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娘が書いた物語。

#20231205-310

2023年12月5日(火)
 ノコ(娘小4)を寝かせに行ったむーくん(夫)がA4サイズの紙を半分に折って綴じた冊子を手に居間に戻ってきた。寝かせに行った――といっても寝かしつけをするわけではない。一緒にノコの部屋に行くだけだ。
 「どうしたの、それ?」
 「読んでいいって」
 むーくんと2人、表紙に目を落とす。
 女の子が2人立っている絵が描かれ、「〇〇とノコの毎日」とある。
 〇〇というのは、ノコと昨年、つまり小学3年生のときに同じクラスだった女子の名前だ。それまで特定の誰かと親しくすることのなかったノコが執着を見せた友だちだ。当時は、これがいわゆる「ギャングエイジ」のはじまりかと思ったものだ。
 ただ仲がよすぎるのか、一緒にいる時間が多かったせいか、とにかく〇〇ちゃんとは毎日喧嘩もした
 学校から帰った途端、不機嫌で荒れるノコの原因がわからず、担任教諭にトラブルがあったときには連絡をいただけるようお願いをした。学校で友だちと喧嘩したなどの情報が帰宅前にあるだけで、ノコの怒りに振り回されることが減った。だが、その電話が見事にほぼ毎日で、2人の喧嘩の仲裁に入る先生にも疲れが見えるほどだった。
 学校側も懲りたのか、頼んだわけではないが、4年生の現在は〇〇ちゃんとは別のクラスになった。たまに彼女の名前がノコの口から出ることもあるが、喧嘩になることはないようだ。

二人はたのしい毎日をおくっています。
その中でも仲がわるかったのは〇〇とノコです。

「〇〇とノコの毎日」より

 思わず、むーくんと顔を見合わせてしまう。
 出だしから「楽しい」といっておきながら、「仲が悪い」と続く矛盾した2行に面食らう。
 とにかく2人が毎日毎日喧嘩している描写が綴られ、2人はもちろん先生も疲れ果てていく。休み時間は喧嘩の理由の確認と仲直りのために使われ、遊ぶ時間がなくなっていったと書かれている。
 ノコ自身にも自覚があったのか。
 冬になる頃には、2人は心を入れ替えたので仲がよくなっていったとある。
 割れていたハートが二重三重で足らず、六重にも重ねられたハートになったと図解がある。

 〇〇はノコのためだったら何でもすると書いてあるのに、たまに嘘をつき合うともあり、さらにノコは〇〇に夢中だともある。
 大好きだけど、憎らしく、離れ難い複雑さが文章から伝わってくる。
 こんなに長い文章を書けるようになったこと。
 まだまだ粗削りだが、自分の心情を見つめる目が育っていること。
 文章そのものは接続詞の使い方が間違っていたり、一文のなかではじめにいっていたことが、いつのまにか反転したりと突っ込みどころが満載なのだが、ノコの成長がわかる。

 笑うむーくんに私は釘を刺す。
 「これだけ長く書いただけでもスゴイよ。重箱の隅をつついて、未来の小説家の芽を摘まないでよ」
 「……だな。どう化けるかわからんもんな」

 ただ作中に喧嘩をする度に「あの仲にもどろう」という記述があった。
 あの仲とは「母と子の仲」だとも書いてある。
 翌朝、ノコの冊子の完成度を褒めた後、「母と子の仲」について尋ねてみた。
 「ノコさんのいう母と子の仲ってなぁに?」
 ノコが次作だという冊子を自室から持ってきた。まだ表紙と目次だけだという。
 「えっとね、なんでも教えてくれて、お世話してもらう仲のこと」
 「どっちが母で、どっちが子だったの?」
 「私が子で、〇〇が母」

 〇〇ちゃんとの仲は、どうやらギャングエイジの同年代の集団のなかで大人に頼ることなく、ルールや道徳観を養っていくものとは違ったようだ。対等とは程遠く、ノコが依存していたのかもしれない。
 子であるノコは、私との母子関係を学校で〇〇ちゃんに求め、「何をしても結局は許してくれる」までがセットだったのだと思う。当時、ノコが理不尽な命令を〇〇ちゃんがすると怒っていたが、それは〇〇ちゃんなりに母役として「~しなさい」とよかれと思うことを押し付けていたのかもしれない。
 母のいう「~しなさい」は、子どもからしたら嫌なこともあるだろう。
 〇〇ちゃんは自身の母を思い浮かべながら母役をし、それに対してノコは家で母(私)にする態度で返していたのかもしれない。
 対等であろうとする友だち関係でなかった分、こじれやすかったのだろう。
 
 1年経って。
 ようやく当時のノコと〇〇ちゃんの関係がすとんと腑に落ちた。

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