サウジアラビア観光記(本編)
サウジアラビアの観光ビザ解禁のニュースが2019年9月27日・世界観光の日に発表され、翌日この国は重く冷たく厚い閉ざされた扉を開ける。僕は衝動的にサウジアラビア・ジェッダ行きの航空券を確保し、開国から4日後・10月1日に入国した。
10月1日時点でサウジアラビア王国に観光ビザで訪れた人はツイッターを探しても出てこず、僕はサウジ開国後初の日本人観光客となれた。
ドバイのチェックインカウンター
ドバイの空港でサウジアラビアのジェッダ行きのチケットを発券する際に、チェックインカウンターで確認されたものは3つ。①サウジ内ホテルの予約証明書、②出国チケット、③医療保険の加入証明書。①はBooking.comのスクショを提示、②は持っていなかったが、首都でありアラビア半島東部のリャドからバーレーンまでは陸路で簡単に行けると主張し、バーレーン→ドバイのフライトチケットを提示、③はひと悶着あったが、クレジットカードの保険に付帯しているのだと主張し、空港職員含めてVisa On Arrivalに関してはみな不慣れであるため、4~5人の職員が登場し、結局15分程度のチェックインカウンターで発券完了。
国際都市ドバイの空港には、様々な人種の人がいる。アラブ系はもちろん、地理的に近いインド系やアフリカ系、そして少数ではあるが東アジア系のモンゴロイドや白人コーカソイド系までいる。しかし、ジェッダ行きの航空会社のチェックインカウンターに並んでいる人たちは、ひときわ異彩を放っていた。
まず人種は僕以外全員アラブ系。男性の服装はアラブ人の正装(白装束ワンピースのカンドゥーラ、頭を覆う布のクトゥラ、黒い紐のアカール)が6割程度、巡礼用の格好であり、バスタオルを2枚巻いたようなイフラームという格好をする人が1割程度、残り3割は襟付きシャツやTシャツなどいわゆるカジュアルスタイル。一方で女性の服装はアバヤで目以外を完璧に黒装束で覆う服装をしている人が9割、残り1割が髪を露出するスタイル(この1割もジェッダの空港に着いた瞬間に布で頭を覆ってイミグレの準備をしていたが)。
サウジアラビア王国到着
約2時間半のフライトを経てドバイからジェッダ国際空港へ到着。
空港のイミグレの前に、出来立てほやほやのVisa On arrivalのカウンターがある。僕の乗っていた飛行機からは3名がそのカウンターへ観光ビザを取りに向かう。(とはいえ1名はイギリス人のアラブ正装をしたムスリム男性、もう1名はマレーシア人の顔以外を布で覆ったムスリム女性であり、非ムスリムは僕だけであった)
カウンターはデスクが4席あり、各デスクにはPC、クレジット読取機、Nikonの一眼レフカメラ、生体認証器(指紋)、iPadが設置され、壁には新品のポスターが貼られている。ポスターには観光地の写真とともに「Visa On Arrival」と書かれている。うち、3席のデスクには女性スタッフがいる。顔を目以外アバヤで覆い、深緑色のワンピースの制服を着ており、肩には警察や軍人の制服特有の飾緒がでかでかと付いている。アーモンド形の大きく澄んだ瞳は、あまりにもはっきりとしすぎている二重と、高い鼻によって作られる陰でより一層はっきりとし、際立っている。
僕はiPadで必要情報を入力するよう促される。なんとハイテクな・・・!と思いつつ、秒速でパスポートに記載されている基本情報から日本の住所などの情報を入力し、その上でクレジットカードでの支払いを済ませたが、なぜかシステムエラーでリトライ。基本情報やクレジットカードの情報や二重認証のパスワードにも不備はなかったので、おかしいな?と思いながらも再度情報の入力を促されて再入力。クレジットカードの精算を含めて、再度最後まで情報を入力するも、またエラーと言われる。登録は完了しているものの、通常登録完了後に表示されるであろうビザ番号が空白になっているからエラーらしい。すでに二度もPayment手続きを済ませているため、ビザ代金は2度引き落とされてしまっていることは懸念するが、それよりも早くビザが欲しいが取れないもどかしさに苛まれる。
デスクの女性には謝られるが、彼女が悪いわけではないので問題ないです、むしろローンチ直後のシステムエラーはどうにもなりませんよね、と世間話をしつつ、チョコパイを貰いながらお互い別の係員への状況説明&ほかのビザ取得方法を模索していたら2時間が過ぎる。
そして最終的に、オフラインでアライバルビザをゲットすることとなる。キャッシュでお金を支払った後に、生体認証(顔と指紋)加えてレシートの裏に電話番号とEメールを記載しておしまいというもの。(先ほどまでの先進的なiPadでの情報収集とは裏腹に、絶対にDBに生体認証以外の情報はストックされないだろう・・・という適当さへのつっこみはさておき、)到着2時間後に観光ビザを入手。ビザの番号は、サウジアラビアの入国スタンプの横のパスポート余白ページに直接ボールペンで記入という、かつてないワイルドさを発揮して、ついにビザを入手し、デスクの女性に感謝を告げ、晴れて観光でサウジアラビアに入国した。
サウジアラビア人の優しさ
ジェッダの空港も街中も、観光でサウジアラビアを訪れる人など、4日前まで皆無だった。したがって、サウジアラビア観光ビザ解禁のニュースは国内でも広く知れ渡り、彼らにも衝撃を与えていた。イスラム教徒は挨拶に始まり挨拶に終わる、というくらい人懐っこいが、サウジアラビアの人も例外ではなく、街中ではよく話しかけられる。
半日街を歩けば、何十人にも話しかけられ、日本人です、観光できました、と言えば、「日本人を初めてみた、上海には友達がいる、東京はビルが沢山あるのだろう」「まさかビジネス以外でサウジアラビアに来る人がいるなんて驚きだ、クレイジーだ、ようこそサウジアラビアへ!」など人々は異口同音に歓迎してくれて、そのへんの小売店にある新品のミネラルウォーターをふるまってくれる。日中で40度、夜でも30度程度の暑さを誇るこの地ではこれほどありがたいことはないので有難く貰ったが、この日の午前中だけで3度ミネラルウォーターを貰うこととなった。
一方で、仮に僕が女性ならば面倒くさい(と思う)目にも遭った。長髪で無髭の僕は女性だと思われているのだろうが、空港からホテルまで送ってくれたタクシー(正確にはアラブ版UberのCareem)の兄ちゃんには、タクシー代はいいから一緒にホテルに入ろうと言われたり、街のバザールでお香屋にお香を調合してくれて、タダでいいと言われた暁には、マッサージしてやろうか(すでに手は肩を通り越して腰にあったのだが)と言われたりするなど、本物の外国人女性がストレスなくこの地を旅するのはもう少し時間がかかるなと思った次第であった。
遥かなるメッカ
イスラム教の聖地・メッカ。その名は全世界に轟いている。イスラム教徒であれば一生のうちに一度は巡礼で訪れたい場所である。
ジェッダから直線距離で80kmほど離れたメッカへ行く方法は二つ。旧市街近くのSAPTCOという会社のバスで行く方法(毎日運行。1時間半/約1,200円)と、2018年に完成したメッカ⇔メディナをつなぐ電車で行く方法(木~日曜で運行。30分/約2,400円)がある。
サウジアラビアの公式HPではメッカとメディナ(の一部)はイスラム教徒しか入れないということだったが、メッカは街全体に入れないのかどうか不明瞭であり、また最新の情報は常に現場に転がっていることからも、あのメッカにいけるのか?という事を非常に淡い期待を持ってバスターミナルのチケット売り場で非ムスリムである事を明らかにした上で確認したが、結論としては駄目であった。
メッカ入域の要件は2つ。①イスラム教徒であること、あるいは②メッカ在住の人や機関からインビテーションを持っていることである。仮に僕がイスラム教徒であると宣言すれば入れただろうが、万が一、僕が偽って入域しようとし、そうでないと認定されてしまうと、今後の日本人あるいは外国人観光客あるいは本当のムスリムの方に影響を及ぼすため、当然に諦めた。(11/08追記:記事公開後にバングラデシュ人のムスリム巡礼者の友人から教えてもらった話によると、検問時には、①のイスラム教徒の証明はビザの種類あるいは名前で判断されるとの事でした。)
The Day is night, and the night is day
サウジアラビアは昼間とても暑い。またお金持ち国家であり多くの人が自家用車を持っており市内バスがほぼない。全くないわけではなく、あるにせよ場所が極端に分かりにくく、観光業に門戸を開いていないため全てアラビア語。すると、広い都市であり徒歩移動が困難であるから、必然的にタクシーで長距離を移動せざるを得なくなる。日本に比べたらタクシー代は安い(1回600円~1,200円程度)が、一日に10回と移動しているとなかなか費用がかさみ、まだまだ観光地向けにカスタマイズされていない感を実感する(まだ観光に門戸を開いてから一週間もたっていないため、当然に仕方ないのだが)。昼間に街中を歩いている人が皆無であったため、シェアタクシーのCareemのパキスタン出身のドライバーに聞くと、この暑さでは人は動かないから、サウジの人は昼夜逆転していて、昼間は夜のようにふるまい、夜には昼間のようにふるまうのだと言っていた。
昼間、世界遺産のジェッダ旧市街を歩く。旧市街の入り組んだ狭い道と街には徒歩で歩く人の姿もちらほら見かける。
アルコールと宗教警察・ムタワ
宗教警察と言われるムタワは、勧善懲悪を目的としてアラビア諸国の各国で組織される団体である。超保守的で原理主義的な傾向が強いサウジアラビア王国では、過去に絶大な力をふるってきた。特に湾岸戦争以降はイスラム教の教義違反者への逮捕や処刑までを行ってきた。ムタワの政治的役割を縮小させたキーパーソンはムハンマド・ビン・サルマン皇太子であり、ここ3年ほどで街中からムタワが消えた、とアメリカのカレッジに通っていた英語が流ちょうなCareemドライバーは語っていた。それにより、3年前は各検問でひっかかったアルコールは、今はひっかからないようになり、比較的簡単に入手可能になったと教えてくれた。サウジアラビア王国ではアルコールは所持、販売、飲酒含めてあらゆる面で違法であるが、あらゆるアルコールが手に入るぞ、と彼は断言した。
超保守的なサウジアラビア王国でこの有様であることに、お酒大好きな僕は心躍るとともに、世界がほぼフラット化してしまったことにどこかさみしさを覚えた。
朝から昼にかけての出来事を彼らに習って昼の暑い時間にホテルでクーラーを浴びながら書き起こした。夜はCareemで出会ったドライバーとその友達と海へ連れてってもらう。
記憶は忘れるが空気感は体が覚えている。サウジアラビアの空気感はカラッとしていて好きだ。そして記憶も残しておきたい貪欲な僕は多くをメモって今日は満足したのであとはだらだらしよう。
※追記:1日目の夜、途方もなく素晴らしい時間を過ごすことができたので、それに関しては追って書きます。サウジアラビアには観光客がほぼいない中で、早く行けば行くほど「善意100%の人」にたくさん出会えます。
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