娘の読書感想文の宿題。どうつきそうか、苦悩なり。
#20240803-442
2024年8月3日(土)夏休み15日目
夕方から町内で納涼盆踊り大会がある。
ノコ(娘小5)には、朝のうちに夏休みの宿題のひとつ、読書感想文を下書きまで終わらせるよういってある。
やる気を引き出すためのお小遣いというおまけと帰宅時刻も宣言した。
宿題ができたのなら、少し早めに夕飯を済ませてからお祭りに行こう。
特別にお祭り用としてお小遣いを500円あげます。
ただし、パパが仕事から帰ってくる時刻までにお風呂から出てね。それに間に合うよう帰るよ。長居はできないからね。
小・中・高校生と、私は作文や読書感想文を書くことが楽しみでもあった。
論文を書けといわれると厳しいが、今でも日記や雑記なら苦にならない(うまい下手は別として!)。
書くのは好きだが、書き方を教える――子どもに書くよう促し、導くのはまた別の話だ。
書きたくない気持ちがわからない。
どうすれば書けるのかわからない。
インターネットで「読書感想文の書き方」を検索し、問いに答えていく方法や穴埋めで目標の原稿用紙枚数の達成を目指すが簡単にはいかない。
「ノコさんがこの本を読んで心に残った場面はどこ? どんなふうに感じた?」
「みんなで〇〇したとこ。スゴイと思った」
「スゴイって、もっとくわしく説明できる?」
「スゴイはスゴイだし」
たとえば――といくつか描写の例を挙げたくなるが、それをいえばノコはそのまま「ソレ」というだろう。
嫌いなところは災害が起きて悲惨な状況の場面だという。
「ちょっとゾッとした」
そこに「ちょっと」という言葉をあてることに私は違和感を覚えてしまう。ノコの「ちょっと」は「少し」という意味ではないのだろうか。
深く掘り下げたくて、いろいろ尋けば尋くほどノコは機嫌が悪くなる。
「じゃあさ、この本を読む前と読んだ後で、自分の考えが変わったと思うところはある?」
「変わってない」
迷いのないノコの返事に私は戸惑ってしまう。
ちっともおもしろくなかった本ならともかく、ノコは読み終えた後「感動した」といっていた。心が揺さぶられた本を読んでなにひとつ変わらないことってあるのだろうか。
「読む前のノコさんとこの本を読んだ後のノコさんはまったく同じなの?」
「変わるはずないじゃん」
好きで、得意なことについて人にその楽しさを伝えることはできても、人にやらせるのはつくづく別だ。
子育てをしていて思う。
好きなことほど自分のこだわりが強く出てしまい、教えるのが難しい。相手が興味を持っているのならともかく、やる気のないことに向かわせるには熱意だけではできない。
かえって、小学生時代に読書感想文や図画工作といった宿題が得意でなかったむーくん(夫)のほうがノコに合っている。
「苦手だ」「面倒くさい」「やりたくない」という気持ちがわかるからだろうか。
つまずくところがわかり、寄り添えるのだろうか。
だが、今日明日とむーくんは仕事だ。
ノコにこの2日間で読書感想文を終わらせるのならば、私が頑張らねばならない。
「ママママ、ママママ。タブレットでやっていい?」
手書きが億劫だとノコは小学校から支給されているタブレットを出してきた。キーボードならば早く進むかといえば、ノコは右手2本、左手2本の計4本指打法なのでままならない。
「ママママ! おもしろいから聞いてて!」
タブレットを手にしたノコが傍らにくる。
「タッチペンペンお尻されましてゴメンナサイ。あなたは私の何をカモシカなのですが、」
予測変換で表示される単語をどんどんタッチしてつなげていったようだ。意味不明の文章にノコは腹を抱えて笑っている。
「ママママ、ママママ、スゴイの、見付けた!」
タブレットの画面をあちこち触るうちに音声入力機能にたどりついたようだ。
「わたしは、えっと、この子がやるのがスゴイと思って、あれ、何いいたかったんだっけ?」
課題図書を広げて首を傾げているが、タブレットの画面を見たらそのまま文字になっていたのを目にしてこれまた笑い転げる。
「えっと、だって。何いいたかったんだっけ、だって。知らんわ!」
自分の口から出た文章に突っ込んでいる。
「ママァ~、読書感想文、3枚以内ってあるからさ、1枚でもいいんだよね?」
そこには触れないようにしていたのに、気付いてしまったか。
下書きが終わるかも怪しいが、祭りに行けるかもだいぶ怪しくなってきた。
西日になりつつある窓の向こうでは、アブラゼミが熱い熱い空気を揺らしている。
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