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未承認国家ソマリランド

ソマリア連邦共和国は一つの国家であるが、国連未承認ではあるが実質的にはソマリランド、プントランド、ソマリアに分かれていて、僕が入った場所はソマリランドというのがより正確であろう。

国土全土が外務省危険度レベル4の地域であり、仮にトラブルがあっても外務省は助けてくれないため、自分以外の人にはまずお勧めしないのだが、だからこそこうやって情報を残しておこうと思う。

ソマリランド入国

ソマリランドの領事館は隣国のエチオピアに存在する。それ以外の国では存在しないため実質エチオピアでビザを取得して入る方法のみが存在する。ビザはシングルエントリー30日の観光ビザ、費用は100ドル、期間は1週間で申請完了。
エチオピアのアディスアベバから、ハラール、ジジガ、ウチャレ(ソマリランド国境)までそれぞれバス、乗り合いタクシーで移動。国境で二国間は緊張しているかと思いきや人はそれなりに通っていて緊張感はない。入国でも止められることがなくスムーズにソマリランドに入れた。ウチャレからソマリランドの首都のハルゲイザまでは時間にして2時間程度かかったが、おんぼろのバスで3USDという激安度合いで、礫砂漠の不毛の地をバスが飛ばしていった。特に検問もなく、スムーズにハルゲイザに到着することができた。

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インフレ貨幣・ソマリランドシリング

ソマリランドではソマリランド・シリングという通貨が存在する。道端ではソマリランド・シリングあるいは米ドルでの決済ができるが、米ドルが優勢。

ATMではなんと米ドルのキャッシングができたが、アフリカで米ドルはビザ申請などで大変重宝するため、まさかソマリランドで米ドルの恩恵にあずかることができたことは僥倖であった。調子に乗って何百ドルと下したが、100米ドルだけは旧紙幣(青くない)が出てきて、下すときも小額紙幣を何度も引き出す方法に変えた。

ソマリランド・シリング自体は市内のバスや1ドル以下のものを買う際に重宝したため、まったく持たないわけにはいかず、街中にたくさんいた両替商を頼ることにした。1USD=20,000シリングというレートのくせに、紙幣の額面は500,1000,5000とだいぶ小さい。特に500シリングはまだ刷られているため、ほぼ新品の紙幣が手に入り、たった1USDでいいお土産になった。

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治安に関するテンプレートフレーズ

ソマリランドは前述のとおり治安はよくない(と、一般的に言われている)。事実、アルカーイダ戦闘員や海賊が存在し、2003年には国境なき医師団が殺害されている。しかしながら、僕が滞在した3日間においては治安が悪いと感じることは皆無に等しかった。

観光客がいないため、客引きという概念が存在せず、また道端には乞食も皆無、ぼったくりも一切なかった。道行く人は口をそろえて「ソマリランドには銃は存在しない、スリもいない、日本に帰ったら友達に伝えてくれよな!」というセリフを何度も聞いた。テンプレート化しているのが気になったが、国際社会から信用を得られていない国家に住む国民も大変だとは思った。

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「これに満タンのジンが欲しいなぁ」

ソマリランドはほとんどがソマリ人の単一民族、単一宗教国家であり、宗教はイスラム教を国教としている。観光客もおらずお酒が売っていない。だからこそ入手に燃えるのだ。昼間に試しに宿のオーナーに聞いてみると「ソマリランドではお酒は売っていないよ」とのこと。では夜になったらどうか、ということで、再度ビールの画像を出して聞いてみたら小さな売店に案内してくれた。その売店の冷蔵庫を探ったら、なんと0.0%ビールがあった。で、それ以上でもそれ以下でもなく、本当にビールは売っていなかった。

高野秀行氏の「イスラム飲酒紀行」によると、ソマリランドでは密輸したジンが流通しているらしい。とのことで僕も店の人に聞いてみた。曰く、一言目には「ソマリランドに酒はない」だったが、20ドルちらつかせて空のペットボトルをちらつかせて、これに満タンのジンが欲しいなぁと言ったら、「OK,エージェントを経由してそのペットボトルにご所望のものをいれてきてやる」とのことだった。案の定、エージェントとのジンの取引の場所には行けず、かつ、その日はジンが切れていたためジンを満たせないと、結果的には謝られてしまったのだが聞いた甲斐があった。

砂漠で遭難し、ソマリランド出国

ソマリランドの首都・ハルゲイサからジブチに抜けたときの話。

夜20時出発、朝国境着の半日強の行程で、運転手+乗客4人でジープ旅をした。地図上ではたった200km程度の行程でなぜ半日・・・?という疑問は浮かんだが、それしかないということで素直に従う。出発直後、深夜にせまる4時間程度はでこぼこの砂道。前にトラックが時速20km/h程度で走っていたが、タイヤから出す砂で前がほぼ見えなくなる程度の砂の道を体感し、時間がかかることを仕方なく思う。

深夜、4時間ぶりに集落にたどり着いた。そこには先行しているジープや、後から来たジープなど合わせて4台程度のジープが集まった。この集落で明るくなるまで過ごすということを理解し、灯りも何もない集落からみる満天の天の川を眺めて写真に収めて、ときにうとうとしながら空が明るくなるのを待った。

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朝5時、空が明るみそうになったタイミングで集落を出発。今度のステージは、平坦で乾いた砂漠をひたすら北上するというステージ。乾いた塩湖のように、かつて水があったが干からびた砂漠の地面は、明らかに砂砂漠ではあるが砂が固まって、ひび割れていて、とても固い。そんな道を先人が作ったわだちを頼りにドライバーがすすんでいく。途中で強烈な違和感にさいなまれる。我々は、北に向かっている。太陽は東から登り西に沈む。今は太陽が左手側にある。つまり我々が進んでいる方向は北ではなく、真逆の南ではないのか?という違和感である。何もないだだっ広い砂漠の道路、ドライバーには何か見えているのか?と思い、何も言わずに観察をすると、ドライバーは轍を完全に頼りにしながら、ただまっすぐではなく、時々くねくねしながら走り続ける。僕も、単なる砂の上を走るよりも轍を走るほうが、足をとられずに省エネになる、という理屈はわかっている。しかしここには轍はあるが地面は固く、かつドライバーからしたら直線距離で走ったほうがガソリンも使わずにいいはずである。ドライバーは轍がないと道に迷うと思い、妄信的に轍を進んでいたのだ。しかも、よく見ていたら円状になっている同じ轍を10-20分かけてぐるぐる迷っているようだ。しまった!これでは遭難するぞ!と思った僕はドライバーに言ったが、何もないところは走れない。友人を説得し、同行者を説得し、ドライバーに迫ったが、それでもドライバーの過去の成功体験や信じるものをそんな簡単に変えられず、僕たちは迷いに迷った。「ちびくろさんぼ」でトラが木の周りをまわり続けて最終的にバターになってしまうシーンがあるが、トラになったような気分でこの後どうなってしまうのか想像をしながら、運転手の運転の行方を辛抱強く追った。

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日が徐々に高くなる中、無意味な散策を1-2時間続けたタイミングで、何たる僥倖、トラックが遠方に現れた。そのトラックのところまで車を走らせてもらったら、昨日から今まで見たことがないくらいのまっすぐで大量の車が通り抜けた轍というかもはや道が存在していて、我々はそれに乗っかる形で、ついに砂漠の迷宮を脱出することができた。違う物差しで生きてきた人を説得するのは思いのほか難しいのだなということを学んだ有意義な散策であった。そのあとは草が点在する場所などでまた轍を失うことも何度かあったが、無事に朝11時すぎにジブチの国境へ到着した。

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2泊3日という短期滞在ではあったが、人も優しく、食べ物もおいしく、サンライズ・サンセット・夜空がきれいなソマリランドの思い出をかみしめながら、ソマリランドを出国した。

ソマリランドでは自警団含めて、銃を持っている人を見なかった。これには驚かされた(それだけ平和である証拠である)。ではなぜ国連のどの国からも国家として認められていない、未承認国家なのか。ソマリランドの為政者はプントランド、ソマリアの為政者と話し合いの席を持たないらしい、ということを聞いて、何とも言えない気持ちになった。

とはいえ、このソマリランドがきっと良くなることを、僕は願っている。

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