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「今」だけを見ると、よくある子どものふるまいかもしれないけれど。

#20240505-392

2024年5月5日(日)
 久し振りに家族3人で大勢の人が集う場に足を運んだ。
 老若男女、職種もバラバラ、共通するのは同じスポーツをする仲間というだけだ。
 我が家はノコ(娘小5)が里子であることを隠していない。
 ノコは幼稚園年長児のときに私たち夫婦に委託された。それまで乳児院、児童養護施設で暮らしていたので、すでに自分の生い立ちを理解している。日頃から「里親」「里子」という言葉が普通に登場する。
 「娘さん、ママにそっくりだねぇ!」
 そういわれ、吹き出してしまった。
 同じものを食べ、同じ屋根の下で暮らしていると、遺伝子上つながりがなくとも似てくるのだろうか。

 施設育ちのノコは大人に囲まれても動じない。
 むしろ自分の相手をしてくれる大人を鋭い嗅覚でかぎわけて、ニコニコと寄っていく。
 この場にいる大人は既知の仲なので、警戒は不要だ。視界の端でノコの位置を把握しつつも放っておく。私は私、むーくん(夫)はむーくんで懐かしい顔触れとの再会を喜び、話題が尽きない。
 大人たちの周りを愛想を振りまきながら蝶のように移動していたノコが足を止めた。会場の片隅でゲームをしている姉弟に気付いたようだ。年齢も近い。じりじりと距離を詰め、一緒に遊べるか窺っている。
 笑顔と笑顔が重なると、同時に立ち上がり、会場にあったボードゲームを引っ張り出してきた。床にぺたんと座り、ゲーム開始。
 大人とてちょっとならいいが、長時間子どもの相手をするのはしんどい。
 子どもは子ども同士で遊ぶのが一番だ。

 姉弟は、私たちと同じ年に結婚したご夫婦のお子さんだ。
 奥さんと立ち話をしていると、互いの夫もやってきて、4人になった。
 ノコがひっくり返って、ケタケタと笑っている。遊ぶ子どもたちに目を向けながら、ノコが実子でないことを告げる。
 養育の大変さをほんの少し口にすると、あちらのご夫婦が顔を見合わせて笑う。
 「うちなんて・・・・・・」
 朝起きたときから不機嫌だの、小学校からはよく呼び出されるだの、次から次へとどんなに手のかかる子かというエピソードが続いた。
 「子どもなんて、どこもそんなもんだよ」
 子育てによくある話だとひとくくりにされ、私ははっきりしない笑みを浮かべた。
 ああ、なんだろう。
 胸のうちがもやもやと重く、晴れない。
 だけど、私は知っている。
 ここでノコのややこしさを語ってもおそらく通じない。
 悪気なく、「子どもはそういうものだ」と言葉を重ねてくるだろう。そして、さらに先ほどいっていたそんな困った子どもに施した自身の対応を今度はすすめてくるかもしれない。
 それは、よくあるしつけのひとつで、今もあちこちの家庭でごく普通にされている。児童相談所や里親会の研修で学んだ私たち夫婦は、児童心理上よいサイクルを生まないことを知っている。
 でも、ここは子育てについて話し合う場ではない。
 どの夫婦にも、どの家庭にもそれぞれがよいと思った方針がある。
 私たち夫婦が口を挟むことではない。
 そっと私はもやもやから目をそらした。

 電車に揺られながらの帰り道。
 私は見ないようにしたもやもやを空に浮かぶ雲に重ね、眺める。
 今、子どもがしていることだけを並べるから、「どこの子どもも同じようなもの」といいたくなるのかもしれない。
 子どもがそうする経緯を考慮していない。
 経緯が違うのだ。
 ノコが激しく泣いたり、怒鳴ったり、不機嫌になる理由は、どこの子どもにもある理由とは異なる。
 ノコを特別扱いしてほしいわけではない。
 だが、ノコからあふれ出る激しい感情や荒々しいふるまいとノコの生い立ちを切り離してはいけない
 「今」見える態度だけで、ひとくくりにするのは乱暴でさえある。
 ――生い立ちを特別視するわけじゃあないけど、無視してもいけないんだよ。
 そこを私が自覚すればいい。
 もやもやがまだ明るい夕空にとけていった。

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