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パターンになってしまうことがある。そこから子ども自身が抜け出せなくなる。~2学期の振り返り~

#20231128-307

2023年11月28日(火)
 まだまだ渦中なのかもしれないが、一時いっときより私自身が楽になってきたので振り返ってみたい。
 楽になったのは大人側であって、ノコ(娘小4)自身が今の状態をどう感じているかは正直わからない。ただご機嫌な時間が増えたため、負荷が大きいようには見えない。

 ノコが口を開ければ内容問わず、「ヤダ」というようになったのは3年生の2学期が終わる頃だった。
 その激しさはどんどん強くなり、4年生の2学期がはじまる頃にはあらゆるものを拒むようになった。
 宿題を筆頭に、食事や入浴、睡眠などの生活習慣まで。
 声を掛けてもスムーズに取り組まないので、一日がまわらない。時間はなくなるし、ノコはいえばいうほど怒って頑なになるし、そのうち生活リズムも狂いはじめ、ノコのいいようにすればいいのか、親が思うスケジュールを強いればいいのか、こっちもわからなくなってきた。

 効率がよく短時間で済むよう考えた「すべきこと」の優先順位は、ノコにとってもよいと思うのだが、動かないため、だんだん親側も苛立ってくる。
 思うようにコントロールしたいわけではない。
 「すべきこと」は短期的な目で見ると、やらねばノコが困る状況になると予想できる。
 ノコをどうにかしたいわけではない。
 ノコが困ったり、注意されて嫌な気持ちになったりさせたくないという親心だ。
 ノコからして見れば、その心配すら鬱陶しく「頼んでもいない余計なお世話」かもしれない。
 気持ちを切り替えて、ノコのことを「どうでもいい」と思ってしまえば、睨まれたり怒鳴られたりしてまであれこれ声掛けをする必要はなくなる。
 ノコは「ヤダ」と拒む理由を「面倒くさいから」「私には自由がない」という言葉で説明していたが、ノコ自身は自分がしている拒否が自分にとって「お得ではない」ことはわかっていたように思う。
 どこまで、「ヤダ」が通るのか試していたのではないか。

 私ができるだけ、ノコの「ヤダ」を尊重し、「それなら、どうしたいの」「それなら、自分で決めてね」と返しても自分の望みが叶ったといきいきするわけでもなかった。
 何かノコに思うところがあっての「ヤダ」ではなかった。

 いつしか、何事にも「ヤダ」といい、またそれに対しての意思を問われても「ヤダ」といい、なんでもかんでも「ヤダヤダ」と返すパターンに入っていた。
 「ヤダ」ということで、周りの空気が濁って沈む。
 それでまたさらに感情が負の方向へ走り、しまいには引くに引けない、ノコ自身もどうしたらいいのかわからない状況になってしまう。

 私の対応はノコの意思を尊重しているていだが、次第に悪循環に陥っていた。
 そこをむーくん(夫)が強引に打破した。

 起床、入浴、就寝は決められた時間にする。
 食事はきちんと食べる。
 宿題はする。
 生活リズムをつけ、宿題が済まねばTVテレビや読書はなし。

 一見、ノコの意思を無視しているようだが、やってみて見えてきたのは、ノコ自身が「ヤダヤダ」のパターンを壊してもらいたかったのではないか、ということだ。
 もちろん定時に起床や就寝をすることが心理的、身体的にしんどい子もいると思う。学校での指導や宿題が合わない子もいると思う。
 だから、これはどの子にもいえることではなく、「ノコの場合は」である。
 それと同時に親側もこのパターンに安心してはいけない。あくまで「今のノコの場合は」であって、成長とともに自分の考えをしっかり持った上で拒むこともあるだろう。またホルモンのバランスなど身体的に規則正しい生活がしんどくなることもあるだろう。
 とりあえず、「今は」この対応で、ノコに笑顔が戻ってきた。
 これからノコも本格的に思春期に入っていく。「ヤダヤダ」と不機嫌になりだしたら、またこうすればいいと親は過信してはいけない。

 もう本当に子育てって、試行錯誤だ。
 パターンなんてあるようでない。

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