で最も生産的な場所、つまり短期間で大きく仕事が動くのはーーータバコ部屋だった。
あらゆる利害調整はタバコ部屋で行われた。上司やさらにその上司が一服している間に、情報をインプットし、本音を引き出し、資料に反映し会議に持ち込んでいた。

チャンスと捉えるか業務過多と捉えるかは自分次第であった。為替も事業フェーズも規模感も課題も異なる海外11か国の収支をほぼ一人で管理してた数年はしんどくもあり、一方で事業運営全てを見ることができ濃縮された貴重な経験だった。

2019年、何も考えずに会社を退職をした。
入社前に会社に期待していた営業は、ついに一度もすることがなかった。
かといって、退屈を覚えることも一度もなかった。

東京での生活

1.西新宿での生活

西新宿では友人たちと4年間シェアハウスをしていた。
外に出れば歌舞伎町、思い出の抜け道、ゴールデン街、新宿二丁目…あらゆる店で散財をしていた。家に帰れば同居人や良く遊びに来てくれる友人などで必然的にコミュニケーションが発生していた。一人部屋ではあったものの、当時はコミュニケーションを求めていたのだろう、深夜に隙あればリビングで酒を片手に誰かと談笑し、週末はキャンプやイベントばかりをして過ごした。やはり東京には出会いにあふれ、かつ面白い人が沢山いることで東京での暮らしになんの不満も感じずに日々を過ごしていった。

2.銀座での生活

銀座には4年間一人暮らしをしていた。
「銀座に住む場所などあるの?」それが住居を伝えた時に毎回もらう反応だった。銀座の端くれに位置していたため、実際にうちを訪ねた友人には、実質それは新橋だとか銀座駅から遠いとか色々言われていたが、何はともあれ住所は銀座。僕は銀座に住んでいたし、銀座に住んでいることに誇りを持っていた。

銀座での暮らしはとても快適だった。元々は職場に徒歩で行ければ、終電も始発も気にせず仕事ができるという絶望的な発想で引越しをしたが、職場に近い以上に、住めば都だと確信を深めていった。

第一に、築地市場が近くいため、毎日の朝ごはんが豊かだった。
築地市場内(2018年10月に移転してしまったが)にある飲食店はどこも名店だった。観光客で混雑している寿司屋を横目に、てんぷら、洋食、アジフライなどを目当てにギリギリ並ばなくても食べれる店に入り、ご飯を済ませてそのまま歩いて出社をしていた。場外市場はまだ健在であり、早朝のきつねや(平日の朝6時台前半は並んでいない)には週1では通ってて完全に常連になっていた。

第二に、銀座には名店しかないため、毎日の昼ごはんが豊かだった。
極端な例でいえば、食べログ全国カレー100名店のうち、10を超える名店が銀座・京橋エリアにある。他のジャンルでも、銀座に名店がない料理のジャンルはないのではないだろうか。会社で打ち合わせに追われていても、昼に外出をして休憩時間で最高の食事を満喫出来て一気に回復をしていた。

第三に、食以外にも何でも揃った。
大量の美容院・百貨店・飲食店はもちろんの事、東急ハンズ、ビッグカメラ、ドン・キホーテ、肉のハナマサ、金春湯、コインランドリー等々、日々の生活をするうえでこれほどまでにすべて揃っている場所は珍しいのではないか。さらには自然が欲しければ日比谷公園、すっきりしたければ築地本願寺などもある。ないものを無理やりひねり出すとすればモスクくらいかもしれないが、僕がイスラム教徒ではないからまぁなくても困らなかった。

第四に、交通アクセスがいいため、毎晩遠くへ行けた。
山手線・都営浅草線・銀座線・日比谷線・大江戸線・ゆりかもめなど、選びたい放題だった。もちろん、銀座が目的地となり家でごはんをたべたり銀座で飲んだりした際には長い時間をおしゃべりに費やすことができた。

新宿に銀座に、都会の中心と呼んでも誰も反論する人がいない繁栄のシンボルのような場所は刺激にあふれていたが、心の奥底で、どこか別のものを欲していた。
自分が認識している価値観でしか、自分の世界を見ることができない。極端なところに行かない限り、自分の見る世界は規定されてしまう。認知バイアスの枠を取り払いたい。そこで、旅に出た。

世界の辺境生活

人生は有限。思考と場所を制限する労働からせっかく解放されたのだから、好奇心の赴く限り遠くにあるものを全部見てやろう。という事で動いたのが2019年だった。

サハラマラソン完走を皮切りに期限のない早足の旅をし、ソマリランドで遭難しかけ、キリマンジャロを登りサウジアラビア初の観光ビザ入国日本人となり、アトス自治修道士共和国を訪れ(しかも再訪し)、ラダックの吸い込まれるほど青い空を感じ、南極に行ったらさすがに満足をし、帰国をした。2018年までの渡航国は約60か国。この一年で渡航国は107か国となった。

辺境の地では、自然と調和することと、どんな些細な事象でも興味と正しさを見出すことを、ずっと考えていた。

毎日、ありとあらゆる側面で対峙する彼らの正義に対して浮き上がる疑問や感情を思考・整理し、自分の「ものの見方」として獲得していった。
結果、絶対的な正しさなど存在せず、僕がやるべきことは自分の思う「正しさ」を意義をもって「正しくする」ことだけだと確信した。

改めて振り返ると、目指す目標を決めて結果にこだわり頑張るのではなく、好きな事をやりプロセスを楽しもうという思考で、すべての事をやっていたのだと気づいた。楽しんでものごとに集中して取り組めば、結果は後からついてくる。

そしたら、東京にいることも、将来のありたい姿、例えば仕事における年収やポジション・結婚や家族や子供の事など、一般的に人々がこうありたいと思うあらゆる事が相対的なものにしか見えなくなり、興味が失せた。

東京でコミュニケーションを求めていた時間も、趣味人として食べ歩きをしていた時間も、どれも濃い思い出が詰まった大切な時間だった。何かをすり減らす感覚も幸いに僕の場合はなかった。ただ旅で非日常モードに突入させて、東京に住まなければ得られないチャンスとか出会いは自分の人生で必要なのか?と思い返し、東京を出ることを決意した。

京都に来て3か月、ようやく、人生で初めてしっくりくる場所が見つかった気がした。

京都での生活

今僕は、とても静かな所で暮らしている。
・哲学の道から徒歩30秒
・銀閣寺、大文字山参道から徒歩5分
・比叡山参道から徒歩10分

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せっかく東京から離れたのだから、山が近くにあって静かな所に住みたいという事で住居探しをしていた。場所もさることながら、元・旅館という雰囲気のある家に住んでいる。

仕事はこれから結果を出す段階であり割愛。

仕事以外は、平日は早朝に大文字山、休日は早朝に比叡山に一人で登っている。山は自分自身を研ぎ澄まし、思考力を鋭利にし雑念を開放してくれる。今までこのような感覚になることがなかったが、よくよく考えると比叡山は1400年にわたり最澄、法然、親鸞、日蓮等の偉人を輩出している山だ。ここには超越した力も少しはあるのかと考えている。

比叡山の獣道に心の安寧を見出す

目を澄ます。
地面は過去を映し、空は未来を映す。フンや足跡によって獣の気配を確認する。フンにたかっている虫の多寡によって獣の気配も確認する。猿や鹿と会い、お互い存在を確認するがけん制する。自分も山の動物の一員だ。
耳と鼻を澄ます。
山の一人歩きだと自分の足音以外はすべて自然の音。きつつきが木をつついている音、カラスやシジュウカラやウグイスの鳴き声が聞こえてくる。猿が木をゆする音なんかも聞こえる。空気は雨のにおいを運んでくる。
心を澄ます。
最澄、法然、親鸞、日蓮が見た道を自分が見ている事から翻って彼らの見た道を想像し見つめ、気持ちを共有し、時間の概念を超える。日々、自分の脈拍や思考と対話をし、コンディションを把握する。

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山に毎日入るようになり1~2カ月しか経過していないが、この「感覚が研ぎ澄まされる」経験に気づけたのはとても意義深いものであり、まだ感じて間もないのに、もう山なしの生活には戻れないと思うほど、自分の生活に根付いてしまった。前述の通り昨年アトス山に二度入り、修道士と過ごした経験や、南極を訪れた際に地球は人類のものではまるでないことを確信したからこそ、長時間かけずとも彼らの中に入った際の《胎動》を感じ取れたのだろう。
さらには、日々感覚が研ぎ澄まされていく事で、この地から離れられない確信を深めた。

「砂漠の方が住み心地がいい。街にはたまに行くくらいがちょうどいい。街はごちゃごちゃしているし、何より蚊がいる。」2009年、モーリタニアの砂漠をラクダ使いと横断していた際、オアシスに住む人が言っていた。

「アトス山には1000年前の自給自足の暮らしがそのまま残っている。他方、世界はこの100年で沢山変わってしまった。この世の中で僕が信じられるのはアトスの暮らしだね。」2019年、ギリシャのアトス山で出会ったフランス人の修道士が伝えてくれた。

僕自身、普段静かな家に住まい、かつ感覚が研ぎ澄まされた結果、ひと昔前は長時間作業をしていたスターバックスの店内ですら、ノイズキャンセリングイヤホンをつけてもうるさくて集中できなくなってきたので、昔の言葉がフラッシュバックしてきた。

当時から彼らの言葉に耳を傾け、理解しようと努め、よく反芻し、考えていたが、ようやく実感として理解できた気がした。彼らは情報の洪水に流されない忠告をしてくれていたのだ。自分の心の声に目を向けるように教えてくれていたのだ。

思えば、東京の中心にて欲望の限りを尽くし、辺境旅を経て世界の果てへと辿り着き知足の境地に至り、いよいよ比叡山の獣道に心の安寧を見出す、というところまで来てしまった。仮に明日世界が滅びるとしても、多分山に入っているだろうと思った。

そして僕も世界や日本、ど真ん中も辺境もどちらも見てきたからこそ、ある意味ようやく調和が取れてきたのだろうなと、過去に過ごした時間を肯定し自分を納得させた。京都に来て、エクセルとパワポを使う事がなくなった。今後使うかどうかわからないが、職人でいることは取るに足らない事だと思う。自分のキャリアがどうなるかなんてまるで分からない。今を生きて前に進み、そのプロセスを楽しんでいこうと思う。

最後に

世界的なパンデミックにより、人々の価値観や就労観は変わっていくだろう。以前はグローバル資本主義は無限に発散するものだと盲目的に信じていたが、それは収束もするのだと、一部の人は気づき始めただろう。世界や人生は思い通りにならないと、多くの人が原体験として持つレベルで気づけただろう。原体験は今後の思想形成に大いなる影響を及ぼす。

一度、住居や仕事などのポジションを持ってしまうと、居住地の変更は現実的ではないと思う人がいるかもしれない。しかし現実的でない事も含めて決めるのは常に自分であり、現実的かもしれないのに認知バイアスにより現実的にできる部分が見えていないだけなのだと僕は思う。

憧れの地にいつか住みたいと思っている人。住むのはとても簡単です。行動を起こしたうえで、とりあえず会社を辞めてみてはどうですか。就職活動前や活動中の人。東京以外の選択肢を探してみませんか。好きな場所があれば、そこで就職してみてはいかがですか。

そういえば、長野で過ごした子供の頃、家の裏には山があり、山が暮らしの一部になっていた。山では山菜をとり、沢ではカニやヤゴを捕まえた。うまく言語化できないものの、直感的に心が琴線に触れる時、そこには記憶の片鱗に五感が覚えている自分自身の原体験があるのかもしれない。

♡あるいはコメントが次のnoteを書く活力になります。ぜひ感想など教えてください。

それでは!



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